◇厳しい気象でも多彩な農産物
◆◆ アフリカにはどのような仕事で行かれたのですか?
日本に農業関係の研修に来た人たちが現地で普及活動をする手助けをするためです。
国際農林業協働協会(JICAF)が農水省の委託を受けて途上国の人たちを対象に、日本での研修をやっていますが、その成果を現地で活かすための活動です。西アフリカのコートジボアール、ベナン、ブルキナフアソ、ニジェールの4ヶ国の農村を1ヶ月かけて回ってきました。
◆◆ 西アフリカは雨が少ないと聞いています。どのような農業が行われているのですか。
訪問をした4ヶ国は、南はギニア湾から北はサハラ砂漠までの平野となだらかな丘陵地帯です。乾季が12〜3月、8〜9月、雨季が4〜7月、10〜11月と年に2回づつあります。 降水量は海岸に近い南部は年間900〜1100mmありますが北の方へ行くと700〜800mmと日本の1〜2日分とわずかです。気温は南部では年間を通じて25〜27度で過ごしやすいのですが、北部に行くと30〜35度で昼間は40度にもなります。
冬の乾季にはサハラ砂漠から細かい砂を含んだ乾いた強い風「ハルマッタン」が吹きカラカラになります。この風が吹くと都市でも昼間でも霞がかかったような状態となります。
果物はマンゴー、バナナ、パイナップルとトロピカルフルーツが豊富です。主食の穀物はミレット、ソルガムといった日本のヒエ、アワのような雑穀とヤム芋、キャッサバで、コメの栽培も増えています。野菜は水のあるところで栽培されており、トマト、オクラ、キャベツ、ニンジン、北部の水の少ないところではタマネギの主産地もあります。
換金作物の代表はカカオ、コーヒー、綿花で、その他にゴム、パイナップル、バナナ、オイルパーム、マンゴー、カシューナッツなどがあります。
(写真)下:本紙論説委員 原田康氏
◇買い叩かれる農民
◆◆ 野菜、果実はどのようなルートで販売をされていますか。
農家は、自動車はもちろんのことバイクも持っている人は極く少数です。家畜を飼っているところはロバに荷車を引かせ、それもないところでは自転車か頭に載せて歩くのが一般的です。
したがって産地商人が農家を回ることとなります。農家が自分で小売市場の小売店に売りに行くよりも産地商人に売った方が高いとの話を多く聞ききました。
最初は逆ではないかと思いましたが、小売店に売りに行く場合はちょうどそれが欲しい時であれば高く買うが売れ残りの在庫のあるときは、農家が持って帰れないだろうと足元を見て買い叩くといいます。
一方、産地商人はガソリンを使って必要なものを仕入れに来ているので、そこそこの値段を出して満杯にします。情報も、輸送手段もない農家は弱い立場で、産地商人が流通の主役となっているのが実態です。
消費の方はどこの都市、町にもマルシェといわれる小売市場があります。大きな都市では中心部に小売店が何百、なかには1000軒くらいの小売店がひしめいているような大きな小売市場もあります。
一軒ずつの店は2m四方くらいの小さな露天商でいろいろなものを並べて売っています。食料品から衣料品、雑貨などおよそ日常に必要なものはなんでも揃う場所です。電気や水道もない道端まで店が出るので大きなパラソルはさしますが肉や魚は炎天下で埃だらけという店もあります。
小売市場では、売る人もお客も8割くらいが女性。元気なアフリカの女性パワーが発揮されて賑やかです。
農村にも小売市場がありますが週に一回曜日を決めてオープンします。その日は農家が作ったものを自分で並べたり、小売商に販売します。行商人もたくさん来て店を開くのでお祭りのように賑やかになります。農家や農村に住んでいる人は次の小売市場の日まで買い物が難しいのでこの日を待って大人も子供も集まっていました。
(写真)上:コメ栽培は盛んになってきたが、単収は低い
下:マルシェといわれる小売市場。若者たちの働く場にもなっている
(写真はいずれもコートジボワール)
◇米の生産も盛んに
◆◆ アフリカではコメの需要が増え、コメの栽培が盛んといわれていますが訪問した国ではどうでしたか。
日本でもヒエ、アワでなくコメのご飯を食べるため一生懸命にコメを作った歴史がありますが同じでしょう。
川や湖の水のあるところでは水田、水の少ないところでは陸稲を作っています。種籾は自家採取で品種改良が進まず、金がないので肥料や農薬は買えず、栽培技術もまだまだの水準です。
稲刈りをした後も日本ではハザに掛けて乾燥をしましたが当地は雨が降らず乾燥をしているので水田は刈った稲をあぜに並べ、陸稲はそのまま積んでおくのでシロアリの被害が出ています。
このような状態なので平均反収は1haで1.7〜2トンと低く3〜4トン獲る立派な水田もありますが全体的にはまだ低い。外国の支援によるモデル水田は30〜50haの広い水田が見事な田園風景を作っていますが、ほとんどの農家は整地から直播や田植え、除草、刈り取りと35度を超す炎天下の手作業です。
コメの需要が増えたことが、農家の収入に結びつくには品種の改良から栽培全体、流通までの全部のレベルを上げないと実現はできない状況です。
(写真)トラックに満載されたバナナを小売り市場で積み降ろしていた
◇本格的な農協組織はこれから
◆◆ アフリカは農民の組織化が進んでいると聞いていますが、農協ができているのでしょうか。
アフリカの農業に関する報告書には、農民の組織化が進み農協がたくさんできていると書かれたものもあります。今回も現地で確かめてみましたが、農民の組織といっても日本の農協とはかなり違ったものです。分かりやすくいえば「同じ作物を作っている農家の緩やかなグループ」といったところです。
形式的には協同組合に関する法律があり、組合も定款、規約、組合員と用件は揃っていても組合の事務所で専任の職員がいて、経済活動をしているところは例外的でした。ほとんどの組合は職員がおらず経費は会費で賄い、リーダーの組合長さんが孤軍奮闘といった姿です。なかには外国からの支援プロジェクトとしての受け皿として組合を作ったところもありました。
組合が自主的な経済活動をするためには立ち上がりの資金、施設、運営についての公的な支援が不可欠ですが、これらが全部ないので意欲はあっても実際の活動ができない。
さらに当地の人たちは読み書きのできない人が大部分なのでこれも大きなネックです。
西アフリカの各国は1960年頃に独立をしてから48年間も経っているのに、フランスの植民地時代、独立後と、この国の人たちは義務教育を受ける機会がないままに今日まで来ているわけです。
先進国はアフリカへの支援合戦とも云える援助をしていますが、アフリカの人たちが自分たちの努力で豊かな国を築くためには、教育問題一つをとってもハードルの高さを表しています。
日本の戦後のゼロから今日までの歴史を、アフリカの農家、農村が一足飛びにやっている姿を見ると、農協のような組織が必要であることが痛感されます。
日本の農業者の工夫は
現地の役に立つはず
途上国支援を研究する 坂井真紀子さん
原田氏とともに通訳として同行した坂井真紀子さんにアフリカの現状と農業、食料生産の課題、支援の意義などを聞いた。坂井さんは90年代にNGOスタッフとしてチャドで植林などのプロジェクトに関わり、その後パリ第1大学経済社会開発研究所で途上国の調査や開発支援を研究してきた(08年にPhD(社会学)を取得し帰国)。
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アフリカなど開発途上国への支援は必要ですが、現地で感じるのはそれぞれが自分たちの生活を築き上げてきた歴史がある、ということです。自然環境も日本などアジアモンスーン地帯と違って非常に乾燥し農業には厳しい条件の国も多いですが、多彩な農具など独自の技術があります。援助する側はそこをリスペクトする視点を忘れてはいけない。
ただ、自分たちが食べるための食料生産に政府も力を入れて来なかった面があると思います。自分たちで組織をつくり工夫して販売していこうと言っても、そもそもそのための農産物生産があるのかということです。
たとえばチャドは植民地時代に強制的に綿花栽培が導入された。販売先は国営企業です。換金作物ではありますが自給のための農業ではない。国際的な経済の波に翻弄されて生活も不安定になる。やはり軸足を毎日の生活のための農業に置く大切さを感じます。
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チャドでは、現地NGOが自分たちの地域資源を見つめなおしてそこから現実を動かしてみようという活動に出会いました。
このNGOは外部からの援助はまったく受けていません。
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貧しいけれどもまずそれを見つめて、少しでも収量を上げる、家畜を増やす、それを販売すると目標を立てている人々は生き生きしている。そこから農業技術の大切さも分かり興味も持つ。支援はここから生きてくるのだと思います。
アフリカは発展モデルとして欧州の宗主国を考え、日本や東南アジアは視野になかったと思います。しかし、さまざまな発展の形を知ってもらって選択肢を増やしてほしい。
その点で、実は日本の生産者のみなさんのように何を作ってどう売っていくかといったトータルに経営や生活を考えるという苦労は非常に現地で参考になると思います。そのなかで自分たちの食料をどう作るか、自給する部分をどう実現するかも見えてくると考えています。