◆輸出量を上回るエタノール原料用
米国のトウモロコシ
――薄井理事長はJA総研のホームページのコラム「世界の窓」(※)で「2つの『油』が世界の農業に与える影響」に関する情報を続けて発信されていますが、何を訴えようとしているのでしょうか。
バイオ燃料という『油』と大豆『油』という2つの『油』がさまざまな形で世界の農業と食料供給に影響を与え、それが今後さらに深刻化するとの認識から、日本の農業・食料政策の検討へ素材を提供したいという思いで情報を発信しています。
2007〜08年の穀物・大豆高騰の際にバイオ燃料がマスコミの強い関心を呼びましたが、今では忘れられています。ただし、実態としては07〜09年の3年間にバイオエタノールの生産は米国で61%、ブラジルで16%も増えており、最近ではEUやブラジル、米国などで植物油を原料とするバイオディーゼルの生産の急増が注目されています。
こうした「燃料生産農業」の展開を無視しては世界の食料需給を見通せないといっても過言ではないと考えています(図1、2参照)。
――2つの『油』の影響はどのように広がっているのでしょうか。
バイオエタノール生産で世界第1位の米国では、07/08年度トウモロコシの生産量に占めるエタノール原料仕向けの割合が23.4%と、輸出用の18.3%を初めて上回りました。08/09年度にはこれらの割合が30.6%、15.4%、09/10年度には32.3%、16.5%と、この差は拡がるとみられています。しかも米国農務省は、今後10年間にエタノール用のトウモロコシの量は26%増えるが、国内飼料用と輸出用は両方ともほとんど増えないと予測しています(図3参照)。
もし、この予測が的中するなら、中国などの新興国の需要増によって世界の飼料穀物市場は長期間にわたりひっ迫する可能性が非常に高いといえます。
一方で、2300万トンを超えるジスチラーゼ・グレイン(DDG、エタノール生産副産物の飼料原料)が米国内の畜産農家に普及し、輸出も伸びています。飼料需給に与えるDDGの今後の影響にも注目していかねばなりません。
◆急増するEUのバイオディーゼル
総耕地の15%で原料用菜種を栽培
――ブラジルやEUのバイオ燃料は農業生産へどう影響しているのでしょうか。
砂糖輸出市場の42%を牛耳るブラジルでは、エタノール原料用にサトウキビの約50%が投入され、砂糖価格の高騰要因の1つになっています。EUや米国、中国、それに多くの途上国では砂糖の生産減、輸入増の傾向にあり、エタノールの生産・輸出増と砂糖の輸出増の両方をねらうブラジルに多くの国が砂糖供給を依存せざるをえないという不安定な状況が今後も続きます。
それに注目されるのがEUでのバイオディーゼルの生産増です。05〜08年の間に489万トンから776万トンへ増えてきました。原料の植物油の中心は菜種油で、その原料の菜種生産は過去5年間に70%も増え、菜種油のディーゼル原料用の割合が03/04年度の40%から08/09年度の62%に拡大しています。「燃料消費量の10%をバイオ燃料へ転換」という目標をEUが達成するために必要とする菜種などの原料用耕地は、2020年に1750万ha、総耕地の15.4%におよびますから、小麦やテンサイなどの作付に大きな影響を与えるのは必至とみられています。
現在、世界のバイオディーゼル生産量はバイオエタノールの24%ほどですが、ブラジルでも米国でも大豆油等からの生産が増え始めています。米国とブラジル、EUは中長期的なエネルギー戦略の中に「燃料生産農業」を明確に位置付けました。それに一部の途上国が国家戦略としてバイオ燃料の生産増に取り組み始めており、今後の原油とバイオ燃料の価格次第では、バイオ燃料の「飢餓輸出」国も出てくる可能性があります。
また、非食料由来の第二世代バイオ燃料が将来は現在の第一世代バイオ燃料にとって代わるとの観測はありますが、米国でもEUでもバイオ燃料の供給目標は第一世代の大幅な生産増に将来第二世代が上乗せされるという前提で設定されていますから、食料由来のバイオ燃料が相当長期にわたって中心になります。「燃料生産農業」は後退しないとみておかなければなりません。世界の農業は新しい局面に入ったのです。
(写真)EUでは菜種生産が過去5年で70%も増えた。小麦作付けなどへの影響は必至だ
◆10年間で4倍になった中国の大豆輸入
日本の輸入量の10倍
――もう1つの『油』である大豆の市場は今後どうなると思いますか。
大豆『油』市場では未曽有の大変化が起きています。中国という13億2800万人の人口大国が08/09年度に、世界市場の54%を占める4070万トンの大豆を買い占めました。1999/00年度(1010万トン)からの10年間に4倍に増えましたが、これは日本の輸入量の10倍を超える量です。菜種など中国国内の生産は増えていますが、所得増による食用油の消費増と大豆粕のタンパク飼料原料の需要増に国内供給が追い付けません。中国の大豆輸入は今後も高位安定、中期的には更なる増加とみられています。
これに加えて大豆油由来のバイオディーゼル生産も増えているために、大豆および大豆製品の国際価格が未だに小麦ほどには下がっていません。2つの『油』の展開が他の穀物などの作付面積や価格へ影響を与えるという「作物連鎖」が日本のような食料不足の国に与える影響は計り知れないと懸念しています。
◆食料と燃料が原料を奪い合う
人口大国と輸入国との間でも
――具体的にはどのような『作物連鎖』が出ているのでしょうか。
トウモロコシなどの飼料穀物市場への影響はすでにお話しましたが、トウモロコシの価格次第では低品質の小麦が飼料用へ回され、製粉と飼料の業界が小麦を奪い合うことになります。また、魚粕を含めたタンパク飼料原料の供給はもともと限られている中で、01年からEUはBSE問題で肉骨粉の使用を禁止しました。そのEUではBSEの発生件数が急減して食肉消費が回復基調へ転じ、飼料原料である大豆粕の輸入が大幅に増えており、中国の輸入急増とともに大豆市場の2大ひっ迫要因となっています。
さらに飼料原料を国内で十分に手配できないメキシコやイラン、トルコなどの人口大国が国内の畜産振興に力を入れ、大豆粕などの輸入を100万トン規模に増やしてきました。飼料原料の市場が一部の輸出国の凶作で沸騰する可能性はさらに高まるとみておかなければなりません。
同時に、限られた耕地での「作付競争」が作物連鎖の現象を広げています。米国ではエタノール需要増を見込んでトウモロコシの作付が増えれば大豆は減り、小麦や綿花にも影響が出ます。ブラジルではバイオエタノール仕向けのサトウキビが増えれば、砂糖の国際価格を上げるだけでなく小麦の作付が減ります。すでにブラジルは世界第2位の小麦輸入国です(08年)。ブラジルやアルゼンチンで大豆油のバイオディーゼル生産が本格的に増えれば、大豆の国際市場はさらに窮屈になります。
一方EUでは、バイオディーゼル用の菜種が増えれば、小麦やテンサイの生産が減り、バイオ燃料の原料が不足すれば、植物油やバイオディーゼルそのものの輸入が拡大するでしょう。
窮屈な市場で穀物などの消費者とバイオ燃料の生産工場、そして畜産部門が原料の奪い合いを強めており、しかもこの奪い合いが新興国などの人口大国と従来までの輸入国との間で強まる傾向にあります(図4参照)。
――中国の搾油産業が急速に発展していますが、今後はどう展開するとお考えですか。
過去10年ほどの間に、穀物メジャーが中国沿海州の長江河口地域に搾油工場を次々と建設し、すでに国内搾油市場のほぼ50%を握っています。外資系も含めて中国全体の搾油能力は7700万トン(08年)と、実際の搾油量より1000万トン以上も膨張し、国内中小工場の倒産・統廃合が始まっています。
今後、穀物メジャーは中国の更なる消費増に対応するのか、中国を搾油基地にして日本やインドなどへの供給増に備えるのか。あるいはその両方を狙っているのかもしれません。08/09年度に中国人の植物油の消費量(年間1人当たり約19kg)がついに日本人や韓国人の水準にほぼ到達しました。ただし、香港(41kg)や台湾(27kg)とはまだ大きな差があり、牛肉や鶏肉、淡水魚介類の消費が急速に伸びています。このため、当分の間、中国では大豆油と大豆粕の両方の需要が増えていくと予想され、中国の食のグローバル化が2つの『油』の展開に今後も大きな影響を与えていくと思われます。
◆輸出国の農地劣化で農業生産性が低下
土壌保全に補助金投入する米国
――食のグローバル化の行き着く先はどうなると予想されていますか。
農地という生産資源には面的な制約と質的な劣化という問題があります。新たな耕地開拓には莫大なコストがかかりますし、環境保全という地球規模の課題もあります。世界最大の穀物メジャーのカーギルは「アマゾンの熱帯雨林のこれ以上の破壊に反対する」ことを明確に表明しています。多収穫の遺伝子組換品種の開発や密植による単収増の取り組みは進められていますが、輸出国における土壌浸食など、農地の劣化が危惧されます。
米国では2度の世界大戦と70年代の穀物ブームの3回にわたる大増産で耕地の劣化が進み、1986年から土壌保全に乗り出しました。23年後の09年度でも全耕地の7%、1200万haの農地を休ませるために年間17億ドルもの補助金が投入されています。これこそ、他の農産物輸出国への警鐘と捉えるべきでしょう。
FAOの予測では、1961年以降年率2.3%で伸びてきた世界の農業生産性は2030年までの間に1.5%へ、2050年までの間に0.9%へ落ち込みます。食のグローバル化の行き着く先では生産資源のいっそうの劣化と食の奪い合いが起こりかねません。こうした事態を引き起こさないためにも、食のローカル化、市民と農家の再接近という流れをさらに大きなものへ発展させていく必要があります。
◆先進国で地産地消を軸に食への価値観が変化
大規模農業推進の米国農務省ビルに市民菜園が
――食のローカル化という流れはさらに進むと考えられますか。
米国では09年7月末、ビルサック農務長官が8月2〜8日を「第10回全国ファーマーズマーケット週間」と宣言し、ファーマーズマーケットの利用を全米の市民に呼びかけたのに続いて、8月23〜29日を「全国市民菜園週間」にすると宣言しました。全米の市町村にある学校や教会、公共施設にボランティアの参加も得て野菜などを育てる「市民菜園」を開設しようという呼びかけです。農務省のホームページにはすでに全国各地の取り組み事例が映像とともに公表されています。
1862年に農務省を設立したリンカーン大統領の生誕200年を記念したこの運動は、ミシェル・オバマ大統領夫人が始めた「ホワイトハウス菜園」ともつながって大きな社会現象へさらに発展する可能性があります。
また、全米の直売所は09年6月末に5274カ所と、過去9年間で3倍に増えました。市民が野菜などの定期的なまとめ買い(配達)を代金前払いで農家と契約し中小農家を支えようとする「地域支援型農業(CSA)」に取り組む農家も1万2000戸を超えました。09年春にはCSAの会員希望者が増え、ウェティングリストで待たされる市民も出たと伝えられています。食品汚染事件などを背景に、「バイ・フレッシュ、バイ・ローカル(新鮮な食料を地元で購入しよう)」という米国版地産地消の消費志向は急速に広まってきました。
市民のいっそうの意識変化を先取りしたオバマ政権は09年春、ワシントン市内の農務省本部ビル周辺と別館屋上に「農務省市民菜園」を作り、収穫した野菜等をホームレス支援の組織へ提供しました。「キッチン農園」や「ビオトープ」「有機農園」などのコーナーに分かれるこの「菜園」は、農業の果たす多面的機能などを市民がつぶさに観察できるショーケースとなっています。ビルサック農務長官はこの「農務省菜園」を全米の2300を超える農務省出先機関と90カ所の海外事務所にも開設するよう命じたと伝えられています。
戦後一貫して農業の大規模化をリードしてきた米国農務省の本部に「市民菜園」が登場した。この変化は米国市民の意識変化の投影だと見るべきでしょう。食のグローバル化で引き離された市民と農家が再接近するという現象は先進国を中心にほぼ同時期に発生しました。地産地消を軸にした食のローカル化志向という市民の意識や価値観の変化はさらに広まっていくと予想しています。
日本でも直売所を基地にして多くのJAが食農教育などの多様な地域活動を展開しています。この流れをいっそう強固なものにしていくことが食のローカル化、地域農業の維持・発展へつながる「近道」になると考えます。
そのためにも、各JAが「地域食料対策部」や「地域市民対応部」などの専任部署を設け、地域社会の多様な関係者の知恵も借りながら、市民と農家の再接近のあらゆる可能性と具体策の実施を追求する、そういう時代がもはや来ているのではないでしょうか。
――JA総研としての今後の情報発信活動についてはどういうことを計画していますか。
4月で発足丸4年となります。いままでの研究の成果を総研叢書という形で世の中に発信する準備を進めており、3月末までには最初の数冊を出すことになります。2つの『油』が及ぼす影響などをまとめたものは2月末に出る予定です。戦争がおよぼした穀物貿易への影響や穀物メジャーの関わりの歴史などを振り返りながら、市民と農家の再接近という世界同時発生の現象が持つ今日的な意義と可能性について、農業以外の人々に訴えたいと考えています。出版の際にはご一読いただき、ご教示をたまわれば幸いです。