特集

農協人文化賞 選考委員座談会
組合員のための協同組合をどう再構築するか?

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「集まって強くなる」JA・連合会づくりを 農協人文化賞 選考委員座談会

 第31回農協人文化賞の受賞者が6月5日、同賞選考委員会で決まった。既報のとおり今回は15氏が受賞した。
 農協人文化賞は昨年の第30回を期に「農協運動の仲間達が贈る」賞として新たなスタートを切り、対象部門も広げ、今回も多数の推薦があった。
 選考委員会はこの賞の趣旨である「農協運動の隠れた功績者」を基準に選考したが、これまでも選考委の場では最近の農協の事業と組織、農協運動をめぐる課題についても議論になる。
 そこで今回は選考委員会後に改めて農協をめぐる課題について議論、これも「農協運動の仲間達が贈る農協人文化賞」の取り組みの一環と考えその内容を本紙に掲載することとした。

 

 農協ほど人材が

大切な組織はない


 第31回農協人文化賞の受賞者が6月5日、同賞選考委員会で決まった。既報のとおり今回は15氏が受賞した。
 農協人文化賞は昨年の第30回を期に「農協運動の仲間達が贈る」賞として新たなスタートを切り、対象部門も広げ、今回も多数の推薦があった。
 選考委員会はこの賞の趣旨である「農協運動の隠れた功績者」を基準に選考したが、これまでも選考委の場では最近の農協の事業と組織、農協運動をめぐる課題についても議論になる。
 そこで今回は選考委員会後に改めて農協をめぐる課題について議論、これも「農協運動の仲間達が贈る農協人文化賞」の取り組みの一環と考えその内容を本紙に掲載することとした。ただ、この賞の選考委員は委員長の今村奈良臣東大名誉教授のほかは委員名を明らかにしていないため匿名座談会の形式としたことをご理解いただきたい。(下線部は編集部)

 

◆農業協同組合か、農業者協同組合か?


 今村 今年は第25回JA全国大会を控え大会議案も討議されています。本日は選考委員のみなさんにこれまでの経験から現在の農協をめぐる課題は何か。それを解決する道をどう拓くべきかなど率直に議論をしていただければと思います。まずAさんから課題提起を。
 A 農協という組織を根本から考え直す必要があると思う。たとえば名称は「農業協同組合」で納得できるのか。協同組合は人の集まりだから、「農業者協同組合」ではないだろうか。「農業」の「協同」ではなく「人間の協同」ではないか。
 そのうえで農協の目的は健康で心豊かな暮らし、農業生産の持続的発展、経済状態の改善と社会的地位の向上を図る…などにする必要がある。組合員とは、こうした目的に賛同する農家の成人家族全員とし、家族全員が協同組合のメンバーとして参加しているという組織にすべきではないかと思う。
 出資も自分たちが使うもののために出資するのであって配当を目的にしてはならない。また、組合員には施設や事業を使う権利と同時に義務がある。今はメリットがあれば農協を利用するし、そうでなければ使わないというが、これでは農協が成り立っていくはずがない。農協とは本当に必要なものを自分たちの力で得ていくという組織ではなかったか。業務も組合員が担う部分があっていい。その分職員を少なくする。自分たちがつくった組織であるならば「買う/売る」の関係ではないはずだということも提起したい。総代会では総会とすることも考えたい。

 


◆問われる連合会の役割


 B 今回の大会議案組織協議案は、Aさんの問題提起とは方向がまったく違うと思う。端的にいえば、連合組織のための議案であり、組合員のための、あるいは単位農協のための議案ではない。
 JAの利益が今後、大きく減ることが見込まれるなかそれに耐えられるJAづくりとして提起されているのが「県域を単位としてあたかもひとつのJAであるかのような」事業、のあり方という表現だろう。信用や共済はもともとそういう面はあるが、経済事業では、どうなるか。経済事業はさまざまに展開をしているのに、大会議案では連合組織がつくった県域戦略に沿ってJAが中期計画を立てることになっている。これは問題だと思う。
 C 農協ができたころを知っている世代にとっては、国が食料政策などを遂行するために利用したという官製組織の面も確かにあるが、やはり営農をどう守るか、暮らしをどう守るかということから、農協が必要だとなったという強い思いが原点にある。
 たとえば、鳥取の砂丘地帯では戦後やっと商品作物としてイチゴや大根づくりが始まったが、農協がないから各農家が大八車を引いて村から市場まで行った。しかし、市場に持っていっても値は付かず、帰りに一箱づつ売り歩くという経験をするなかで、やはりどうしても農協がないといけないとなった。
 ところが、もともと農協は農家、組合員が集まることによって強くなるものだったが、経済成長とともにそうではなくなっていった。連合会の問題が指摘されたが、それは連合会がきちんとした役割を果たせなくなってきたからだと思う。たとえば、農協ができたころには生活購買品にはクミアイマークがあって、いろいろなものがあったが、今は市場競争に負けて、生活購買部門は壊滅的になったのではないか。


◆営農と生活を守るを原点に


 直売所のパイオニア「母ちゃんハウスだぁすこ」
C 一方で、農協貯金何億円達成、というように貯金が入ることが信用事業であるかのように農協一体で貯金を集めてきた。事業縦割りが進み農家の営農と生活を守るという原点からずれて、ただ事業推進に走りすぎた結果、全国連が生きるため農協の協力を得るというかたちになってきたのではないか。
 今回の農林中金の増資問題でも、やはり農協の本質をわきまえながら全国連がきちんと機能を果たしていくことが今、いちばん必要ではないかと感じる。
 販売にしても農家が作ったものを農協組織がどう売っていくか、そこはかなり力不足じゃないか。米にしても全国連を通じてほとんど卸に売ってしまいエンドユーザーに売る力がないのでは。やはり農協と全国連がどう提携していくか、つまり、集まって強くなる、という役割を発揮する必要があると思う。

写真:直売所のパイオニア「母ちゃんハウスだぁすこ」

 


◆人づくりから農協の再生を


 D 同感です。私も親の世代から、たとえば農協が倉庫をつくろうというときには農家がみんなで農協ためにと壁土運びなど共同でやっていたと聞かされている。農協のためといいながらも、これは俺たちのため、この地域のためなんだと。こういう思いで農協を作り上げてきた。
 しかし、時代が変わって高度経済成長期には、そうした考えは古いということになってしまった。その高度成長期の歪みが今に至るまで出てきていると現場では感じます。
 だから、人づくりをもう一回根底からやる必要がある。職員、組合員、それから役員それぞれに必要で、人づくりがなければ農協は残っていかないと思う。
 C そういう農協の取り組みを支えるために全国連が競争に勝てる力を持つように立て直さなければならないということを言いたい。

 

◆地域特性をふまえた事業・運動の再構築を


 E 組合員に目線を、とJAは一生懸命やっているが、しかし非常に厳しい会計基準を突きつけられている。事業利益、自己資本比率などなど。2年連続で赤字なら撤退しろ、と。経済事業改革といってもそれは全部つぶすということにならないか。
 中山間地域を抱えるなどJAには地域特性がある。だから、全中に提言したいのは、会計の指標も全国一律ではなく県域で多少は違っていてもいいのではないかということ。それを考えないと、いくら農協は営農活動が基本だといっても動けないという現実になる。
 不祥事防止の観点からコンプライアンスも大事だ。しかしコンプラは浸透したが、職員の目線がコンプラに集中し、現場の人間は少なくなって管理部門がどんどん膨れあがるというのが実態。これでは本来の農協とは、などと言ってみても……。
 そこを見直していかないと。組合員のほうを向いて仕事をしようと思っても、経営のことばかりに頭が行ってしまう。今、経営体は意識するが、運動体として意識はしないというトップ層もかなり出てきていると思う。
 F ただ、会計基準や、経済事業の損益基準などについての一定の指導はやはり理事会や、あるいは組合員と議論するときの説得材料になる。たとえば、農協の事業合理化などに理解を得るときなど。
 これにも取り組まなければ農協運営は厳しくなる。だから一定の指導は必要で、現場ではそれを逆手にとって経営改革を進めている。

 

◆避けて通れない准組合員問題


 F 自分たちの農協なのだから利用は義務と考えるべきという課題提起はまさにその通りだと思う。しかし、現実はJAの事業は組合員にとって選択肢のひとつでしかないという発想。これが現場の悩みだが、けしからん、と言ってみても仕方がない。かといって農協はなくていいのかと言えば、なくなれば困る人は生活にしろ、営農にしろ、必ずいる。だから農協はそういう意味で地域に貢献していると思う。
 そこで准組合員の位置づけも重要になる。地域の現状をみれば正組合員だけで地域が守れるのか、生活が守れるのかと考えると、准組合員の協力、貢献があって農協として組織が運営できているというのが現実だ。
 したがって、准組合員も確保しながら農協を運営し、准組合員の利用の部分で営農事業の赤字を埋めていかなければならない。だから、次の役員改選からは、准組合員の対応策も検討しなければならないと考えている。
 G 大会議案では大転換期という言葉を打ち出しているが、准組合員の問題をどうするかを今回は考えるべきだと思う。組合員が多様化した、変化したと言いながら、准組合員問題にこれまでメスを入れてこなかった。
 自分の県をみても准組合員が半数以上になる。いろいろ言っても農業者だけの農協ではなくなっている。組織の母体、本質が変わってきていることに対して今まで勇気を持ってナタを振るっていない。
 とくに中山間地域のJAでは人口減少で、もう事業は伸びないという現実もある。信用事業は多少増えても、共済事業でも保有高が減っている。
 こういうなかで経済事業体としてのJAをどうしていくのか。これ以上の支店統廃合もできない。職員のリストラもぎりぎりのところまできていて、これ以上カットすれば最低限のサービスもできなくなる。ぎりぎりのところにJAは来ている。

 

◆協同組合の価値を地域に浸透させる

 

 今年6月に東京で開催されたICA(国際協同組合同盟)理事会B 今回の大会議案の問題意識はそうしたJAの現状にあって、議案が提示しているひとつの回答はもう一段の合併だ。そしてもうひとつの回答が県域でのあたかも一つのJA、ということだろう。
 G それは一つの方法だということでしょう。しかし、それだけじゃないはずで、運動体としてどう立て直すかという観点も必要だろう。
 だから、これまでの農協を回復しようということではなく、本当にわが国の人口が減少していくなかで農協も姿は変わらざるを得ないのではないか。原点は変わらないにしても、新しい農協をつくるという気持ちでないと、大転換期を乗り切ることはできないと思う。
 H 最近出版されたJAの組合長10人を丹念にレポートした本を読んでつくづく思ったのは、リーダーがみな組合員とJAとのつながりをいかに強くするかを考えていること。
 地域社会への貢献もJAの課題だが、今、日本の過疎地帯を守れるのは農協しかないという意識もリーダーたちは持っていると感じた。つまり、JAの存在価値をきちんと打ち出して地域の人々にもしっかり認識してもらおうと努力している。
 6月にICA(国際協同組合同盟)の理事会が東京で開かれたが、事務局長は世界全体の協同組合の組合員は増えていると報告した。
 米国発の金融危機からの世界的な不況のなかで、8億人だった協同組合の組合員は約10億人になったという。協同組合の価値が今、全世界で再評価されている。
 I 地域生協を考えると、理事は地域選出であり、私が関わっている生協では男の理事は1人もいない。全員女性。そういう生協のなかで、とくに注目したいのは、東北の農村部の生協では農協の組合員でいながら生協の組合員でもあるという割合が8割という生協もあること。加入した農村部の組合員からは、市場に出せない中途半端な規格の農産物をなんとかならないかという話が出て、それなら生協の店舗で引き受けましょう、と女性理事たちが決めた。生協の店舗に生産者のコーナーを作って、それが農村のかあちゃんの収入になっている。
 農協の会議では、上から来る資料が多い。中央会や県連、あるいは行政からのものもある。そのうえ共済、信用と事業ごとの資料も。理事会といいながらも、実質は資料の説明で終わってしまう。
 ところが、生協は農協組織のように上から来る資料などない。その点で理事会をやっても自分たちの意見が自由に出せるということになっている。学ぶべきことがあると思う。

写真:今年6月に東京で開催されたICA(国際協同組合同盟)理事会では協同組合の価値・優位性をアピール(写真は記者会見)

 


◆組合員とのコミュニケーション


 2006年10月に開催されたJA全国大会
J 広域合併の問題で、今村先生は、農協は面識集団であるはずだ、と指摘している。実際、組合長の顔も知らない組合員がずいぶん増えてきた。広域合併で地域は広がり、事業量も多くなったかもしれない。しかし、中身は薄くなっているのではないか。
 農協は経済事業体であり、農業団体であり、それから協同体だといえる。ところが協同体であることを意識していないトップ層が多くなっているのではないか。職員もそう。それは職員に教える機関がなくなっているから。農協職員の養成機関は北海道以外はなくしてしまっている。
 准組合員の問題を考えると、手っ取り早くいえば産業組合法に戻してはどうか。正組合員と准組合員の区別はしない。漁協も森林組合も困っているから、かつてのようにひとつの協同組合にしてはどうか。職能的協同組合ではなく地域協同組合ではどうだろう。
 K 1県1JAの問題は財務健全化、自己資本の充実という面では役に立っていると思う。しかし、同じ県でも北と南では作物も違えば文化も違う。そういう点で意思疎通が難しいのではないか。やはり郡単位程度のJAにしたほうが、いいJAができるのではないかと思う。
 農協は自分たちで作った組織だという意識が組合員から次第に薄れているのは確かだが、課題は農家、組合員は当然だが組合員でなくても地域住民とのきずなをJAはもっと深めていく日常活動に取り組むことではないか。

写真:2006年10月に開催されたJA全国大会

 


◆協同組合セクターを


 L 経済事業改革のポイントは損益改革だったといっていい。経済事業をいかに自立した事業にするかが指標だった。今回の大会議案も結局、農協の財務の安定化、損益主義が中心ではないかと思う。
 つまり、農協運動の基本的な目標をどこに据えるかが明確ではない。
 そこで准組合員をめぐる議論も踏まえて考えたいのは、これからの農協の組合員とは何か? という課題。
 今の政策的な方向は農業の法人化、大規模だ。一方、農協の実態はそんなことをやっては農協は存続できないので、准組合員を拡大しながら事業を多元化せざるを得ない。そういう政策と農協との矛盾も出てきている。これからの農協運動の目標は何かをもう一度再構築してかなければならない。
 世界では協同組合の組合員は増えているということだが、やはり協同組合セクターというものを将来に向けて整理する必要もある。
 そのために当面、全中が中心になって実践していかなければならないのは協同組合間協同をどう展開するかではないか。各種協同組合との協同組合間協同をきちんと位置づけ、機能分担をきちんと行っていく。そういう提案を全中から行うべきではないか。
 M 組織全体としてグローバリーゼーションにどう対応するかということだろう。しかもマネーを中心にグローバル化が進む。
 これを前提にJA陣営は、いろいろなところで一歩でも二歩でも踏み出していくことが大事ではないか。今はその気迫が不足していると感じる。
 今後は一定の地域で協同組合のホールディングカンパニー的な要素を持った組織がああり、そのもとに農協があり生協があり、というかたちを考えてもいいのではないか。そのうちの一つに教育、広報を専門にする協同組合のセクションがあってもいいのではないか。そのセクションが積極的に人を集めて教育を担っていけば、組合員とのコミュニケーションひとつとってもその重要性が浸透するだろう。

 


◆共益と公益の追求のための協同組合


 年商10億円に到達する勢い JAはだの「じばさんず」B 組合員との接点づくりは、やはり教育文化活動に原点を求めたい。いかに人の輪をつくるか、情報を共有するかに力を入れ、その次に事業が出てくる。そこを欠いた事業推進をすれば協同組合ではなくなるということだろう。それから連合会職員こそ各事業論より、協同組合について学ぶべきことを強調したい。
 今村 今日の議論を私なりにまとめたい。私はかねてから農協については、「共益の追求を通して私益と公益の極大化をめざす」というのが原則だと考えてきた。共益の追求というのがおろそかになってきていることが問題ではないかと思っている。
 私は、大会のたびに「計画責任、実行責任、結果責任」を明確にすべきだと言ってきた。それから、「農協ほど人材を必要としている組織はない」と思っているが、今日の議論でも教育の必要性が強調された。
 農協は人的結合体だから人材をどうするかが不可欠で、それは内発的発展力を備えた人材をいかに増やすか。そのためにイノベーションをどうするのか、誰かに言われてやるのではないということだろう。
 今日は議論にならなかったが、農地問題も非常に重大な課題。しかし、農協は農地問題に突き刺さらない。私は、「所有は有効利用の義務をともなう」というのが鉄則だと考えてきたが、これは農地改革の原則でもあった。つまり、自分が有効に使えなくなったらどう使うか。農協が調整して他の組合員に使っていただくという取り組みが行われていれば耕作放棄地は出ないはずだ。
 農地に基盤を置いた農協がどうしてそれをやらないのか。組合員の状況の変化に合わせて農地利用を考えるのは農協の役割ではないかと思う。
 今日の議論が大会議案の組織協議や、JAグループ関係者の日頃の取り組みに少しでも役立てればと思う。大変重要な御提言と討議、ありがとうございました。

(写真)年商10億円に到達する勢い JAはだの「じばさんず」

 


 

 

戦後の日本と農協・協同組合のおもな動き


1945  太平洋戦争終結、第1次農地改革
1946  第2次農地改革、国際協同組合デー復活
1947  日本国憲法施行、農業協同組合法公布
1948  農協設立、全国指導農協連・全国購買農協連・全国販売農協連発足、消費生活協同組合法・水産業協同組合法公布
1950  朝鮮戦争(〜1953)、農業生産資材の統制撤廃
1951  サンフランシスコ講和条約、農林漁業組合再建整備法、全国共済農協連発足、日本生協連設立
1952  飼料需給安定法・農地法公布、第1回全国農協大会(農協刷新強化、新農業団体反対を決議)
1953  空前の大凶作、第2回全国農協大会
1954  酪農振興法公布、全中設立、全国農業会議所設立
1955  アメリカと余剰農産物協定、ガットに加盟、第3回全国農協大会
1956  国連加盟、農業改良資金助成法公布、新農山漁村建設総合対策、第4回全国農協大会(農協刷新拡充3か年計画の実施等)
1957  国連安保理非常任理事国入り、第5回全国農協大会  
1958  第6回全国農協大会(農協刷新拡充3か年計画の完遂等) 
1959  伊勢湾台風被害甚大、第7回全国農協大会
1960  日米新安保条約、農林水産物121品目自由化、国民所得倍増計画、第8回全国農協大会
1961  農業基本法公布、大豆輸入自由化、畜産物価格安定法公布、第9回全国農協大会(食管制度の堅持、営農団地構想等を決議)、
1964  東海道新幹線開通、東京オリンピック開催、肥料価格安定等臨時措置法公布、第10回全国農協大会(農協運動の刷新強化)
1967  米の大豊作(1445万t)、第11回全国農協大会(営農団地推進、農業基本構想)
1970  総合農政の基本方針決定、農地法改正、米の生産調整実施、第12回全国農協大会(第1次総合3か年計画、生活基本構想)
1971  ニクソンショック、グレープフルーツ・豚肉等輸入自由化
1972  日中国交回復、沖縄返還、札幌冬季五輪、消費者米価統制撤廃、日本列島改造論、全農発足
1973  第4次中東戦争、第1次石油危機、変動相場制導入、米国が大豆等輸出規制、第13回全国農協大会(第2次総合3か年計画)
1974  生産緑地法公布・国土利用計画法公布、「世界食糧会議」、
1975  「総合食糧政策の展開」発表、単位農協の全国連加入方針
1976  水田総合利用対策(〜1977)、ロッキード事件、米飯学校給食開始、第14回全国農協大会(協同活動強化運動等を決議)
1978  農林省「農林水産省」に改称、水田利用再編対策(〜1986)、日米農産物交渉で牛肉オレンジ等輸入枠拡大、米国産サクランボ輸入解禁
1979  第15回全国農協大会(1980年代日本農業の課題と農協の対策)
1980  農用地利用増進法公布、「80年代の農政の基本方向」答申、農住組合法公布、協同活動強化第2次3か年運動
1981  食管法改正、農村地域農政総合推進事業実施、全中「中期全国生産目標」決定
1982  第16回全国農協大会(日本農業の展望と系統農協の農業振興方策、系統農協経営刷新強化方策を決議)
1983  日本海中部地震、三宅島噴火、日本型食生活の提案
1984  韓国米15万t緊急輸入、10a当たりの米の収量史上最高
1985  プラザ合意、男女雇用機会均等法改正、第17回全国農協大会(1980年代後期における農業・農村振興方策、総合力発揮をはかる経営刷新方策など)
1986  東京サミット開催、ガット・ウルグアイ・ラウンド(UR)開始、全米精米業者がアメリカ政府へ提訴、円高不況
1987  国鉄分割民営化スタート、大都市地価高騰、日米農相会談で米市場開放要求、水田農業確立対策(前期、〜1989)
1988  牛肉・オレンジ3年後の輸入自由化決定、青函トンネル・瀬戸大橋開通、第18回全国農協大会(21世紀を展望する農協の基本戦略)
1989  昭和天皇崩御、平成へ、消費税(3%)スタート、自主流通米の入札始まる、ベルリンの壁崩壊、天安門事件
1990  東西ドイツ統一、水田農業確立後期対策(〜1992)は転作面積据え置き、UR決着持ち越し、自主流通米価格形成機構発足、
1991  湾岸戦争勃発、雲仙普賢岳噴火・火砕流被害、生産緑地法改正、ソビエト連邦解体、第19回全国農協大会(農協一21世紀への挑戦と改革)
1992  農林水産省「新しい食料・農業・農村政策の方向」を発表、水田営農活性化対策決定、バブル崩壊、第30回ICA東京大会開催
1993  作況指数74の大凶作、URで米のミニマム・アクセス受け入れ
1994  外国米の緊急輸入(国内の米不足)、UR国内関連対策、第20回JA全国大会(21世紀への農業再建とJA改革を決議)
1995  阪神・淡路大震災、世界貿易機関発足、食管法廃止と「新食糧法」施行、地下鉄サリン事件、ICA100周年特別大会
1996  ヨーロッパでBSE(牛海綿状脳症)猛威、O-157食中毒事件、輸入豚肉でセーフガード発動、野菜5品目で原産地表示が義務化、JA改革関連2法成立
1997  消費税5%に引き上げ、農林水産省「新たな米政策大綱」発表、第21回JA全国大会(農業の持続的発展とJA改革の実現を決議)
1998  金融ビッグバン始動、農政改革大綱決定、長野冬季オリンピック開催、全農と3県経済連統合(宮城、鳥取、島根)
1999  EU単一通貨(ユーロ)誕生、米関税化に移行、食料・農業・農村基本法公布、「米の緊急需給安定対策」「水田を中心とした土地利用型農業活性化対策」の決定、JAならけん(1県1JA)発足
2000  「食料・農業・農村基本計画」の決定、「緊急総合米対策」の決定、WTO農業交渉開始、九州・沖縄サミット開催、有珠山噴火、三宅島噴火、介護保険制度始まる、全共連と47都道府県共済連が統合、第22回JA全国大会(「農」と『共生」の世紀づくり)
2001  国内初のBSE発生、第4回WTO閣僚会議開催(力夕一ル)、アメリカ同時多発テロ事件、中央省庁再編、ネギなど3品目で200日のセーフガード暫定措置発動、全農が合併により27都府県本部体制、全国大会決議実行へ行動計画、農協法改正(業務執行体制の強化)
2002  WTO農業交渉でモダリティ交渉開始、雪印食品偽装表示で解散、偽装事件相次ぐ、農林水産省「『食』と『農』の再生プラン」発表、「米政策改革大綱」の決定、JAバンク発足、JA全国監査機構発足
2003  食品安全基本法公布、雪印乳業など3社が新会社「日本ミルクコミュニティ」に、米国でBSE感染牛発見・輸入禁止、FTA締結に向けた動きが活発化、第23回JA全国大会(JA改革の断行を決議)
2004  国内で鳥インフルエンザ発生、改正食糧法施行、米政策改革スタート、WTO一般理事会で枠組み合意、新潟県中越地震、台風被害相次ぐ、農協法改正(中央会指導基本方針等)
2005  「食料・農業・農村基本計画」を改定、農水省と厚労省が食事バランスガイド作成、食育基本法公布、経営所得安定対策等大綱決定、WTO香港閣僚会議、新生全農を創る改革実行策策定
2006  「食育推進基本計画」を策定、ポジティブリスト制度施行、担い手経営安定新法成立、米国産牛肉の輸入再開、第24回JA全国大会(食と農を結ぶ活力あるJAづくりを決議)
2007  水田・畑作経営所得安定対策(品目横断的経営安定対策)スタート、参議院選与野党逆転、米緊急対策決定、JAさが発足
2008  FAO世界食料サミット(ローマ)、北海道洞爺湖サミット開催、WTO交渉が決裂、米国発の金融危機、生産資材・飼料高騰
2009  農地法改正(平成の農地改革)、第25回JA全国大会(予定)

 

(2009.07.02)