米価の高騰が生活直撃 自給できる農業へ伝統作物を重視 駐日セネガル共和国大使 ガブリエル・アレクサンドル・サー氏に聞く |
世界第5位の米輸入国
◆仕事としての農業をつくる
サー大使(左)と、ハル・ジェフニ等参事官 |
「私たちの国に関心を持ってくれてありがとう」と出迎えてくれた大柄なサー大使が、身をかがめて床から数十センチの高さを手で示した。
「こんな小さなボートに60人も乗り込んでヨーロッパをめざす若者たちが後を絶たない。もちろんたどり着けずに死んでしまう者も。だから、仕事としての農業をつくろうというのが国のかけ声になっています」。
大西洋に面する西アフリカのセネガル共和国。大使は「米国大陸を指さしているような形にも見えると言われています」という。
サハラ砂漠の南の縁に広がる乾燥した地域、サヘル地帯にあるこの国は北と南で気候条件が大きく違う。
北部はいわゆるサヘル地帯、中部はサバンナで年間降雨量が300〜400ミリほど。雨期は6月ごろからはじまり10月まで。「ドライか、レイニーか、二つの季節しかない」。一方、南部は熱帯性の気候で年間の降雨量は1000ミリを超える。
同国には主要な川が4つあり、ギニアの山中が水源。セネガルも川の名前で、そのほかガンビア、サルームなど川の名前が地域名となっている。
人口約1200万人の70%近くが農業に従事している。
「しかし、GDPのうち農業部門の割合は20%に過ぎません。いかに生産性が低いかということです」。
その大きな理由は厳しい気候条件にある。北部、中部は雨期があるといっても、ある時期に集中して降雨があるかと思えば、ぱったりと雨が降らない日が続く年もある。1970年代、サヘル地域を襲った大干ばつは雨期でさえ計100ミリの雨量だったという。
「20年間に11回の干ばつ。砂嵐で表土が奪われ研究者の報告では50%も豊穣な土がなくなったと言われています」。
栽培作物は周辺国と同様、落花生、綿花、アラビアゴムなど商品作物が中心だが、国民に人気のある米は輸入に頼る。アフリカではナイジェリアに次いで2番目の米輸入量。約85万トンを輸入、そのうちタイから約50万トンを輸入している(05年FAOデータ)。
◆味覚を変えた米輸入
自国の伝統的な食料はミレット(キビ)やソルガムだった。しかし、なぜ国民の主要な食は輸入に頼る米になっているのか。
「それは約200年前の植民地時代に遡ります」。
宗主国フランスはセネガルなどアフリカとインドシナ地域との植民地間貿易を行った。落花生などを輸出する代わりにインドシナから米が同国に入ってくるようになった。
「そのとき何が起きたのか。味覚が変わって米に頼るようになってしまったんです」。
しかもセネガルの人々が好む米は「ちょっと特殊な米なんです」という。代表的な料理「チェブジェン」は米と魚、野菜を煮込んだ料理だが、そこに使われる米は「ブロークン・ライス」。砕米である。タイ米といっても砕米が好まれているという。
都市部ではパリの店頭に並ぶような見事なフランスパンをつくる職人もいるが小麦も全量輸入に頼る。
米の魅力についてはサー大使は「調理が簡単」で女性の家事の負担が減るという点もあったという。都市部で米が普及するだけでなく、農村部にも米が広がった。飢饉に苦しんでも「米ならば安く買えたから」である。米は自国では生産していなくても「非常に大事な食料となった」。
それが国際価格高騰で供給不安が一気に高まることに。
「自分たちで食べる穀物生産はやはり大事だということです」。
◆子どもたちへの教育も課題
同国の農家は平均0.4ha程度の小規模農家。家族は平均で11人だという。サー大使によると、教育格差が問題になっていて、農村部では子どもたちの9割近くが中学校にも行けないという。教育が受けられないため、農業機械などの農業の生産性を上げる知識も得ることができないという問題も抱える。
しかし、「生産性を上げる可能性も出てきているんです」とサー大使は言う。マリ、モーリタニアといった隣国と共同して国際的資金を活用して同国北部に大規模なダムをつくり、徐々に灌漑農地が広がってきたという。ダムは飲料水の確保と発電にも利用されている。
これまでは雨期の水をコントロールする設備がなかったが、ダムができたことによって24万haの灌漑農地が生まれ、野菜、果実、イモなどの栽培も行われるようになっている。
米の生産量も増やし今は消費量の25%ほどは供給されているというが、市場は自由化されているため、これまでは安くて国民の嗜好に合うタイ米になかなか勝てなかったようだ。
もっとも都市部は米が主食であったとしても、サー大使は農村部では米ではなくミレットなどを生産し、そうした伝統的な食料で生活していくことが大事になるという。
「ミレットは栄養価も豊富で昔はみなそれを食べていた。私も米よりもミレットのほうが食べたいし、たとえばドーナツはミレットを使ったほうがうまいですよ」。
今、セネガル共和国では「GOANA」という政策を打ち出している。「Great Offensive to achieve food abundance and self-sufficiency」の略だという。
豊富な食料と食料自給に向けて大きく打って出るといった意味とでも言えようか。自給という課題が明確に意識されはじめた。「自給のために抜本的な対策を打ち出さなければならないと考えています」。
海外への出稼ぎ者は多く、同国の外貨の25%は出稼ぎ者からの送金だという。世界的経済不況の影響で食料だけでなく同国の経済全体が「危機」だと大使は強調する。それだけに仕事としての農業、自給のための生産が求められている。
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◆暴動の背景は何か?
2008年にアフリカ各地で起きた食料暴動の背景には、米、麦などの輸入穀物の高騰と同時に燃料価格の高騰もあった。アフリカでは移動手段は乗り合いバスなど車が中心。また、運送業者にもガソリン高騰が打撃を与え、運搬する食料価格へそれが跳ね返った。
エジプトではパンへの補助金カットが暴動を招いたが、ガソリンも含めた物価高が生活を直撃したことから暴動が起きた地域も多い。たとえば、ウガンダのトウモロコシ高騰は輸送費高の影響によるとされている。
先進国にとっては風邪程度の問題でも最貧国にとっては生活を直撃し「肺炎」を起こしてしまうということを示したといえるだろう。
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「飢え」がなぜ起こるか。一般的に整理すれば、干ばつなどで穀物が生産できない、あるいは牧草が育たず家畜に飼料を与えられないという「食料が作れない」事態と、食料高騰や経済要因による購買力低下で都市住民も「食料が買えない」という事態、さらに「食料が貰えない」事態の3つが考えられる。食料が手に入らない状況になっても国外に脱出し国連から難民として認知されれば食料支援の手も届くが、そうでなければ「貰えない」ために飢えに苦しむことになる。
ただし、アフリカでは飢餓、栄養不足発生の要因は地域によって異なる。
1つは構造的要因だ。これはハンガーベルト(飢餓地帯)と呼ばれるサヘル地帯の気候、土地条件にある。ここはサハラ砂漠南部から赤道にかけての地帯でセネガル、ブルキナファソ、モーリタニア、マリ、ニジェール、ナイジェリア、チャド、エチオピアなどの国々がある。半乾燥地帯で降水量が不安定、干ばつが発生しやすく、そもそも農産物栽培が厳しい慢性的な飢餓地帯である。
一方、サヘル地帯から南は雨量が豊富だ。しかし、ここでは貧困と内戦によって飢餓が起きる。つまり、2つめの要因は政治的要因である。もちろんこれらが組み合わさることもある。1980年代初頭のエチオピアの大飢饉は大干ばつと内戦がもたらしたものだった。
◆市場化の実験場にされたアフリカ
ギニア湾に面した西アフリカ諸国をはじめ、米や小麦を輸入に頼っている国は多い。自国で生産していれば今回のような事態はなかったかもしれないが、実は食料輸入は植民地時代にはじまり、自国の農業としてはコーヒーやカカオなど換金作物に力を入れたきた経緯がある。独立後もそれら第一次産品は先進国に輸出できるからと換金作物生産には力を入れたが、自国民の食料を安定して確保するという政策をアフリカの指導者がとったか。
ミレットやソルガムなど地域で伝統的に食べてきた食料生産を政府が支援し、たとえば国が買い上げるなどの政策はとってこなかったのである。日本では国の研究機関だけでも主食の米のスペシャリストは膨大な数でいるが、アフリカではたとえばミレットやソルガムの研究者はほとんど育ってこなかった。
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なぜ、食料自給という考えが出てこなかったか。
そこには1980年代からのIMF(国際通貨基金)と世界銀行による構造調整政策がある。これは途上国に対して融資を行う条件として貿易自由化と民営化を求めた政策だが、背景には米国の新自由主義エコノミストの主導による世界市場化という意図があった。背後には巨大アグリビジネスが存在し、まずはアフリカで市場化・自由化の実験を行った。日本のように生産者の利害を反映して抵抗の強い国では難しいが、アフリカなら元首とその取り巻きを説得すればうまくいくと考えたのである。
その結果、食料は外国から安く買えばいいとなった。
食料自給政策などは価格メカニズムを歪める、国際分業すべきだ、というお馴染みの理屈を国際機関は押しつけたでのある。
もっともコーヒーなどの生産には融資をしたが、それは外貨を稼がせ借金を早く返させることができるから。農業部門に融資をしたといっても輸出作物が優先された。しかも加工や輸出はしばしば外資が握った。民営化を掲げたこうした構造調整政策では、水、電気などのエネルギーといった公共部門もほとんど外資が握っているという実態もある。日本と同じように「官から民へ」が叫ばれたわけだが、アフリカでは「官から多国籍企業へ」だったといえる。
つまり、構造調整政策によって工業部門は外資に乗っ取られたわけで、雇用も奪われしまい、一方で自国の農業、農村に体系的な政策支援はない。若い人は都会に出ても仕事がなく、故郷に帰っても食えない。だから、夢を求めて小さなボートで命がけでヨーロッパへの密入国をめざす――。これは棄民政策だともいえる。昨今の暴動では「自分たちには未来がない」と石を投げつけている若者もいるだろう。
◆家族農業を基本にした循環経済づくり
しかし、サブプライム問題に始まった経済危機で、実は先進国は自国の救済ばかり考えており、アフリカを助けてはくれないということに気がついたのではないか。食料高騰に振り回されるのはもうやめよう、地道に食料の安全保障を確立していくのが不可欠だと考えはじめた。
農民が人口の7、8割を占め小農のアフリカではプランテーション方式による農業生産で農業労働者として雇用の場をつくるのは非現実的だ。やはり家族経営で食べていける農業を作り出す政策的意志が必要で、換金作物と自分たちの食料生産を組み合わせ、しかも環境上、持続可能な農業をいかにサポートしていくかが課題になる。
これまで農業政策が軽視されたきたのは生産者が組織されていなかったことも理由にある。その一方で食料の輸入業者は儲かるからと利権化していった。
そこに対抗して農業者が力を持つには出荷、販売などを農民が行う自立した協同組合化が非常に大事になっている。また、地域内のニーズを満たす生産・流通の循環システムが必要だと感じる。援助といえば余剰米を送ればいいなどと考えがちだが、私たちはこうしたアフリカの制度、政策的な現実を知って支援を考える必要がある。
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◆食料は「商品」から「戦略物資」に転じた
アフリカの開発途上国のなかには先進国の援助に依存し、その結果、先進国流の経済理論を適用、自国で食料を生産し確保するのはコスト高だと食料安保の確立を放棄して援助や安価な食料輸入に頼っている国も少なくない。しかし、人口増加を考えれば国際社会がそれをいつまで維持できるのか。
現在の自由貿易の根拠は経済学的な比較優位原則に基づいており、これに従うことで最適な生産が実現するという考えである。しかし、この考えは食料が供給過剰の状態を前提としてしか成り立たないのではないか。
農業は自然資源の制約を受ける。それを支える地球環境は地球温暖化をはじめ気候変動に見舞われ、その中でかつてない巨大な人口規模を扶養しなければならない。基本的には食料供給の余力が落ちているとみるべきだが、このような制約条件を考慮に入れず食料貿易の議論が行われている。そこには時間の視点も抜け落ちている。たとえば、水田が破壊されれば回復に当然時間はかかる。食料が不足したとき、すぐに生産して供給するということはできない。
こうした経済外の要因を考えると自由貿易原則でかりに生産の最適化が果たされたとしても、それはみんなが食料を入手できるということを保証するものではない。事実、比較優位、一般均衡理論を展開した学者、アローも最適化が実現したとしても、それは最低生存水準以上で達成されるとは限らない、と指摘している。食べられるという保証がないにも関わらず、市場化を無条件で是とするのか。飢える人が出ても市場第一と考えるのか。
市場メカニズムといっても食料に関しては必要な量が不足すると適正価格という概念は破棄される。実際、昨年は輸出規制も行われた。貿易を論じるときは食料を商品と考えているが、人口増加と気候変動で生産・供給余力が落ちていることを踏まえると、食料は戦略物資に転じていると考えたほうがいい。
◆開発の課題は何か
20世紀初頭の世界人口はわずか16億人だった。その後、人口は増大し現在67億に達している。緑の革命などで食料生産は増加し扶養力も増した面はあるが、現在の貧困人口は20世紀初頭の世界人口に迫っている。
私たちは、食料の国際的な貿易に関する合意は経済原則よりも人口原則で考えるべきだ、と主張してきた。自然環境の制約の中で人々が食べていけることが重要だと考えている。
経済的にみて貧しさの水準が同じであっても国によってその質は違う。たとえば、鶏卵一つを比べてみてもパキスタンの鶏卵の黄身は白っぽいが、ラオスのそれはきれいなオレンジ色をしている。
これはラオスでは緑の資源が豊かで鶏がそれをついばんでいることを示している。こうした国は貧しいといっても、人口が安定化すれば自然資源を利用しながら食料確保する道も描ける。一方、パキスタンなどは自然資源がかなり収奪されてしまっており、そこには鶏がついばめるような緑の資源が不足している。このように開発といってもそれぞれの地域の実状をふまえなければならない。
◆適切な農業生産も考える
そこで、自然資源を収奪する農業が持続可能かということは考えなければならないだろう。
たとえば、食料輸出国ニュージーランドは豊かな自然を誇っている。しかしそこには一次林はほとんどない。白人入植以来、牧草地にするために自然林を伐採、そのうち牧草地にならずに林地に戻ったのが現在の森林だという。つまり、放牧可能な土地はすでに使われているということだ。
ところで遊牧民の人口扶養力を考える際には、その扶養力を羊に換算して考える方法がある。これは牛や馬も羊に換算して計算する。モンゴルでは伝統的に羊200頭で家族4人がまあまあ生活していけるとされる。これをニュージーランドに適用し同国が扶養できる人口を計算すると約390万人となる。現在、ニュージーランドの人口は400万人。つまり、あれほど自然が豊かに見えていても、生態系としてはぎりぎりの均衡状態にあるということになる。
こう考えると、どんどん生産し輸出する収奪型の農業が持続可能なのか疑問であることがわかる。
この自然に恵まれているニュージーランドの農業でさえ、大量生産して競争力のある価格で利益を上げる農業は限界で、本当は質を上げて売っていくことのほうが求められているともいえるだろう。こういう視点から考えればWTO交渉をめぐる議論もかなり違ってくるはずだ。
◆食料輸入は自然資源の収奪
地球の大きさを1000万分の1にすると直径は1.3メートルになる。そのサイズで考えると空気の層は1ミリ、海の深さはわずかに0.5ミリ。このわずかの世界の間に67億人が住んでいる。
この地球の生態系を乱さない形で扶養できる人口は多くても2000万人という推計がある。つまり66億8000万人は自然環境の面からすれば無理して生きていることになる。それを人類は歴史的に自然資源を活用する知恵を出し農業で生きてきた。日本の棚田のように膨大な労働力を必要とし、いわゆる経済的には合わなくても、その土地で生きていくためにそれを築いて維持してきた。自然条件という制約があるなかで、地域ごとの合理性があり、水や国土を守ってきたのだ。こうした農業の背景については、WTO交渉の場では貿易自由化の逃げ道的な位置づけで議論されている印象を受ける。そうではなく農業の特性を考え、市場経済に任せる領域とそうではない領域を区分することが重要だ。
日本の食料輸入は経済力に任せて世界の自然資源を収奪していることでもある。これ以上の輸入は倫理的に許されるか。日本の国民が自分の国で食料をつくるかどうかが問われている。
クリントン元米国大統領、食料自給の重要性訴える クリントン元米国大統領は昨年10月、国連の「世界食料デー」で演説。「食料は他とは異なる」と強調、自分も含め政策を反省し、人口増大と環境悪化のなか各国が食料自給率を高める農業政策を重視すべきなどと訴えた。 |