◇農民票はどう動いたか
総選挙の結果はやはり政権交代であった。このことは十分予測されていたし、そもそも現在の小選挙区制が政権交代を実現するといううたい文句で導入されたのだから、今さら驚くことではない。
ただし、これほどの大差がついたことはやはり事件であった。とくに全面的に自民党を支援した農協組織にとっては大きな衝撃であろう。こうした事態に対する準備がほとんどなされていなかったように思えるからである。
農民票はどう動いたのだろうか。それを直接示すデータはないが、これまで保守の金城湯池のように見られていた農業県で自民党は大敗しており、岩手、福島、新潟、長野、山梨などの小選挙区では一人も当選していない。これまで自民党を支えてきた農村票が大量に民主党に移動したことは明らかである。
こうした事態を前にして、農協はこれからどのような政治的スタンスをとればよいのかというのがここで与えられた課題だが、結論を先に述べれば、私は協同組合として政治的中立の原則を確立する絶好のチャンスがやってきたと考えている。
◇長期政権と草の根保守
そう言うと「農協は中立を守っており、選挙をやっているのは農政連だ」という反論があるかもしれない。だがそれは建て前で、農協が組織を挙げて自民党の選挙に邁進してきたことは誰でも知っている。
しかしまた、組合員の多数がそれに同意してきたことも事実である。農地改革で自作農となった農民は、その地位を守るために、むしろ積極的に保守政党を支持してきた。農民だけでなく、町工場の経営者や商店主などの「小所有者」層が一体となって「草の根保守」を形成していた。
自民党もそれに応えて地方への利益誘導のパイプとなり、「草の根保守」層を固有の支持基盤として育ててきた。
これが自民党の長期政権という、先進国としては特異な日本の政治風土を作り上げ、農協はその中で不可欠の要素となっていた。しかし、こうした構図は次第に空洞化してきていたのではないか。
◇新自由主義による岩盤破壊
小泉内閣の新自由主義路線が自民党の支持基盤を壊したといわれるが、農業、農協についてはもっと早く中曽根内閣にさかのぼる。梶井功はいわゆる玉置発言がとび出した1986年を保守勢力による「農協批判元年」としている。
この年はGATT・ウルグアイ・ラウンドの始まった年で、中曽根内閣は「国際化時代にふさわしい農業政策」を提言した「前川レポート」を受け入れてそれに備えた。同じ年の衆参同時選挙で、自民党の都市部の得票が農村部を大きく上回っていた。自民党は「草の根保守」を切り捨て、財界の党として「新自由主義」に大きく舵を切ったのである。
そして小泉内閣へと続く新自由主義路線は、じわじわと確実に「草の根保守」の岩盤を掘り崩していた。郵政選挙でのマジックも、次の参院選までは続かなかった。そして今回の結果である。農協が自民党を支持する積極的理由はもう残っていないのではないか。
◇民主党支持に切り替えられるか
農協の人はよく「自民党ではなく、組合員の利益のために政権与党を支持するのだ」という。この論理からすれば今度は民主党支持に切り替えるということになる。しかしそれではあまりに節操がないし、組合員も納得しないだろう。
世論調査や出口調査によれば、今回は自民党支持者の3割が民主党に投票したという。この人たちは自民党に反省を促しているのであって、支持をやめたわけではない。「草の根保守」層にはとくにこうした傾向が強いのではないか。
それと地方議会や首長はまだまだ自民党が多数派であり、それへの対応をどうするかという問題がある。「与党支持論」を適用すれば、国政選挙は民主党、地方選挙は自民党などのねじれが至る所で出現し、現場は混乱するだけである。
◇戸別所得補償と日米FTA
それにも増して問題なのは、民主党の農業政策である。参院選ではこの党の「戸別所得補償政策」が農民に強く支持され、勝利の大きな要因となった。しかし今回は突如として「日米FTAの締結」がマニフェストに登場し、所得補償も実はコメを含めた完全自由化とセットなのではないかという不安を招いた。
農業陣営の強い批判を受けて、マニフェストの文言は「締結」から「促進」に変わったが意味は同じである。「コメや重要農産物は外す」というがそれではFTAにならない。現に自民党政権が始めた日豪EPA交渉では、「すべての例外を認めない」という相手の原理主義に泣かされているではないか。
全中はじめ農協からの批判に対しては「既得権益を守るだけの農協の批判など無視せよ」と公言する人もいる。これでは農協が宗旨替えして民主党支持に回ろうとしたとしても、向こうから扉を閉ざされているのと同じである。
◇協同組合の政治的中立
このように見てくると、農協は自民党も民主党も支持できないということになる。しかし、それで困ることはないのであって、もともと政治団体ならぬ経済団体である農協が、組織として特定政党を支持しなければならない理由はない。
日本の農協は事実上の全員加盟組織であり、しかも他の業界団体と異なって法制化された「制度としての農協」である。こうした存在は地方公共団体に準じるような公共性を有していると考えなければならないのであって、政治的中立はその重要な要件である。
このことは農協だけでなく協同組合全般に共通する属性なのであり、国際協同組合原則にも、ロッチデールいらい「政治的、宗教的中立の原則」として明記されてきたところである。この精神がわが国ではひどくないがしろにされてきたのであるが、それはこの原則が国際的にたどった数奇な運命と関係している。
中立原則の削除と復活
実は中立原則は第二次大戦後に一度協同組合原則から外されている。それは戦後、社会主義国および新興国の協同組合が増大し、これらの国に一党独裁の政治形態が多かったため、組合に政治的中立を求めることは困難とされたからである。
しかし、そのことがこれらの国における協同組合の国家権力への従属化をもたらし、協同組合の国際的信用を著しく損ねる結果を招いた。1970年代から80年代にかけての世界的な協同組合の危機は中立原則の削除と深くつながっていた。
わが国でも中立原則が忘れられ、農協や漁協の自民党一党支持がまかり通ってきたのはこのような経過によるのだが、これでは途上国と変わらない。何よりもこうした歴史の教訓に学んで、1995年に改訂された新しい国際協同組合原則には、中立原則が「自治・自律の原則」として復活しているのである。いつまでも知らぬ顔を決め込むわけにはいかない。
欧米の手厚い保護政策
「中立などと言って何もしないで組合員を守れるのか」という疑問が当然でてくるだろう。しかし、政権交代が当たり前になっている欧米諸国では、政治的中立こそが最も確実な要求実現の道になっているのである。
なぜかというと、西欧の二大政党は、イギリスの保守党と労働党のように、煎じ詰めれば資本家の党と労働者の党なのであり、勢力伯仲するとそのどちらにも属さない農民層がキャスティング・ボートを握ることになるからである。二大政党制に限らず、多党化している国でも連立政権をめぐって同様なことが起きる。
だから農協や農業団体はあらかじめ政党支持を明らかにせず、陣営間の農業政策を競わせるのである。農業者の比率が日本より低くても、あの手厚い農業保護政策が実現しているのはこのような事情による。「政治的中立」の代価はきわめて高いのであり、法律で規定するというようなことでなく、農協自らの戦略として積極的に選択すべきである。
◇大きな政権交代のメリット
もちろん何もしないのではない。農業者の要求を明確にし、それに基づいて各陣営の政策を評価し、さまざまな段階での議論を組織していく。一党支持が前提になっていたわが国では、むしろこうした基本的な取り組みが欠落していた。
今回の選挙結果は、日本でも政権交代が当たり前に行われる時代がきたことを示している。民主党が失敗すればまた自民党が復活するだろう。そうした繰り返しの中で、それぞれの陣営の農業政策を競わせ、鍛え上げていく。これからの農協に求められるのはそういう役割であろう。日本農業にとっても政権交代は大きなメリットをもたらすのである。
以上のことはあくまでも組織としての農協についてであって、組合員や職員一人一人にはそれぞれの意見がある。そうした多様な意見を一党支持で封じ込めるのではなく、自由な政治活動と意見交換を保証し、全体としての政治意識を高めていくこともまた協同組合の大切な役割である。
【略歴】
(おおたはら・たかあき)
昭和14年福島県生まれ。38年北海道大学農学部卒業。平成2年同大学教授。日本協同組合学会会長、日本農業経済学会会長、北海道大学大学院農学研究科長、農学部長などを歴任。