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緊急特集[2] どうするのか? この国のかたち―TPP、その本質を問う

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【TPPを問う】「関税」が食料安保に貢献  辻井 博・石川県立大学教授(京大名誉教授)に聞く

・二極化する世界
・途上国農業に打撃
・食料安保を破壊する
・国際価格高騰を招く
・飢餓人口増やす米の輸入

 FAO(国連食糧農業機関)とWFP(世界食糧計画)によると2010年の世界の飢餓人口は9億2500万人と推計されている(9月14日、FAO)。2009年の10億2300万人より9800万人減った。これは08年以降の食料価格の下落と途上国の経済発展によるものだという。
 しかし、11月17日にFAOが公表したデータによると、世界の穀物生産量は前年比2.1%減の見込みで食料価格は再び上昇に転じており、FAOは食料増産がなければ国際価格はさらに上昇する可能性があると指摘した。
 今回、TPP問題で農林水産省は日本が農産物の関税を完全撤廃すれば、たとえば国産米の生産は9割が壊滅すると試算しているが、これはFAOなど国際社会が求める食料増産に逆行する選択となる。
 農産物貿易の自由化は世界の食料安全保障にどのような影響を与えてきたのか。京都大学名誉教授の辻井博・石川県立大学教授に聞いた。

TPP、日本の参加で飢餓人口増も懸念


辻井 博・石川県立大学教授(京大名誉教授)◆二極化する世界


 グラフ1は世界を途上国と高所得国に分けて、農畜産物の純輸入額の推移を示したものである。辻井教授が作成した。
 右斜め上の方向に推移してきた線がアジア、アフリカ、非EU諸国といった途上諸国の純輸入額の合計である。これらの国々では1975年ごろから純輸入額が急増していることが分かる。
 一方、右斜め下方向に推移している線が、高所得国の北米、南米、オセアニア、EU諸国の合計だ。グラフは純輸入額を指標にしているからマイナスで推移しているが、これはすなわち、純輸出額が急増してきたことを意味する。
 「食料輸出国は輸出を伸ばし、その影響で途上国は自国農業が壊滅し輸入が増えた。この図は世界が2つに分かれたことを示している」と辻井教授は話す。

世界を途上国と高所得国に分けて農畜産物の純輸入額の推移を示した図(辻井教授作成)
◆途上国農業に打撃


 農産物貿易の自由化は1970年代から始まり、GATT(ガット、関税と貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンド交渉(1986〜1994年)の合意でそのルールが決まった。UR合意をもとに設立されたのがWTO(世界貿易機関、1995年)で2001年から始まったWTO交渉がドーハ・ラウンドである。
 加盟国が153か国となったWTOの農業交渉では、自由化か農業保護かをめぐって、農産物輸出国と輸入国、先進国と途上国の対立が続いてきたが、このグラフはその対立の理由をはっき示しているともいえる。
 このように農産物貿易自由化はアジア、アフリカ諸国の農業生産を減らし自給率を低下させた。その背景には米国、EU、豪州などの大規模農業が、農業保護政策もあって低価格の食料生産を増やし、途上国の農産物市場を圧倒したことがある。


◆食料安保を破壊する


 農業が中心の途上国では農業生産を増やして食料安保を確保することが課題なのに、輸入農産物が国内市場を席巻したために、農民は生産意欲を失って疲弊し、さらに昨今の食料危機・価格高騰で飢餓人口を増やす事態に陥った。
 ただし、このグラフが示す世界の大きな傾向には当てはまらない国がある。
 それは日本だ。高所得国でありながら日本は農畜産物の純輸入額が増え1984年以降、世界1位である(05年376億ドル)。周知のように食料自給率も低下した(1970年60%→2009年40%)。
 これも貿易自由化による国内価格の低迷が大きな原因だと辻井教授。理由は、輸出大国と経営規模と生産費に大きな格差があるから。
 辻井教授によると、米国の稲作経営の平均規模は約500ha。これに対しタイは6ha、インドネシア0.5ha、日本1haである。
 1tあたりの生産費は日本はタイの20倍、米国の10倍、インドネシアの7倍程度で、日本で稲作の経営規模を10倍にしても生産費は28%程度しか下がらないというのが辻井教授の試算だ。大規模化すれば生き残れるというが米国やタイの稲作とは「まったく競争できない」(辻井教授)(グラフ参照)。
 アジアやアフリカ諸国が貿易自由化のなかで農業生産を減少させなければならなかったのも経営規模の格差が要因である。しかし、それは地理的・歴史的な制約である。

2001年タイ白米第2次コメ生産費構造比較
◆国際価格高騰を招く


 07年の世界の穀物生産量は23億t。このうち約15億tは世界各国の約10億戸の小規模家族農家と約40億人の農民によって生産されているという。
 これらはもちろん地域での自給自足を目的に生産が行われている。自由貿易による低価格の農産物輸入は、こうした自給的農業を脅かしてきた。食料安全保障には貿易促進が重要との主張があるがそれは妥当なのか。
 農水省は日本がTPPに参加するなどして農産物関税を完全撤廃すれば米では9割の国内生産が壊滅すると試算している。
 国内の主食用米需要を800万tとすれば700万t以上が外国産に置き換わることになる。試算によれば関税ゼロになり、さらに品質格差が解消すれば1kg247円(60kg1万4820円、06〜08年3年平均の全銘柄相対価格)の国産米が、同57kg(=60kg3429円)の外国産米に席巻されることになるという。
 この場合、700万t以上を海外から輸入することになるが、世界の米の貿易量は生産量4億4000万tのうち3000万tに過ぎない(09/10年見込み、米国農務省)。
 米の最大輸入国はフィリピンで220万t。そのフィリピンは08年の世界的な食料危機の際、深刻な米不足になって日本に対しミニマム・アクセス輸入米による支援を求めてきたことがある。抗議デモが起きるなど社会不安を経験した同国は、この年に100%の米自給をめざす方針を打ち出した(本紙HP JAcomニュース08・5・19)。
 こうした事態を振り返れば日本が米を海外に依存することは現実的なのか?。農地確保の限界のほか、世界の単収は伸びていないという事実もある。米の単収増加率は1980―89年は2.59だったが、90―99年は1.11、00―05年は0.69となっている()。

世界穀物単収増加率の推移
◆飢餓人口増やす米の輸入


 日本が全量ではなくとも関税ゼロによって米の海外依存を高めれば、米を主食とするアジアなどの人々への影響は大きい。
 日本国内では輸入によって米の価格は下がるかもしれない。ただし、日本の嗜好に合わせた米の生産量が増えることで他の品種の生産量が減ることになれば、「世界の米全体の価格をつり上げることになる」と辻井教授は予想する。
 アジアで米を主食とする人は約20億人。このうち「約10億人が米だけでカロリーを摂取している」。したがって、米の価格が上昇すれば飢餓人口が増える可能性もある。
 こうしたことをふまえれば基礎的な食料の生産は国際的にも極めて重要であることが分かる。
「関税をかけることは悪いことだというイメージがあるが、実は関税によって各国が基礎的食料生産を守ることは、飢餓人口をこれ以上増やさないことにも貢献する、ということをもっと考えるべきでしょう」と辻井教授は強調している。

(2010.11.26)