途上国の農村開発
協同組織の力が不可欠
埼玉大学経済学部教授(開発経済学) 長島正治氏
フィリピンのセブ島に日本は1970年代から1500億円以上の円借款で開発援助をし、港湾、空港、道路の建設などハコモノを作った。
しかし、03年の調査で都市部の一人あたり所得は開発前より低下したことが判明した(下表)。豊かになるために開発したものの却って貧しくなってしまうという現象で、トダローズ・パラドックスと呼ぶ。
なぜパラドックスは起きるのか? 開発をすれば雇用機会が生まれ周辺農村部からどっと人間が都市に入ってくる。首尾よく最低賃金を保証された職についた長男がいたとすると、次男、三男も都会に出よう、となる。しかし、すぐに職にありつけるわけではなく、最低賃金よりも低いインフォーマルセクターで働き最低賃金が保証された職場に移るチャンスを待つ。そういう人間が増えて全体の賃金水準は下がった。
こうした事態に陥らないようにするには農業生産を上げることが重要だと開発経済学は明らかにしてきた。
タイ東北部の農家への聞き取りでも“バンコクはエキサイティングかもしれないがやはり田舎がいい”という人が圧倒的だった。しかし、食べるために出稼ぎをしなければならない。未だに米が不作になると娘を売りに出すという現実がある。
農村で十分に食べていける状況をつくり上げさえすれば途上国はボトムアップする。
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ただし協力に際してはこんな課題もある。 タイの東北地方の農家は高床式になっていて2階に人が住み下には牛がいる。その牛小屋の横に機織り機があり隣には揺りかごある。
タイの養蚕は100年前、チュラローンコーン大王が米以外の作物を、と桐生の技術者を呼んだことが始まり。日本との協力の歴史があるのだが、それ以降の技術発展はない。そこで私たちは村に作業場を作り集まって機織りすれば効率的ではないかと提案した。
ところが、すべての女性がノー。牛にエサをやりながら、揺りかごを揺らしながら機織りができることに意味がある、作業場に行けば誰が子どもや牛の世話をするのか、と。
つまり、そこにはその地域の社会環境があるのであって経済原理だけで動くわけではないということである。今のスタイルも含めて農村で暮らしたいというのが願いなのだ。
環境といえば自然環境と思いがちだが、社会環境もある。土地に固有なものでそれを壊し別の方法を植え付けるのはもう一つの環境破壊となる。社会環境を維持しながら貧しさからどう抜け出せるようにするかを考えなくてはならない。
そのためにも地域の核となる農協のような組織がマーケットで売れる作物などを指導し
ていくことが有効だと現地で感じる。ただし、教育も医療も大きく立ち遅れているから、農協が肥料を提供して技術指導をしようとしても字が読めない。そこで農協に寺小屋のような機能が備われば住民の信頼が集まる組織になる。教育水準が上がれば子どたちに保健衛生知識も普及し、病気の罹患率が下がって医療環境も改善する。
地域の核となる農業とは、このように人間の安全保障にリンケージしているが、自由貿易一辺倒の議論はこうした現実を無視している。
とくに農村は社会環境として固有の伝統と歴史がある。そこに着目した支援、協力が必要になるが地域に根ざして幅広い仕事をしている日本の農協の経験は多大な貢献を果たせる。
(上表、拡大図)
「自由化が進み、農家を守る農協づくりが
急務になっています」
日本語・クメール語通訳 スワイ・レンさん(カンボジア)
カンボジアは日本の約半分の面積で人口は1300万人。就業人口の約8割が農業に従事、GDPの3分の1を占める基幹産業である。
スワイ・レンさんは首都プノンペンの出身で36年前に機械工学を学ぶために日本に留学。その後、クメール語・日本語の通訳、翻訳を仕事にし双方の交流、研修などに携わってきた。年に5〜6回はカンボジアに帰国する。
レンさんによれば90年代に市場経済が本格的に導入されたが、それにともなって都市と農村の格差が広がってきた。縫製、製靴などの製造業が成長産業になり農村の若い女性たちが都市に出てきているという。
農業は米のほかに多様な野菜が生産されているが、小規模農家が多く地元の市場に出荷し現金を得る形態だ。
「まとまった量を集荷し保冷車などによる市場出荷といったインフラ整備は進んでいない。個々の小さな農家では価格交渉力もなく市場で買い叩かれるが、すぐに現金がほしいというのが農家の実情」。
一方、都会の食料品店に並ぶ一部のブランド米はカンボジア産の米ではあるのだが、5kg、10kgと小ぎれいにパッケージして商品化しているのは隣国のタイ、ベトナムの業者だという。「農協があれば農村に精米工場も持てるはず」とレンさんは話す。
また、都市部では鳥インフルエンザの発生などを機に食の安全性への関心は高まっているが、たとえば農薬の安全性基準などの定めはあるものの検査体制が整っておらず、密輸が多いため安全基準をクリアしているかどうか疑問だと消費者は考えているという。「政府による安全性の証明などの対策が必要」だが同時に、栽培指導や農家のためマーケットに対応できる農協づくりが必要になっている。課題は活動を透明にして信頼を得られるかどうか。「組織が利益をとってしまうのではないかとどうしても農家は思ってしまう」。農家を支援する組織である、ということを「いかに農家に理解させるか。教育も重要なテーマ」だという。
貿易自由化への備えからもそれは迫られる。
カンボジアは1999年にアセアンに加盟した。92年に決定したアセアン自由貿易協定では域内の輸入関税撤廃が最終目標。猶予期間はあるものの農産物も対象だ。新規加盟国である同国も2015年に目標実現が前倒しされた。関税がなくなればいっそうタイ、ベトナムの農産物が入ってきかねない。
「カンボジアは技術立国ではなく農業、農村が基盤。工業品の輸出利益を農業保護に回すこともできず自由貿易はマイナスにしかならないと心配する。だから、信頼できる農協組織を早急につくり、いかに農家が生きていけるようにするかが求められています」。貿易自由化のなかでアジア各地で農村を守る協同組合の役割に期待が高まっている。
(上表、拡大図)