国連ミレニアム宣言と協同組合思想は「同心円」
梶井 国際協同組合同盟(ICA)は昨年末の総会で、世界経済の行き詰まりをもたらした市場原理主義を克服していく運動の新たな展開について決議し、その後、国連は2012年を「国際協同組合年」と決めましたが、これはICAの総会決議が相当の役割を果たしたからだと思います。
ICAの中で最初にこの決議を提案したのは日本の代表団ですから、日本の協同組合活動は結果として国連を動かした形になっているともいえます。
といったこともあり、まず「国際協同組合年」の意義などからお聞かせ下さい。
内橋 このテーマを語るのに私がふさわしいのかどうか……。それにしても、日本の協同組合の実践者たちが世界に先駆けて大きな問題提起を行い、ついには国連を動かすに至ったことは素晴らしい成果だと思います。
今回の恐慌寸前といわれた経済危機のなかで、国連はほとんど傍観者の姿勢に終始しました。戦争、平和、飢餓、貧困、いずれも国連の最大関心事ですが、それらはすべて「経済」に発しているわけですね。
第二次大戦の引き金も、そもそもは1929年の世界大恐慌。各国の通貨引き下げ競争、失業輸出競争、つまりは近隣窮乏化政策に遡ることができます。
マネーの暴走、剥き出しの資本主義がもたらした今回の「100年に一度」といわれるほどの深刻な世界経済危機に対して、それは国連の領域外だというのであれば、いったい何のための国連か、と経済危機の犠牲者は問うでしょう。
米欧、とりわけEUでは厳しい金融再規制、金融節度回復へ向けてアクションが起こされましたが、際限もなく膨張するマネーの自由を放置したままでは、再びの危機が世界を襲う危険を避けることはできません。私はいまも「世界経済危機は去っていない」といい続けています。
逆説的な表現になりますが、問題提起したJJC(日本協同組合連絡協議会)は国連に対して、あるべき対応姿勢、その方向性に向けて背中を押したともいえるわけで、歴史的意義は大きかったと思います。
◆「内なる貧困」撲滅も焦点に
梶井 国連には様々な計画とか課題などがありますが、大きな流れとしてはどうなんですか。
内橋 今年は9月20日から3日間、国連総会(ミレニアム開発目標首脳会合)が開かれました。振り返ってみれば、今から12年前の1999年9月、同じ国連本部で「国連ミレニアム・サミット」が開かれ、やがて始まる「21世紀」に向けて「ミレニアム(千年紀)宣言」を全会一致で採択しました。
189カ国が参加する史上最大の首脳会議となったもので、その内容は、当時のコフィアナン国連事務総長とそのスタッフが3年もの長い時間をかけて準備を進めてきたものでした。
今年9月に開かれた会合は、この11年前の「ミレニアム宣言」にうたわれた8項目の課題のうち、とりわけ「(3) 開発と貧困」に盛り込まれた「2015年までに、世界で収入が一日一ドル未満の人々の割合、および、飢餓に苦しむ人々の割合を半減させる…」を主題としたもので、もっぱら「貧困の撲滅」、なかでもサハラ以南の貧窮国への支援・救済に焦点が絞られたものです。
しかし、忘れてならないのはこの「ミレニアム宣言」では同時に「私たちは国内レベルでもグローバルなレベルでも、貧困撲滅に資する環境を整備することを決意する」(「(3) 開発と貧困」)、「グローバル化は、現在のところ、その恩恵は極めて不平等に共有されており、その代価は不平等に配分されている」(「(1) 価値と原則」)と宣言していることです。貧窮国の貧困だけでなく、先進国での「内なる貧困」の撲滅も課題であること、さらに「あるべきグローバル化」とは何か、きちんと提示したことですね。菅直人首相は多分、この「ミレニアム宣言」の精神にまでは思いを致すことなく出席したのではないでしょうか…。
「ミレニアム宣言」ではグローバル化は、「共有の未来を作り出そうとする努力を通じてのみ公平なものとなる」ともうたっています。それから11年、グローバル化の歪みがここまで大きくなるとは、コフィアナン氏もよもや想像しなかったでしょう。いま「共有の未来への努力」という旗をどう守るか、です。
梶井 協同組合についてはどうですか。
◆「共生セクター」育成に期待
内橋 二つある、と思います。一つは同宣言の「(8) 国連の強化」の項において「民間セクター、非政府組織(NPO)および市民社会全般が、より多くの機会を与えられる」ようにしなければならない、としていること。それと関連して二つ目に、当時もグローバル化のもとで肥大化へと、突進していた「マネー」に対するウォーニング(警鐘)が底流にあり、21世紀世界はいかにマネー資本主義への「対抗思潮」を築いていけるか、その成否が世界経済秩序の基盤をも左右しかねない、そう見通していたことですね。
この二点からしましても、前世紀の終わりに、すでに協同組合原則にも通じるしっかりとした思想性を、全地球的規模で確立していこう、そういう願いが「国際協同組合年」へと国連を動かした背景にあったでしょう。
梶井 協同組合思想の重要性が意識されていたわけですね。
内橋 連帯、参加、協同を原理とする「共生セクター」の育成と成熟への期待ですね。ミレニアム宣言の母胎となったのはUNDP(国連開発計画)の「グローバル化と人間開発」(1999年版)です。これはアマーティア・セン教授(1998年ノーベル経済学賞受賞者・当時ケンブリッジ大学教授)の説く「ケーパビリティ論」(人間の潜在的能力開発論)が背骨となって生まれたもので、同じ年に出された国連「ミレニアム宣言」に強い影響を与えました。
セン教授がノーベル賞を受けて2年後にジョセフ・スティグリッツ・元世界銀行主席エコノミストが同じノーベル経済学賞を受賞しますが、この二人には共通の強い思想があります。
それは、ともにIMF(国際通貨基金)、世銀の「ビッグバン・アプローチ」(新古典派的開発戦略)に対して批判的であったということです。
ビッグバン・アプローチというのは、通貨危機に見舞われた途上国などに対して、IMF、世銀が緊急支援を行うわけですが、支援と引き換えに被支援国に対して急激な市場化、国有企業の民営化、労働保護規制の撤廃などを求める、つまり新自由主義的改革を強要するというIMF、世銀、それに米財務省を加えた「ワシントン・コンセンサス」といわれるものです。
これに対してセンもスティグリッツも、IMFのコンディショナリティや世銀の構造調整プログラム路線ではなく、本来の「人道主義的支援」の原点に立ち戻るべき、と強く説いてきました。両氏は今日の悲劇、世界経済危機の勃発に対して十分に予言的であったと私は思います。
(写真)国連総会風景=米国ニューヨークの国際連合本部
モデル地域設定し「理念型経済」の現実化へ
もっと高めよう協同組合の社会的認知度
◆求められる人間中心の経済
その後、2001年にヨーロッパで開かれたリスボン会議(ヨーロッパ社会経済会議)では、こうしたアメリカ発のグローバル化に対抗して地域社会に根ざした人間中心の経済、新しい社会経済モデルを築いていく、という強い決意が表明されています。よく知られている「社会的経済」への道ですね。
どれも協同組合に通じる思想であり、マネー主導のグローバル化に「待った!」をかける対抗思潮として、これから真価を発揮していくでしょう。
梶井 国連のミレニアム宣言と協同組合思想はまさに同心円といえますね。
内橋 そうですね。研究者の間では例の「レイドロー報告」(1980年)がよく引き合いに出され、余りにも有名ですが、アレクサンダー・レイドロー(カナダの協同組合指導者・研究者)がモスクワ大会で報告し、採択された「西暦2000年における協同組合」は、国連の「ミレニアム宣言」の精神を10年以上はやく先取りしたところに意義があった、ということもできます。
レイドロー報告は飢餓の克服、雇用の創出、持続可能社会の実現などを協同組合の取り組むべき優先課題としてあげていますが、なかで「協同組合コミュニティの建設」を説いている点に高い価値をみなければならないでしょう。私は、これを「市民資本の形成」の必然を説いたもの、といってきました。宇沢弘文先生の説かれる社会的共通資本のなかの制度資本を含む大きな概念です。
「競争する市場は常に公正、公平である」と説く市場原理主議にたくみに乗っかり、その実、利が利を生むマネーの利益に与(くみ)し、各国のいっさいのマネー防波堤を破壊するのに手を貸してきた学究者たちの言説と、この「レイドロー報告」や国連の「ミレニアム宣言」に盛られた精神を並べて、鋭く検証することを勧めたいですね。
さらに、レイドロー報告から12年後、東京で開かれた第30回ICA大会(1992年)でのS・A・ベークの「変革期世界における協同組合の基本的価値」は、ベーク氏(当時スウェーデン協同組合研究所長)が3年間、世界中を回り、いろいろな協同組合を訪問し、討論会やシンポに参加してまとめた超長文のものです。第6章の冒頭に、「生活協同組合コープこうべ」の元理事長・高村勣氏のことばが紹介されています。当時は、ヨーロッパの生協は各地でトラブルを起こし低迷しており、日本の生協はめざましく伸びていた時代です。
「協同組合にあっては(より多くの人びとの)参加が効率を高める」と高村氏は協同組合に必要な事業性と運動性の両立を説き、ベーク氏は「協同組合における経済的効率性とは何か」について述べています。協同組合は民衆の乏しい蓄えのうえに築かれた資源を活かすために、また住民の弱い部分への奉仕をミッションとするがゆえに、その限りにおいて「効率的経済」の追求が基礎的政策にならなければならないと論じてますね。「経済的効率性の意味を注意深く検討して、協同組合の価値と一致する方法をとらなければならない」と。
梶井 そうした思想性がとくにたいせつです。レイドローの指摘した3つの危機のなかでも、特に「思想の危機」に対する回答は不十分です。
内橋 そうですね。レイドローは協同組合の陥る危機として信頼、経営、思想的危機という3つの危機を問題提起しました。日本では「危機の3段階論」とか「危機の3相論」など、解釈をめぐっていろいろあるようですが、協同組合の現実をよくみれば、それらは別個の危機としてあるのではなく、そのうちの一つが、他の、それぞれの原因であり、同時に結果にもなることも、明らかです。
先ごろの中国製ギョーザ中毒事件のように、ひとたび信頼が損なわれれば、たちまち経営的苦境に見舞われる。その背景には思想性の危機があるわけです。
思想性の危機が信頼性の危機を招き、信頼性が揺らげば経営の危機が始まります。
ひろく知られているところですが、日本生活協同組合連合会(日本生協連)は、2005年4月、「グローバル化路線」へと舵をきりました。「日本の生協の2010年ビジョン」(「農業・食生活への提言」検討委員会答申)は、グローバル化の進展をもって消費者の利益と位置づけたものです。なかで、たとえば「農業者を財政支援するのであれば、農産物輸入に課せられる高関税を下げ、内外価格差を縮小せよ」(概略)と。国産の農産物、食糧もアジア並みの安値で提供すべき、と迫っています。
◆「貧困スパイラル」に歯止めを
WTO体制のもと、存亡の危機に立つ零細な農業者と消費者との「連帯」でなく、両者を対立軸の左右に引き裂きました。協同組合として日本農業と食糧の安全、安心を守り抜き、食の自給圏の確立をめざすことが、真の消費者利益につながる、との理念も思想も語られなくなったように思います。
岩手生活協同組合連合会の会長理事・加藤善正さんはじめ内部批判に抗しつつ、あえて打ち出したのが(1)低価格路線の商品開発・調達力の強化(2)海外生産地の開発(3)組織の大規模化―などを柱とするビジョンでした。揚げ句、ギョーザ事件です。
問題の冷凍ギョーザは、原料から製造、包装に至るまですべて中国メードでありながら、「CO・OP 手作り餃子」と表示しました。「手作り」の「手」とはいったい「だれの手」なのか、と当時、私は批判したものです。
梶井 当時は、まさに小泉構造改革の最後の火が燃え盛った時代ですね。
内橋 いま触れました岩手生協連の加藤さんは『「協同組合らしい生協運動」の再構築を願って』のなかで「日本生協連は、かつて21世紀理念研究会において、グローバリゼーションを礼賛し、運動という言葉は生協運動という以外は使わず“活動”に統一する、という路線を決めて全国の生協を指導した」と厳しい批判の意見書をまとめておられる(2010年5月)。
早いころから、私は「貧困スパイラル」といってきました。それは低賃金→購買力衰退→低価格品に依存→安い開発輸入品が国内市場を席巻→いっそうの賃金下落へ、という循環です。生活者はいつもいつも「もっと安いもの」を求めて奔走せざるを得なくなり、さらなる貧窮化へ。この循環が貧困スパイラルです。中国での農民工の劣悪な低賃金構造などが明るみに出るにつけ、生協に寄せる市民の信頼は急降下し、ひいては、ひろく協同組合なるもの全体への信頼まで損なわれた。残念な結果になってしまいましたね。
「貧困スパイラル」のエンジンを噴射させる側でなく、歯止めをかける側に立つ。国境を超える運動性と事業性の両立という、本来、困難覚悟の営為のなかにこそ、「共生セクター」の核を担う協同組合の基点が輝いていたのではなかったのか。当時、私はそのように書いたのですが…。
◆後追いからの脱却を図って
内橋 とりわけ在京の大手メディアは協同組合に対して、たいへんに冷淡です。冷(さ)めた眼で見ています。マスコミのなかにいる私自身の実感です。なぜなのか。協同組合にかかわるもの全員がみずから、もう一度深く問い直すことが求められているのではないでしょうか。
梶井 そういえば国連が協同組合年を決めた時も、その前にICAが総会決議をした時もメディアは報道しませんでしたね。
内橋 実行委員会発足の日の記者会見でも、協同組合関係紙などを除いて一般紙、一般メディアは皆無でしたね。長年レギュラーをしてきたNHKラジオの番組で私が話したのが唯一ではないですか。これでは市民権がないに等しい。社会的認知を得るのが難しい。これが偽らざる現実でしょう。
梶井 食の安全などでJAはじめ協同組合を頼りにする市民組織も多いのに、なぜ社会的な認知が広がってこないのか、そこを考える必要があるということですね。
内橋 市民を振り向かせる力、国を振り向かせる力、それをどのようにして日本の協同組合は内に育てていくのか、もう一度、考えなければ、と思います。
何よりも「3つの追随」からの脱却がたいせつではないでしょうか。
第一に行政の後追い、第二に市場の後追い、そして第三にグローバライゼーション(世界市場化)の後追い、からの脱却ですね。
梶井 協同組合の役割はますます重要なテーマになってきています。それにふさわしい協同組合のあり方を求めなければ…。
内橋 現代社会に生きるすべての市民は切実に協同組合を必要としています。
そういう現実にきちんと向き合える協同組合であって欲しい、と。人びとの願いというものにどう応えていくのか。少なくとも“協同組合人”には欠かせない問題認識のあり方だと思います。
協同組合とは何か。先人たちの足跡を追う専門家も必要でしょうが、それにもまして、いま、この市場万能、市場至上の世界にあって協同組合とは何か。まずは自分の頭で考える、自分のことばで話す。とりわけ協同組合職員は…。行政官僚でもなく事業経営者でもない“協同組合人”が、いつの間にか「民僚」(経団連の事務局幹部はそう呼ばれた)化してしまったのではないか。リーダーと事務局幹部の資質と力量、思想性を厳しく問うたのが、先に触れたS・A・ベークでした。
協同組合とは何よりも「力なきものの力」(the power of the powerless)であること。次に、協同組合とは古い地縁共同体でもなく、まして企業のような利益共同体でもない、「第三の共同体」であること。私は「使命共同体」と呼んできました。めざすべきミッション、目的、志を同じうするものの共同体だ、と。
三番目にあらゆる協同組合に望まれることですが、「自覚的消費者」をどう育てていくのか。自覚的消費者というのはたとえば「ものの値段は安ければ安いに超したことはないが、しかし、それはなぜ安いのか」、そう問う消費者のことです。価格のなかに何が込められていて、何が入っていないのか、ですね。
梶井 自覚の上に立った国際協同組合年の取り組みが期待されますが、全国実行委員会の代表としてはいかがですか。
◆市場至上主義者の攻撃は続く
内橋 まだ具体的な像が浮かんでこないのですが、東京だけとか、まんべんなく全国で、というのでなく、最適のモデル地域、たとえば次のアジア太平洋地域総会の開催地に決まった神戸など数カ所を選び、それぞれの地域紙と強く連携しながら運動を根付かせ、市民社会にひろく協同組合を認知してもらう、など。100人もの実行委員会ですが、ずらり有識者を集めた「名ばかり委員会」にならないように、じっさいに催事の詳細を決め、実行していく幹事会との意思疎通が欠かせないでしょうね。その仕組みをきちんと考える事務局であって欲しい、というのが、私の最大の願いです。
市場至上でなくマネー万能でもない、公共の市場化に対抗できる「理念型経済」の現実化ということでしょうか。
梶井 なるほど。モデル地域を設定し、そこで協同組合運動を展開して、どういう理念型経済が形成されつつあるか、その意義をどう考えるか、を議論してもらうというわけですね。
内橋 協同組合に対する市場至上主義者からの“いわれなき攻撃”は終わっていません。現政権も含めて…。しっかりした対抗思潮を築くときです。
梶井 昨年のJA全国大会決議は「新たな協同」を打ち出しましたが、「新たな」とはどういうことなのかはっきりしません。しかし理念型経済の形成に向けた取り組みのモデルを設定するといった具体的な提起があれば「新たな協同」のイメージもわいてきますね。(終わり)