日本の食を守る「貿易障壁」
◆日本の安全基準は「貿易の障壁」だ
TPPに日本が参加した場合、いままで以上に多くの農畜産物やそれを原料とした農産加工品が輸入されることが予想される。
しかし日本は、国民の生命と健康を守るために、食料となる農畜産物や食品に対してさまざまな規制を行っている。それは田畑で栽培される段階から、収穫されて流通されたり、さまざまな形に加工されて食卓に届くまでの各段階におよんでいる。
例えば、農産物の生産に必要な農薬の場合、農薬として使用するためには農薬取締法(農取法)に基づいて農薬登録を取得しなければならない。そしてその農薬をほ場で使用するためには、農取法で定められた使用基準を守り適正に使用することが生産者に義務づけられている。
収穫された農産物には食品衛生法で定められた基準を超えて農薬が残留していると、一切販売することはできない。
外国で生産された農産物の場合、ほ場や生産工程を日本から監視することはできないが、輸入されてきたときの残留農薬の濃度が、日本の食品衛生法で定められた基準内かどうかを検疫所で検査し、基準を超えたものは日本国内に持ち込むことができない。
日本へ輸出しようという国・企業のなかには「日本の安全基準は厳しい」、これは「非関税障壁」で貿易の妨げになっていると考えているグループがいる。その代表が米国だ。
◆農薬の残留基準の緩和を
東日本大震災が発生する1週間前の2月28日から3月4日まで東京で開催された「日米経済調和対話」事務レベル会合で、米国が日本に示した規制緩和などの要望事項には、通信や情報技術、知的財産権などともに「農業関連課題」として、食品の残留農薬基準の緩和を以下のように要求している(1)。
▽残留農薬および農薬の使用:日本の最大残留基準値設定に関わる農薬の審査、農薬の収穫後利用に関わる枠組み、基準違反に対する執行政策など、未解決な農薬関連の問題に対処することにより、新規に開発されたより安全な農薬のさらなる利用を促進し、日米両国の政府関係者の協力を促す。議論では、国際的な基準と慣行が考慮されるべきである。
これは、94年〜08年まで毎年、米国が日本へ規制緩和や構造改革を要求する「年次改革要望書」を提示してきたそれを踏まえた内容だといえる。
ここでいう「日本の最大残留基準値設定に関わる農薬の審査」とは、0.01ppmの一律基準を含む、残留農薬基準の設定が不満だということだろう。そして「農薬の収穫後利用に関わる枠組み」とは、後でもふれるがポストハーベスト農薬についての規制緩和・使用拡大を求めていることであり、その後の「基準違反に対する執行政策」は、日本の規制に違反すれば一切陸揚げもされないことに対する不満だと想定できる。
◆全ての月齢の牛肉輸入再開を
また、米国の通商代表部(USTR)は、毎年連邦議会に「外国貿易障壁報告書」(NTE報告書)、「衛生および植物検疫に関する報告書」(SPS報告書)および「貿易の技術的障壁に関する報告書」(TBT報告書)を提出しているが、これらの報告書は、関税や各種の規制など相手国がとっている政策を勝手に、米国にとっての「貿易障壁」として取り上げていると日本消費者連盟の山浦康明事務局長は指摘する。
食品の安全にかかわる問題では、SPS報告書で、牛肉および牛肉製品について20カ月齢以下のものしか米国から輸入していないが、OIE(国際獣疫事務局)のステータス評価で「管理されたリスク国」(「無リスク国」ではない。日本も同じ)である米国のすべての月齢の牛肉および牛肉製品の輸入を再開するよう要求している。
さらに、米国産冷凍フライドポテトの大腸菌の基準が厳しいので日本に輸出できなかったと不満を訴えているという。そして「自分の違反事例を棚に上げ、加熱するから大丈夫だなどとの乱暴な主張を展開している」と山浦氏は指摘する。
また、日本では遺伝子組換え食品に表示を義務付けているが「表示が義務化されていることから安全が低いという印象を消費者に与える。表示を付けるためにコストがかかる」から「貿易障壁」だと、日本を非難している。
ここには、日本の国民が「食の安全」についてどのように考えているか。その歴史的な背景や食文化についての理解はいっさいなく、彼らのビジネスの「障壁」を取り除きたいという身勝手な要求だけが、恥じらいもなく並べられているといえる。
◆コーデックスなど国際基準に則って
だが、米国にとって都合の悪い日本の規制は、日本が自分勝手に決めているわけではない。WTO協定などに基づいて「各国が、食品の安全性を確保したり、動物や植物が病気にかからないようにしながらも、公正な国際貿易を担保するための国際的なルール」に則って決めているのであり、それは米国もEUも同じだ。
そのルールが、WTO協定に含まれる協定(付属書)の1つであるSPS協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定だ(2)。
この協定は、検疫だけではなく、最終製品の規格、生産方法、リスク評価方法など、食品安全、動植物の健康に関する全ての措置を対象としている。
各国は「食品の安全」については、FAOとWHOにより設置されたCODEX(コーデックス)委員会、「動物衛生及び人獣共通感染症」はOIE(国際獣疫事務局)、「植物防疫」はIPPC(国際植物防疫条約)が作成した国際的な基準、指針や勧告(国際基準)がある場合、原則としてそれらに基づいたSPS措置をとることになっている。
◆科学的根拠に基づいて独自基準の設定も
WTOでは国際的な基準や指針、勧告がある場合はそれを使うことを奨励している。その方がWTOの紛争で提訴される可能性が低くなるからだ。その一方で、「科学的に正当な理由があれば、より高い基準をもたらす措置をとることもできる」「アプローチに一貫性があり恣意的でない限りは、適切なリスク評価に基づいてより高い基準を設けることもできる」し、「科学的な不確実性に対処するために、一種の『安全第一』のアプローチである『予防原則』をある程度は適用することができ」、SPS協定では暫定的な「予防」措置を認めている(第5・7条)(3)。
SPS協定でも、加盟国が「科学的に正当な理由がある場合」には独自の基準を定めることを認めており、日本も「科学的に」基準を決めていると厚生労働省食品部基準指導課の茂野雄城課長補佐。
実際に、EUも米国もこのSPS協定に参加し、国際的な基準や指針、勧告に基づいて自国内の法規制を確立している。農薬の残留基準についても、コーデックスの基準に各国とも準拠しているが、個別の農薬ごとにみれば、必ずしも残留基準は同じではない。一般的には、EUや日本がもっとも厳しいと思われているが、個別にみれば日本よりも米国の方が基準値が低い(厳しい)農薬があるのも事実だ。
◆ポストハーベスト農薬をもっと濃い目に
食品添加物についても同じことがいえる。米国は「経済調和対話」で「FAO/WHO合同食品添加物専門会議(JECFA)によって安全と認められており、かつ世界各国で使用されている46種類の食品添加物の審査を完了することにより貿易を促進する。現在、6種類の食品添加物の審査が終了していない」といっている。
米国やEUなどで使用が認められているが、日本ではまだ認められていない添加物を使った加工食品は日本に輸出することができない。これは「貿易障壁」だから「早く認めろ」。そうすれば他国に輸出するのと同じ規格で日本にも輸出でき、効率的でコストも安くでき、儲かるというわけだ。
また、収穫後の農産物を輸送するときに、カビや虫害を防ぐための薬剤は、日本では食品添加物として扱われている。同じ薬剤がほ場(生産のために)で使われる場合は「農薬」で、収穫後のポストハーベストとして使われる場合は「食品添加物」となるが、日本ではその残留基準は同一に設定されている。
したがって、農薬としての残留基準が、一律基準の0.01ppmなら、ポストハーベストの残留基準も0.01ppmとなる。太平洋を船で渡ってくる農産物を例えばカビから守るためには「もう少し濃い目に使いたい」というのが米国の「農薬の収穫後利用に関わる枠組み」要求の狙いだろう。
◆輸入食品違反が多いのは中国、そして米国
厚生労働省の「輸入食品監視統計」(4)をみると平成21年度の輸入食品の「食品衛生法違反事例」件数は1559件(延べ違反1641件)にものぼる。もっとも多いのは、残留農薬基準違反など「食品又は添加物の基準及び規格」違反(食衛法11条)で848件(51.7%)、次いでカビ毒アフラトキシンの付着や腐敗・変敗・カビの発生など「販売を禁止される食品及び添加物」(同6条)で507件(30.9%)。また、酸化防止剤であるTBHQやメラミンなど「指定外添加物を使用した」(同10条)ものが74件(4.5%)もある。
また違反の多い国は中国387件(全体の24.8%)、次いで米国187件(12.0%)となっている。TPP参加予定国のベトナムに83件、オーストラリアに13件の違反がある。
◆さらに食の安全を高める作業が
日本は平成18年5月29日に農薬のポジティブリスト制を施行したが、そのときまでに残留基準が定められていなかった農薬について、コーデックスなど国際基準や欧米に基準があるものはそれを参考に暫定基準を設定したが、そうした農薬が758あった。そのいずれでもない農薬は、「人への健康を損なうおそれのない量」として、一律0.01ppmを基準として定めた。
現在、暫定基準を設定された農薬について見直しが行われており、図はその流れを表したものだ。新規農薬の登録の場合も、図の厚生労働省の前に、農薬登録に必要な試験やそれを審査する段階があるが、残留農薬の基準値についてはこれと同じ流れになる。また食品添加物についても同様の流れとなっている。
現在、758農薬のうち、見直し済が127、食品安全委員会評価終了56、同委評価中193で、同委に未諮問が382ある(4月28日現在)。こうした作業でさらに食の安全が高められていくことになる。
◆「もっとも緩い国の基準を採用すべき」と米国
だが、TPPに参加すると輸入食品に対する残留農薬基準の緩和が求められることが予測される。さらに、TPPの作業部会では、国ごとに異なる食品衛生の基準は参加国全体で整合性のある制度に改め、商取引の利便性を高めることが検討されているという。
米国政府は、日本の残留農薬基準策定時のパブリックコメントで「コーデックス基準などではなく主要生産国の基準値を参考にして欲しい」「外国基準を参照する場合は平均値ではなく最も緩い基準値を採用すべき」(5)との意見を臆面もなく寄せている。ここにTPPの本当の姿がある。
彼らにとっての「貿易障壁」は、私たちにとっての「食の安全」を守る大事な障壁だということを忘れてはならない。
【ことば】
(1):「日米経済調和対話」における「米国側関心事項」は、駐日米国大使館HP→政策関連情報→翻訳文書一覧→3月4日 で日本語仮訳版と英文全文が読める。
(2):「SPS協定」は、Sanitary and Phytosanitary Measures(衛生と植物防疫のための措置)の頭文字をとったもの。正式には「衛生植物検疫措置の適用に関する協定」と訳されている。
(3):WTOの「基準と安全」についての考え方は、農水省HP→消費・安全→WTO/SPS協定 で日本語訳を読める。SPS協定の全文やSPSに関する情報もこのサイトに掲載されている。
(4):「輸入食品監視統計」は、厚労省HP→政策について→分野別の政策一覧→健康・医療→食品→輸入食品監視業務→監視指導・統計情報に、年度別に掲載されている。
(5):「TPP(環太平洋連携協定)に関するQ&A」(農林中金総合研究所)より