◆原点回帰のチャンス
かとう・よしまさ 昭和15年北海道生れ。35年岩手大学農学部林学科入学、41年中退。42年岩手大学生協専務、45年盛岡市民生協専務、平成2年いわて生協専務、10年理事長、16年常任顧問、平成4〜14年コープ東北サンネット理事長、昭和56年県生協運専務、平成10年会長理事現在に至る。昭和49年県協同組合提携協幹事、平成10年副会長、平成11年いわてコメネット副会長、平成15年岩手農民大学副学長、16年地産地消県協同組合協議会会長、18年県協同組合研究会会長、協同組合経営研究所評議員、日本協同組合学会理事、日本農業経済学会会員。 |
第55回JA全国青年大会の成功を心からお祝いしたい。
今度の「世界連鎖恐慌」(私はこう呼ぶべきと思う)は世界のすべての人々、すべての組織・団体・運動・事業経営体に対して、これまで経験したことのない過酷な試練・犠牲をもたらしている。と同時に、我われに真摯な「原点回帰」を求めており、そのチャンスでもある。
中曽根内閣による「臨調・行革路線」がもたらした「市場原理主義・自由化・民営化」などの政治経済体制、その後のアメリカを中心とする「数次のバブル経済」「経済の金融化」「カジノ資本主義」への世界的な流れ、特に小泉・竹中政治は、このアメリカンスタンダードにわが国を合わせる「規制緩和・構造改革」を「改革」という名で激しく展開した。こうしてわが国は「ワーキングプア」「弱者や地方の切捨て」が常態化し、「貧困と格差」が一挙に拡大した。当時、小泉首相は「これ以上の農業鎖国はやっておれない」と発言したように、農業分野へも「競争原理」を積極的に導入し、農業・農村の危機を一層深刻化させた。
この「新自由主義」といわれる「弱肉強食」「金儲けのためには何をしても良い」という巨大な流れは、一種の「イデオロギー・インフルエンザ」であり、これに影響・感染されない人々や組織は少なくても先進国では皆無ではなかろうか。本来、こうした「資本の論理・倫理」に抵抗し「人間の論理」を掲げ、「正気の島」になろうとしていた我われ「協同組合」陣営もその例外ではなかったといえよう。
いま、世界的にこの新自由主義・市場原理主義の破綻とその犯罪的残渣が文字通りの「恐慌」(恐れ慌てる)となって世界を覆いつくし、「チェンジ」「転換」「出直し的改革」などが叫ばれている。21世紀への展望を切り開くことができず、その組織的・経営的基盤が揺ぎ、後退を余儀なくされている我われ協同組合こそ、こうした「イデオロギー」の負の遺産を真正面から解明し、反省しなければならない。
JA青年部の皆さん、私は今こそ「協同組合らしさ」を求め、「協同組合への原点回帰」が求められていると考えるがいかがであろうか。
◆「協同組合とは何者か」
わが国の協同組合運動は、1985年以降こうした「市場原理主義」「新自由主義」が支配的な政治経済体制が進行する中で、次々大きな困難に直面し文字通り「苦闘」を続けてきた。しかし、この少なくても四半世紀に及ぶ政治的・経済的・社会的構造変化の「本質的要因」をどこまで分析し抵抗してきたのであろうか。特に、組合員のくらしや経営が困難さを加え、その基盤である「地域社会・経済」の構造的変化と衰退という現実。そこに渦巻いている「叫び」とも言える「ニーズや願い」を直視し明らからかにしつつ、「協同組合のアイデンティティ・ミッション」をどれだけ誠実に追い求めてきたのであろうか。
国際的には協同組合の「思想の危機」が強調され、「協同組合のアイデンティに関する声明」が1995年、ICAによって出された。この中で明らかになった協同組合の「定義・価値・原則」を、この「苦闘」を乗り切る上でどれだけ深く議論し、忠実に実践しようとしたか、が問われなければならない。
JAも生協も漁協や森林組合も、この「作業」を一貫して軽視・無視し、事業経営の後退・悪化・危機という現実に如何に経営的に対応するかに没頭してきたのではないか。そのための大型合併や事業連合を推進し、競合私企業との競争対策に明け暮れ、行政官庁や財界・マスコミなどからの批判への対応という、いわゆる「経営主義」「他律的改革」にのめり込んで来たといえるのではないか。
協同組合は長い実践と理論研究などから、「運動体・組織体・事業体」として自らの特性を自認してきた。そして、その目的・綱領として次のようなことを掲げてきた。
《JA綱領》(1997・10第21回農協全国大会で採決)
一、地域の農業を振興し、わが国の食と緑と水を守ろう。
一、環境・文化・福祉への貢献を通じて、安心して暮らせる豊かな地域社会を築こう。
一、JAへの積極的な参加と連帯によって、共同の成果を実現しよう。
一、自主・自立と民主的運営の基本に立ち、JAを健全に経営し信頼を高めよう。
一、協同の理念を学び実践を通じて、共に生きがいを追求しよう。
《日生協21世紀理念》(1997年総会で採択)
「自立した市民の共同の力で、人間らしいくらしの創造と、持続可能な社会の実現を」
《日生協2010年ビジョン》(2005年総会決定)
「私たちは2010年を展望して、『ふだんのくらしに最大貢献する』を何よりも優先し、統合されたリージョナル連帯を基盤として、常に改革・革新し続けることをめざします」
◆今こそミッションを明確に
こうして自らが明確にした綱領や理念(日生協の2010年ビジョンはビジョンといえない、経営偏重に突き進む宣言ともいえるおかしなもの)は、協同組合が運動体であり組合員自身の組織体であり、こうした綱領・理念はその運動と組合員の力でしか実現できないものであることはあまりに明確ではないだろうか。
しかし、この「運動体・組織体」としての協同組合の基本特性・アイデンティティが曖昧になる中で、こうした綱領や理念は遠ざかり、組合員・常勤役職員の協同組合運動への「確信・やりがい」が大きく後退してきている。今や、協同組合のミッションは組織内でも、社会的な評価でも、どれだけ明確になっているのか、「忸怩たる思い」を持っている協同組合人はあまりにも多い。
実はこの「運動体・組織体」軽視と「経営主義」への「変質」が、先のICA声明にける「定義」によって正当化されていることを、日生協の中で私は繰り返し指摘してきた。
《日生協が翻訳した定義》
「協同組合は、共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ「事業体を通じ」、共通の経済的・社会的・文化的なニーズと願いを満たすために、自発的に手を結んだ人々の自治的な組織である」
《協同組合経営研究所が翻訳した定義》
「協同組合とは、人々の自治的な協同組織であり、人びとが共通の経済的・社会的・文化的なニーズと願いを実現するために自主的に手をつなぎ、事業体を共同で所有し、「事業体を共同で所有し」民主的な管理運営を行うものです」
岩手県の生協はこの協同組合経営研究所の「定義」を採用し、「事業体を通じて」に陥らない路線を堅持してきた。
日生協はこの「事業体を通じて」を事あるごとに強調し、「運動」という言葉すら使うことを止め「活動」に矮小化している。かつての「家庭班」という基礎組織を軽視し、「運動」を通じての組合員自身の組織力の発揮に消極的になっている。最近では「顧客」という言葉が氾濫し、組合員の購買活動ではなく「サプライ(供給・売る)チェーンシステム」としての事業に固執している。
また、グローバリゼーションを礼賛し、そのメリットを組合員に提供することを生協の中心任務とする、という路線が「COOP手づくり餃子」中毒事件を生んだ背景ともいえる。さらに、2005年の「日本農業への提言」では、財界・農水省の進める「品目横断的所得保障制度」(担い手の絞込み)を率先して支持し、「関税の引き下げを消費者団体として要求する」とまで主張した。
JA組織は「組合員力」を強めて、この難局を乗り切る方向を示しているが、日生協は「協同組合組織・組合員力」とは言わず、「消費者組織・消費者力」を叫んでいる。
こうして「運動と事業の一体的展開」(日本型生協として国際的にも評価されていた)、「運動・理念を実現するのが協同組合の事業である」といわれた先駆者たちの「教え」すら忘却の彼方の感がある。私はこうした現在の日生協路線を批判しつつ、岩手における「協同組合らしい生協運動」に努力している。
◆JA青年部の役割と期待
JA青年部の活動については、「農業協同組合新聞」「日本農業新聞」「大会議案書」などでの情報と、岩手県における活動交流ぐらいでしか理解をしていない。
岩手県においては「地産地消を促進する岩手県協同組合協議会」や各種運動において県JA青年部と我われ生協運動との協同・連帯活動は年々強まっている。
こうした経験から日頃考えている問題意識をいくつか述べて「提言」としたい。
第一は、JA本体が先述したように「運動体・組織体」の色彩を薄め、「事業経営体」「大型合併」を推進する中で、運動体・組織体としてのJA青年部の位置づけが弱まって来ているのではないか。ややもすると「事業経営体」としてのJAの「応援団」的に利用されている色彩を感じることがある。JAの主人公・主体は単位JA組合員であり、これからの地域のJA運動を支える「コア組合員」としてのJA青年部が求められる。県全体ではなく地域農業・地域社会に直接貢献する各JAの中心的な「組合員組織であり運動組織である」という位置づけを望みたい。身近な地域に根を張って、各生産部会や各種組合員組織・運動のリーダーとして、青年部メンバーの一層の役割を期待したい。
第二は県中央会との関係性である。本来JA青年部は県中とは独立した組織であり、その事務局機能も自立すべきではないか。そのための財政措置は単位JAからの直接支援と会費でまかなうことができよう。2004年の農協法改正で、全国中央会と農水省との関係がリンクされ、全中と県中との関係も強まったことからも、県JA青年部の事務局を県中が担当することの矛盾が生じないか。「農政運動」などが地域の組合員・会員の要求から発想し、たとえば農水省・全中・県中と対立する視点からの闘いなどが必要な場合、困難性を帯びることを懸念する。
第三は、JA女性部、特に若妻会などとの関係である。青年部が男性の組織として見えるが、女性と同じ組織で、それぞれのニーズや願いを協同して実現する組織体・運動体になれば、地域においてもっと楽しく生き生きした取り組みが出来るのではないか。わが国はいま、女性の力があらゆる場面で中心的な「威力」を発揮している。
第四は、大型合併が進む中で、地域の組合員、とりわけ兼業農家や準組合員のJA離れが進んでいることが報道されている。一方、規模が大きい担い手・集落営農体も独自のマーケティングを志向し、JAへの結集が危惧されている。こうした中で、将来の地域農業やJA運動を支える中心部隊であるJA青年部が、いかなる戦略的課題を明確にしているのかが解り難くなっている。特に、JAの「組合員力強化」の実践上、組合員教育の実践的リーダーとしてその役割を期待したい。各JAトップと各JA青年部幹部の強力な「戦略的意思統一」が不可欠ではなかろうか。
◆「上向き・内向き・後向き」から脱して「下向き・外向き・前向き」な発想に
いかなる個人も組織も、閉塞感が強まり困難や危機に瀕すると、「上向き・内向き・後向き」な発想や行動に陥ることは間違いない。
「上向き=権力者・官庁・上部団体・強者などへ目が行き、その情報や支配力におもねる」
「内向き=自分たちの組織・影響を持つ内部エリア・外部が見えない視野峡窄症」
「後向き=過去の成功体験やあれこれのこだわり・経験主義・事なかれ主義」
こうした発想や行動では、「100年に1度」といわれる今日の大転換期に、「原点回帰」を力強く実践することはできない。今こそ、「下向き・外向き・前向き」に「チェンジ」することが出発点になると考える。
「下向き=現場・地域の組合員・より困っている人々・働く仲間(JA職員など)・弱者など」
「外向き=地域社会の仲間・近くの運動体・組織体・消費者・関係する行政や政治動向など」
「前向き=少なくても5年〜10年先を考えて・出来る出来ないより、存在価値・使命を優先して・戦略的課題・理想像から」
JA青年部が、組織としてもメンバー個人としても、「下向き・外向き・前向き」な発想を意識的に重視して欲しいものである。そして、55回大会を契機にJAはもとよりわが国の協同組合運動が「原点回帰」するような流れが構築できるように、一層の役割を期待したいものである。