◆なくなっていく横浜の畑に危機感もつ
神大寺(かんだいじ)小学校の校区は、東海道新幹線の新横浜駅から地下鉄で2駅、横浜市の中心街によったところにあり、マンションや集合住宅が次々と建築され、若い世帯が増えている地域だ。そのため子どもの人口も増えている。現在、神大寺小には全学年で830名の生徒がいるが、来年の4月には近隣の小学校の3〜4倍にあたる125名が新入生として入学する予定だと村上美代子校長はいう。
同校では、心豊かな人間に育って欲しいと「心そだてプロジェクト」をつくり、合唱に力をいれるなどの取り組みを行ってきている。その一環として、“地域とのふれあい”があり、地域の産業である農業・農業者とのふれあいも大きなテーマとなっている。
村上校長は前任の小学校(横浜市)で、田んぼでの米作りと収穫後の餅つきを行ない子どもたちに感動を与えた経験から、ここでも農業を教育の場にと考えた。この地域に田んぼはないが、畑は住宅に囲まれながらも残っていて、野菜の生産が行われている。
そうした生産者の一人に三枝浜太郎さんがいる(三枝姓が多いので地元では「浜太郎さん」と呼ばれている)。浜太郎さんは神大寺小の卒業生で、祖父の代から横浜で農業を営んでいる「根っからの百姓だ」。現在は借地も含めて3haの畑で、さまざまな野菜を生産している。
この近辺の生産者はキャベツを主とした露地栽培を行い市場出荷してきたが、近年は野菜価格の低迷と生産資材の高騰などで農家経営が成り立たず、農業を止める仲間が相次ぎ、市内の畑が次々となくなっていくことなどから、浜太郎さんはこれまでどおりに農業を続けていくことに危機感をもった。
(写真)住宅に囲まれた浜太郎さん畑。中央の白い部分で大根を栽培した(グーグルマップより)
◆新たな都市農業のあり方を模索して
浜太郎さんの畑は急な坂道を登りきった台地にある(左上の写真)が、かつては荒れた土地だったところを祖父の代から開墾してつくりあげてきたものだ。だからこの畑を何とか残したいと考えた。その一つの方法として、消費者と共に、野菜作りの道を極める「野菜道場・あらく」をつくり、地元企業などに参加を呼びかける。
「あらく」とは「荒墾」と書き、「荒れた土地を開墾して、新しい畑をつくる」という意味だ。改めて横浜という都市における農業をつくりあげたいという希望を込めた名称だ。
地元の食品流通関連企業2社が賛同し、社員の研修を兼ねて、種まきから栽培管理のすべてに助っ人として参画。収穫された農産物はその企業がすべて買い上げてくれている。
さらにJA横浜市とコープかながわが提携したコープ片倉店の産直コーナーにも仲間と出荷するなど、新たな方向を模索する。そして、どんどん焼きやまゆ玉づくりなど、「あらく」に参画する人たちと、農業に由来する行事や祭りを積極的に行うなど、地域の文化の掘り起こしにも力を入れる。
そうした浜太郎さんに神大寺小が、子どもたちに農業を体験させて欲しいと頼む。
(写真)
上:横浜の百姓・浜太郎さん
下:子どもたちが来る前に畑の準備をする
◆農業は楽ではないし手間暇がかかる仕事
そして平成20年から2年生は秋冬大根の栽培、3年生は麦踏み・などに取り組む。21年も2年生4クラスは秋冬大根の栽培、3年生5クラスは前年度の3年生(今の4年生)が麦踏した麦の収穫と脱穀とさつま芋栽培に取り組む。
さつま芋は残念ながら台風で4クラス分が流されてしまったという。子どもたちはガッカリだが「それが農業だ」と浜太郎さんは教える。そして今年はもう収穫できないということも。そうした苦労を40年以上経験していまの「百姓・浜太郎」がいるのだと話す。
2年2組(担任:大山祐輔教諭)の大根栽培に同行する。校庭の花壇くらいでしか土いじりをしたことがない子がほとんどだ。細かな種を3粒ずつ指の第1関節まで土にいれて穴をあけ蒔くことにも抵抗感をもつ子もいる。
それでも、後日の作業である間引きや草取り、収穫まで必要な作業はすべて体験させる。それは農作業は暑いときもあれば、雨の日も、寒い日もあり、けして楽な仕事ではないこと。手間暇がかかることを「体験して覚えて欲しい」からだ。だから、子どもたちが喜びそうな仕掛けは一切つくらいのが浜太郎流だ。
種まきのときのは、その種がどう育つのか子どもたちには想像することも難しかったと思う。それから約1カ月、間引きをするために畑に来たときに、青々と育った大根をみて子どもたちの目が輝いた。そのときには、1週間から10日ごとに4クラスが作業をしてきたので、かなり育ったものから芽がでたばかりのものまで見ることができ、大根の生育を知ることができた。
(写真)
上:なぜ間引きをするのかていねいに説明する
中:種を蒔く。マルチの穴に立っているワリバシはまだ種を蒔いていない
下:間引いた小さな大根は家に持ち帰りさまざまに調理されおいしく食べた
◆大きく育った大根に子どもたちの目が輝いた
そして収穫の日は、坂道を登りきり畑が見えると歓声をあげながら走り出す笑顔の子どもたちがいた。自分で収穫した大根の葉を菜切り包丁で落とし、水の冷たさも忘れてきれいに洗い学校の給食室まで運ぶ足取りも軽かった。翌日、この大根が調理され、全校生徒の給食となる。そして給食用食材としての買い上げが浜太郎さんの収入となる仕組みだ。
畑には2年生4クラスが植えた大根がまだある。来年の2月まで給食のメニューに合わせて子どもたちの収穫作業が続く。「早くもう一度行こう」と大山先生に迫る子もいる。昨年は収穫作業の途中から雨が降り、そのなかで大根を洗い担いで学校まで寒い中を歩いたクラスもある。そのときがんばったことが子どもを一回り大きくさせたと当時の担任は浜太郎さんへの手紙に書いてきた。
(写真)
上:笑顔で収穫に訪ずれた子どもたち
下:収穫した大根をていねいに洗う
◆本物に近い体験が大きな感動をうむ
できるだけ本物に近い体験をし、本物にできるだけ近いものをつくることで、感動が大きくなり、それがいずれ糧になるはずだと村上校長はいう。
後日、子どもたちが栽培した大根をメインにした給食を、浜太郎さん、村上校長と一緒に教室で食べる機会があった。教室でも廊下でも「浜太郎さん」と子どもたちが集まってくる。子どもたちのご機嫌をとったりはしないが、「百姓」としての誇りをもって、農業の本当の姿を真摯に子どもたちに伝えようとする浜太郎さんの姿勢に、子どもたちが共感し、自然に行動となって表われている。
生産者が誇りをもって胸を張って、自らを農業を語ることこそが「食農教育」だということを教えられた。
(写真)収穫した大根が給食に