特集

【第56回JA全国青年大会特集号】日本の明日を考える
座談会「日本の今を考える」
宇沢弘文 東京大学名誉教授
神野直彦 関西学院大学教授
田代洋一 大妻女子大学教授

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【座談会】「日本の今を考える」 宇沢弘文・神野直彦・田代洋一(前編)

・新自由主義とは・・・
・協同的な営みを排除
・市場原理主義批判を
・基本法は農業の工業化
・民主党のビジョンは?
・金持ち減税の帰結は・・・
・消費税と福祉の短絡
・所得税の議論が必要

 座談会は、ため池の水を分かち合うルールを作った空海にまでさかのぼりながら世界史の中の日本を考えた。現代については農業に持ち込まれた工業の論理を覆すような産業が生まれつつあるとの指摘があり、若い人たちへのメッセージとしては「協同」を取り戻していく中で新しい農業を模索していくことが1つの課題になっているとした。また次代のエネルギーは再生可能なエネルギーであり、それに基づいた自然と人間の営みを描いていくことが未来をつくることになると展望した。
 福祉国家づくりも議論した。昭和大恐慌後の英国では社会保障の財源を累進性の高い所得税に求めたが、第二次世界大戦後の市場原理主義が、それを壊し、今の日本でも福祉財源と逆進性の高い消費税の増税を短絡させる議論が横行していると批判した。

「協同」を取り戻して新しい時代へ
農業復活の展望が見えてきた


◆新自由主義とは・・・

 田代 本日は次の4点を軸に、お二人に縦横に語っていただきたいと思います。まず世界と日本の現状をどのように捉えていらっしゃるかが第1点、次に10〜30年後くらいの世界像、国家像、社会像をどう見るのかが第2点、その中で農業・農村はどのような位置になるのかを第3点とし、4点目には青年農業者へのメッセージを贈っていただきたいと思います。
 オバマ米国大統領の「チェンジ」から1年経ちましたが、例えば米国の財政は今、危機的な状況になっています。今後、果たして「ポスト・パックスアメリカーナ」といった時代が切り開かれていくものなのかどうか。宇沢先生にその辺からおうかがいしたいと思います。
宇沢弘文 宇沢 「パックスアメリカーナ」というのは“米国の力による米国のための平和”のことですが、これは日本の無条件降伏によって第二次世界大戦が終わった1945年に始まったと一般に理解されています。
 その前は英国の海軍力によるパックスブリタニカの時代で19世紀初頭に始まり、英国の海賊的資本主義が世界に植民地をつくりました。その特徴的な例がインド、アフリカ、中国で、各国の農の営みや文化、社会を壊して英国の利益になるような形に改変しました。
 その後を受けたのがパックスアメリカーナで、それを特徴づけるのが新自由主義と市場原理主義です。新自由主義は1945年、シカゴ大学のF・A・ハイエクとフランク・ナイトという2人の経済学者がたまたまスイスの避暑地モンペルランで一緒になって話合ったのが発端です。
 2人はナチズムの破壊による荒廃と東欧諸国の共産主義支配を憂えてヨーロッパ文明を守るためにと、モンペルラン・ソサエティを立ち上げます。
 その考え方は、企業の自由が最大限に保障される時に人間の能力が最大限に発揮できるとして、すべての資源と生産要素を私有化し、すべてのモノがマーケットで交換されることによって最適な経済的発展が可能になるとしています。これがネオリベラリズム(新自由主義)と表現され、ヨーロッパの指導者たちの支持を得ました。


◆協同的な営みを排除

 この思想の性格を変えたのが同じシカゴ大学のミルトン・フリードマンで、これが市場原理主義です。人生の目的はもうけることにあるとし、利潤を基準にした考え方を主張しました。
 彼は市場原理主義に抵抗する勢力を軍事力で制圧することを唱え、彼の影響を受けた同大学の経済学者たちが中心になった動きを背景にして、1973年にはチリのアジェンデ大統領が暗殺されるに至ります。
 代わってできた米国の傀儡(かいらい)であるピノチェト政権は国有だった資源を、銅山を除いてすべて私有化し、市場原理主義政策を徹底しました。これに反対する労働組合運動などは徹底的に弾圧され、当時、チリで殺された人は政府発表では約8000人ですが、実際には10万人近くが犠牲になっています。
 これはパックスアメリカーナの象徴的なできごとでした。こうして市場原理主義はグローバリズムの名の下に世界に広まっていきます。その特徴は協同的な営みの徹底的な排除にあり、それを極端に表現したのは英国のサッチャー首相で、ファミリーもない、すべては個人であるとしています。
 市場原理主義は農業について1人々々の農民は独立した存在であり、常に利潤を求めて行動する合理的な経済主体であるという考え方をしています。1960年の日本の農業基本法もこうしたパックスアメリカーナの影響を受けてつくられています。
 話は変わりますが、金融は社会的共通資本として社会の経済的な営みを円滑にするための重要な制度です。ところが金融機関は金融的な節度を破ってもうけに走り、投機的活動に融資して、それが原因で1929年の大恐慌が起きたわけです。
 だから米国のグラス=スティーガル法は、証券と銀行の業務を厳しく分けましたが、1999年にブッシュ大統領はこの法律を廃止して証券と銀行の垣根を取り払うというフリードマン式の市場原理主義的改革を断行しました。


◆市場原理主義批判を

 それは1929年恐慌の教訓を忘れた乱暴で冷酷な改革でした。その帰結がリーマンショックに始まる今回の平成大恐慌になったわけで、社会的共通資本としての農の営みをも犠牲にしました。
 私は農の営みを普通の経済的な営為と考えることに強い抵抗を感じます。農の営みは地域の歴史とともに最適の制度を求めてつくられてきたものです。
 そこに、ある特定のイデオロギー的な制度を導入するなどということはとんでもない話ですが、しかし農業基本法の基本的な考え方はそれなんです。
 だから食料・農業・農村基本法を徹底的に検討し、改めて人間の営為の中で農の営みが一番ノーマルなものであることをもっと声を大にして主張すべきではないかと若い人たちに向けて強調したいと思います。
 “もうけ”という人間にとって最低の基準を中心にするフリードマン的な市場原理主義を、ここで徹底的に批判していかないといけません。
 田代 戦後一貫して新自由主義的な流れが脈打っているが、それは人類とともにあった農業の営みと真っ向から対立するものだという歴史的なお話をしていただいたと思います。
神野直彦 次に日本の鳩山民主党政権ですが、100日を過ぎてガタも出てきました。相撲協会までが少しはチェンジか(笑い)と思われる中で、神野先生には現政権の課題などについて語っていただきたいと思います。とくにご専門との関係で農業・農村と関わる地域主権国家とか所得再配分の問題を含めてお願いしたいと思います。
 神野 宇沢先生がおっしゃるような意味での社会的共通資本と市場経済はうまくバランスとって展開していかなければならなかったのに、パックスアメリカーナの社会では、それを失いかけたということですね。
 パックスブリタニカの論理が農業を破壊していくというお話がありましたが、その論理は工業の論理といってよいかも知れません。


◆基本法は農業の工業化

 人間は命ある自然に働きかけて自分の生存を維持していくものをつくり出していかざるを得ないので、先生がおっしゃったように農業のない世界はあり得ないわけです。
 命は機械で造れません。工業というのは農業の周辺から生まれました。製糸にしろ織物にしろ農業の副業として出てきたのです。農業が殺した自然を原材料にしながら工業というものが独立した産業のように動き始めたのです。
 工業は資本というか機械に働きかけます。したがって、その前提にある生きている自然に働きかける農業が見えなくなり、農業はなくてもよいといったような見方さえ出てきたのです。
 農業基本法は正に農業の工業化で、生産性を上げるのだったらコンクリートか何かを投入すればいいじゃないかといった工業の論理を農業に持ち込んだわけです。
 しかし、その限界が見え始めて、工業化の進展によって、人間の生存に必要な命ある自然をも破壊しそうになるような状況が出てきました。
 それに対するメッセージはどうも市場からも送ってきたようで、歴史を振り返ると、まず大転換を要請したのが1929年の世界恐慌です。それによってパックスブリタニカを最終的に崩壊させ、また軽工業から重化学工業へと工業そのものの構造も転換させました。
 今また構造転換の時代であるとすると、民主党政権が直面しているのは、次は一体どういう産業構造を軸にし、また、どういう国際的な協調体制を築いていくのかという全体の仕組みをビジョンとして提示しなければならないという問題です。
 民主党は新自由主義を、時計の針を逆戻りさせようというような動きであると捉えて、それではダメだと思い始めています。だから自民党とは違った政策を打ち出そうとしていますが、まだビジョンが形成されずに模索の段階にあるといえます。


◆民主党のビジョンは?

 各政党は基本理念にもとづいて基本政策を作り、それがビジョンになって、選挙のためにはマニフェストを出します。マニフェストは選挙のたびに違っていても良いのですが、民主党の場合には、その前提となるビジョンが新しい時代を乗り切っていくようなものになっていくのか問題が多いかなと思います。
 例えば子ども手当にしても宇沢先生の論理なら、子どもは協同的な営みで育てられます。民主党も育児は社会全体の責任であるという理念に基づいて子ども手当ての財源は全体として負担していくのだといいます。
 ところが高額所得者にも出すのかと聞かれると、それは寄付に回してもらうとか、相応の所得があるのに給食費を払っていない親に対してはどうするのかなどといわれると動揺します。これは教育はすべて社会の協同責任だという思想を確立した上での政策ではないからです。
 農業の戸別所得補償制度についても宇沢先生のいう理念のような形でやってくれればいいのですが、どういうビジョンと価値基準に基づいて進めているのかということがあやふやだと今後もおたおたするでしよう。
 この際、一番重要なのは社会的共通資本、これはドイツ財政学をやっている我々の言葉でいえば財政と、その基礎をなすコモンズというか、そうしたものがうまく機能しないから危機に陥っているということで、それを再創造していかなくちゃダメだという展望がまだ確たるものとして形成されていなくて動揺しているというのが現状ではないでしようか。
 田代 教育も農業も社会的共通資本であるということがわかりました。そういう理念に即して子ども手当や戸別所得補償が出されているのかというと、必ずしもそうじゃなくて単に個人に配分されてしまうという感じになって、それではちょっと違ってくるんじゃないか、というお話だったと思います。ではその辺で宇沢先生のご提言をお願いします。

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◆金持ち減税の帰結は・・・

 宇沢 パックスブリタニカの崩壊過程で英国に2人の経済学者が出て、崩壊の犠牲になった人たちをどうやって救うかという問題ですばらしい仕事をしました。ケインズとベヴァリッジです。大恐慌の後の1930年ごろから約30年間くらいを英国では「ベヴァリッジ=ケインズの時代」と呼んでいます。
 ベヴァリッジは日本ではあまり注目されず、私も20年ほど前までは単なる社会改良家と思っていましたが、その後詳しく業績などを調べ、彼の果たした役割の大きさを知りました。
 彼は下院の「社会保障制度に関する小委員会」の委員長に任命されて報告書をまとめましたが、そこには年金、寡婦年金、医療、子ども手当などに及ぶ画期的な制度をつくるプランが盛り込まれていました。
 そして理想的な医療制度などを実現させるに至ります。またそれらの財源は相対的に金持ちにより多くを負担させる非常に累進性の高い所得税の税収でまかなうとしました。
 ところが、その後を見るとですね。1980年代に米国ではレーガン大統領が金持ちだけに減税をして累進性をほとんどなくしてしまいます。その時のスローガンが「トリクルダウン」です。金持ちに恩恵を施すと、それは水のしずくのように貧しい人にも伝わるという意味です。
 またブッシュ大統領も、日本の小泉純一郎首相も金持ち減税をやり、日本ではさらに金融資産取引税も20%だったのを10%に引き下げて高額所得者を優遇しました。その1つの帰結が平成大恐慌です。
 ベヴァリッジが強調したように、累進性が非常に高いことが税制の基本的原則だと思いますが、消費税は逆進性が非常に高い。だから普通の国は食料品とか本とか大事なものには消費税をかけません。非課税です。
 ところが日本では医療にまで消費税がかかる、とんでもない制度です。その上に税率を上げようというのは前代未聞だと思う。にもかかわらず民主党の中に消費税増税の主張が出ているというのはどういうことなのか理解できません。


◆消費税と福祉の短絡

田代洋一 田代 累進制に基づいた税制でもって「ケインズ=ベヴァリッジの時代」の福祉国家が築かれたということでした。オバマさんも金持ち減税をやめる方向に向かっています。
 神野先生は先ほど、日本のあるべきビジョンと理念はどうなっているのかと問われましたが、関連して所得再配分とか税のあり方、そして福祉国家の財源をどうしていくかなどについてお話いただけますか。
 神野 日本ではお題目のように、少子高齢化社会で福祉を充実させるのであれば消費税増税が必要だと完全に刷り込まれています。
 ヨーロッパでは第二次世界大戦中から戦後にかけて極めて累進性の高い所得税が成立していて、それを前提にして、家庭内やコミュニティで出し合っているような育児サービスや養老サービスを充実させていく必要もあるので、そこについては付加価値税を導入していこうか、ということになっています。


◆所得税の議論が必要

 日本では、そうしたヨーロッパの所得税と比較する議論がほとんどなくて、消費税率だけが低いといっています。
 日本の場合、小さな政府にするぞという時に、そもそも日本は小さな政府でしたから、最初に公共サービスを切るぞ、とはなかなかいえない状況でした。
 そこで80〜90年代に減税を先行させることにしました。どうも、そう考えたようです。そこで富裕層に対する減税をやり過ぎたというか、そういう状況になりました。
 そうすると大幅な財政赤字ができてしまうわけで、その原因については、ムダ使いをしているからだという論理になって、その結果、社会的な共通資本まで次々に削減されました。
 そうなってくると国民生活を支えるサービスを出せなくなって、租税抵抗を非常にあおり、逆に負の連鎖みたいなものがつくりあげられつつあるという状況だと思います。

後半に続く

(2010.02.19)