危機を招いた不均衡経済 放っておけない産業間格差
梶井 今回はサブプライムローンに端を発した金融危機と世界に広がっている不況について、これをもたらした本質的な要因をまずご議論いただき、次にどこから手をつけたら危機を克服する方向が出てくるのか、3つ目にはWTO交渉の持っていき方についての議論をお願いしたいと思います。
とくに危機の発祥地である米国についてはバラク・オバマ新大統領が今後、どういう対策をとっていくのか、変化していく政策に期待できるのかどうかが注目されます。
一方、WTOについては、金融危機を克服するための金融サミットが保護貿易主義の台頭を問題にしているといった動向が気がかりです。
◆現状は「平成大恐慌」
うざわ・ひろふみ 昭和3年7月鳥取県生まれ。東京大学理学部数学科卒業。米国スタンフォード大学経済学部助教授、シカゴ大学教授などを経て東京大学経済学部教授。文化功労者。日本学士院会員、米国科学アカデミー客員会員。文化勲章受章。近著に「経済学と人間の心」(東洋経済新報社)、「経済解析ー展開篇」(岩波書店)など多数。 |
宇沢 私は今度の危機を、昭和大恐慌との比較で「平成大恐慌」と呼びたいと思っています。またWTOに象徴されるような世界の農業危機と平成大恐慌とはまったく同根です。同じ思想的、政治的、経済的な流れの中から出てきたと思います。
ちょっと大げさにいえば、第2次世界大戦後、世界の、政治経済、社会、軍事を支配してきたパックスアメリカーナ、つまり米国の力による米国のための平和が恐らく崩壊を始めているのではないかとみています。
農業危機というよりも、もう少し基本的な人類の生存の危機が同時進行的に起こっており、それはパックスアメリカーナのひとつの経済思想的な考え方に原因があるように思います。戦後のパックスアメリカーナを一番よく象徴するのはネオリベラリズムの思想です。
梶井 新自由主義ですね。
宇沢 新自由主義は、戦争が終わった1945年夏、フランク・ナイトとF. A. ハイエクという2人のシカゴ大学の経済学者がスイスの避暑地モンペルランでたまたま一緒になって話し合ったことが発端となりました。
2人はナチズムによって人間破壊と社会破壊が徹底的に行われたことと、共産主義がとくに東欧で支配的になったことに危機感を持ち、ヨーロッパ文明を守るためにと47年にモンペルラン・ソサエティを立ち上げました。
それが欧州主要国の指導者たちの思想的な方向と合致して、現実の政治的、制度的な条件に具体化されていく時の大きな力になっていきます。
その間のいきさつはケンブリッジ大学の経済地理学教授だったデビッド・ハーベイが著わした「ネオリベラリズム」という本にみごとに書かれています。
ネオリベラリズムは、企業の自由が最大限に保証されるときにはじめて、一人一人の人間の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいて、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方です。
水や大気、教育とか医療、また公共的な交通機関といったマーケットが成立しないような分野については、新しくマーケットをつくって、自由市場と自由貿易を追求していく――それが新自由主義の共通理念だと思います。
梶井 市場原理主義との関係についてはどうですか。
宇沢 モンペルラン・ソサエティにシカゴ大学のミルトン・フリードマンを中心とする市場原理主義者たちが参加することになったのですが、彼らは新自由主義の考え方を極端にして、人生の最大の目的はもうけることだ、そのためにすべての規制を取り払い、できるだけもうけの機会を多くする、それを妨げるものは武力を使ってでも排除すべきだと主張したのです。とくに金融機関の投機的な動機による取引を最大限に実現しようというのが市場原理主義なのです。
新自由主義とフリードマンの市場原理主義は混同されていますが、かなり違った意味を持っています。
じつは、日本では市場原理主義の害毒と、その意味を私たちにわかるような形で一番早く提起されたのは内橋克人さんですよ。
◆米国に「最後の審判」?
うちはし・かつと 昭和7年兵庫県生まれ。新聞記者を経て評論家。テレビ、新聞、雑誌などで発言・執筆活動。主な著書に「匠の時代」(講談社文庫)、「内橋克人・同時代への発言」(岩波書店)、「経済学は誰のためにあるのか」(岩波書店)、「共生の大地」(岩波新書)、「共生経済がはじまる」(NHK人間講座=NHKブックス)、「悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環」(文藝春秋)、「もうひとつの日本は可能だ」(文春文庫)など多数。 |
梶井 シカゴ大学経済学部教授をされていた宇沢先生は、いま名前の挙がった学者たちとの交際もあったわけですね。
宇沢 ナイト先生は私の事実上の先生でした。倫理を経済学に持ち込んだ研究者です。また米国が日本に原爆を落としたことを人類の犯した最大の罪であるときびしく批判して、両親を広島の原爆で失った少女を養女にして、可愛がって育てていました。
梶井 フリードマンについてはどうですか。
宇沢 ナイト先生とは対照的ですね。例えば1964年の大統領選挙でジョンソンと争ったゴールドウォーターはベトナム戦争で水素爆弾を使えと主張して全世界から非難され、あっさりと発言を撤回しましたが、フリードマンはゴールドウォーターの発言を支持し続けました。
フリードマンにはほかにもシカゴ大学の恥を天下にさらすような言動がありますが、こんな話も残っています。
まだ固定為替相場制度の下で英国のポンド切り下げが決まったけれど切り下げ率が決まらない時、フリードマンは1万ポンドを空売りしてもうけようとシカゴの銀行に出向いて空売りを申し込みました。
ところがデスク(担当者)は「投機的な取引の申し込みは受け付けられない。我々はジェントルマンだ」と断ったわけです。フリードマンは「資本主義では、もうけるチャンスがある時にもうけるのがジェントルマンの定義だ」とカンカンになって怒りました。
それ以後、彼は執念のように銀行と証券の垣根を取り払い、空売りや投機的な取引を認める動きをつくっていきました。
梶井 結局それが今度のサブプライムローン危機の原因につながるわけですね。
宇沢 そうですね。資本主義を守るためには何百万人を殺してもかまわないというのが市場原理主義ですが、新自由主義はそこまでいかなかったのです。
パックスアメリカーナを守るためには大量破壊兵器を使ってもよいというフリードマンの考え方はベトナム戦争からイラク戦争へとつながっています。その意味でパックスアメリカーナの終わりの始まりという感じが強いのです。
梶井 ナイト氏は経済学に倫理を持ち込んだけれど、市場原理主義のフリードマンがモンペルランソサエティにくっついたことによって倫理観を放逐してしまったというわけですか。
宇沢 パックスロマーナもパックスブリタニカも最後は社会正義に反した軍事力を使って破滅への道を歩みました。
サブプライムローンがパックスアメリカーナの破滅の始まりだということは、すでに07年8月にジョセフ・E・スティグリッツという経済学者が「アメリカの最後の審判の日が近づきつつある」と書いています。
このローン債権を証券化した金融商品のセールスポイントは「選択の余地のない貧しい人たちの住宅ローンがベースだから普通の金融商品より1%高いリターンが期待できます」というものでした。まるでサラ金ローンの証券化でした。
この証券で米国の貿易赤字と財政赤字を救おうとしてFRB議長のグリーンスパンが中心になり、それをブッシュ大統領が支援して大々的に売りさばいたことが今度の金融危機の一番の原因だと思います。
その破たんを予測して「最後の審判」に例えたスティグリッツは米国の良心を代表する学者だと思います。
◆農業は人間社会の基幹
梶井 功氏 |
梶井 パックスアメリカーナと選択という言葉から日本で農業基本法がスタートしたころにいわれた「選択的拡大」を連想しました。
所得が上がっていけばデンプン質の消費が減って、タンパク質の食肉消費が増える。消費の増える物を選択して拡大していこうというものでした。
その選択的拡大は日本の農政の造語といわれましたが、実は1950年代前半に米国の農務長官がFAOの会議だったかで主張した言葉でした。当時、欧州の農業が復活し始めて米国の余剰農産物はふくれ上がる一方でしたから米国の農産物と競合しないように主産物をセレクトしろと各国に求めたわけです。
それを最も忠実にやったのが日本の農政で、その後、小麦が完全に米国依存となるなどの輸入体制となりました。
宇沢 当時、米国は余剰農産物を抱えて価格が暴落し、農業は危機な状況にありました。そこで生産性を高めるため、ぼう大な資金と人材を投入し、結局は世界に冠たる生産性と生産量を実現しました。
公的な資金を投入した上でマーケットを設けたため、ほかの多くの国々は農業発展が非常に難しくなりました。日本では農業の生産性を工業に匹敵する水準まで高めるというとんでもない目的を掲げて、農業基本法を制定するわけです。今の農業農村の苦悩をもたらす原因となったわけですが。
米国はまずヘゲモニーを確立して、そのあと自由貿易という形で展開していきます。この問題を憂慮し、指摘していたのはセオドア・W・シュルツというシカゴ大学の学者です。農業経済学でノーベル賞をもらったのは恐らくこの人だけです。
シュルツ先生はフリードマンとは全く違って、農業は人間と社会を維持していくための最も基幹的な営為であり、農業は時代遅れの産業ではないという立場です。日本の農政学者東畑精一先生とよく似ています。
シュルツ先生は米国農業の生産性向上に教育が大事な役割を果たすという新しい考え方を展開して、農業経済学の新機軸を切り開いた大先生です。シュルツ先生のお弟子さんたちが戦後の農業経済学の発展に中心的な役割を果たしました。
断っておきますが、弟子の中にはただ1人とんでもない人がいました。G・S・ベッカーという経済学者で、途中でフリードマンに同調し、市場原理主義的な経済学を次々に考えました。
ベッカーの「結婚の経済学」は結婚すると、どれだけもうかるか、コストはどれだけかかるかなどを計算し、また「教育の経済学」では大学を卒業した場合の生涯のもうけとコストなどを分析しました。それから奥さんが自殺すると、今度は「自殺の経済学」を考えた。奥さんが夫と一緒に生活していく苦痛と、自殺時の苦痛を比較して、合理的に自殺を選択したというのですよ。
◆グローバル化の正体
梶井 宇沢先生から危機の本質についてのお話がありましたが、内橋先生は「悪夢のサイクル」などでマネーの暴走に警告を発しておられましたが、いかがですか。
内橋 今回の、ある意味ではアメリカなるものの全体的な破たんは、ある種の必然というか、ワシントン・コンセンサスの崩壊は私たちの予測の範囲内にあったと思います。
90年代半ば以降、日本は米国の後を急ピッチで追いかけますが、その道を掃き清める識者や学究者たちの言動、そして政権へのすり寄り方などをみておりますと、その背後で米国が何を意図しているか、よくわかったのですよ。そういう逆説的な目でもみてきました。
新自由主義という言葉がまだ日本のマスコミには余り登場していなかったころから私たちは世界で進行中の事態に関心を抱き、規制緩和一辺倒論とか市場原理至上主義、あるいは市場競争至上などという言葉で表現しながら、警鐘を鳴らし続けたわけです。
と申しますのも、新自由主義の布教者たち、つまりは主流派の経済学者たちからの風当たりが強く、例えば市場原理主義という用語を使いますと、たちまち極めて専門的な言葉を弄して反発や批判が降ってくる状態だったからですね。でもそうした逆風のおかげで、世界市場化を究極のねらいとする米国の意図もよくわかったのです。
90年代には「グローバルスタンダード」なる言葉が一世を風びしました。テレビでも学者のゲストが登場すると、必ず“日本の経済、経営はグローバルスタンダードからほど遠い”などといった糾弾発言がしつこく繰り返されました。
グローバルスタンダードという言葉は和製英語だと思いますが、グローバル化とは世界の市場化であり、米国的な価値観を世界に普遍化していくことです。
当時の米国では産業構造も激しく変わる過程にあり、GDP(国内総生産)の構成のひとつ、金融・証券・保険・不動産・リースなどマネーがらみの業種が猛烈な勢いで拡大、膨張していく。GDPの70%前後を占める個人消費を除けば、残りの3分の2までをマネー関連の「虚の経済」が占めるほどにまで急成長をとげておりました。製造業、農業などは縮小一途です。
当然ながら、そういうなかでの世界市場化とは、アメリカ発「マネー資本主義」の汎世界化、地球化なのであり、言葉を換えて申しますと、マネーが自由にかけずり回ることのできるバリアフリー社会を世界に築いていくこと。むろん、日本は標的の最たるものだ、と。
間接金融から直接金融へ、とか、新たな時価会計方式へとか、ルールが激しく変わり、それが経済社会に仕組まれていきました。ここに至る道を熱心に、そしてアメリカの意図に忠実に掃き清めてきたのが少なからぬ主流派経済学者たちでした。
こうして日本は世界でも最も過激な市場原理主義、圧縮された新自由主義思想の浸透する国になってしまったのです。
そうしたなかで、私たちは宇沢先生の宇沢経済学に励まされ、支えとしてきました。日本のジャーナリズム、知識人、政治家、学究者たちがどれほど巧みに時流に便乗したことでしょうか。
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