新しい社会経済樹立への先達たち
JA全農前代表理事専務 加藤一郎 氏
◆二つの潮流のぶつかり合い
年ごとに農協人文化賞は注目をあびてきている。特に今年の第33回は東日本大震災の年として、歴史的にも重要な年に行なわれる表彰式となった。
我が国の社会経済はデフレ脱却、高齢化社会に向けて、二つの対立する潮流のぶつかり合いの真っただ中にある。ひとつは市場開放を核とした新成長戦略であり、輸出の増大を必須としTTPを推進する潮流。もうひとつは、都市と地方の格差是正、環境保全を重視した循環型社会経済戦略の潮流である。
◆国家は辺境の地の興亡する歴史に学べ
「国家の興亡は辺境の地が生命線となって左右される。国家が滅びるときは、物事が中心に集まってくる。おのずと、辺境から滅んでくることになる。辺境の地を粗末にすると、国家が滅ぶ。新たに国が興ってくるときには、中心に集まらず、辺境の地に核ができてきて、そこから新たな文化が生まれる。辺境の地に注目すべきものがある」。(NPO法人ふるさとテレビ)は冷厳な歴史的事実であり、直面する都市と地方の格差是正・震災復興は最優先課題であり、新たな社会経済のあり方の提起でもある。農業は農村社会を基礎とした産業であり、また環境保全の母体でもある。農村社会は、神野直彦東大名誉教授のいわれる「コモンズ(社会全体で管理する資源)であり、共有地としてのコモンズには人間関係のコモンズが存在する」そのものである。グローバリゼーションがコモンズを破壊し、環境の危機、社会の危機、経済の危機をもたらしてきているのではないか。
◆「本社発の戦略論対体育会系戦略論」
農業は食料生産に加えて、環境と自然・景観の保全、生物多様性の維持、農村文化の継承の役割を果たしている。そのことが農の論理と倫理を形成してきた。一方で工業・商業もイノベーションを核として独自の論理と倫理を形成した。さらに、藤本東大教授は「海外の主流は、米国流の“本社発の戦略論”であり、まず収益をだすという目的から出発し、その手段を考える。これに対して日本古来の“戦う戦略論”は、日々の現場の鍛錬が成果を生むという“体育会系戦略論”であった。この戦略論の対立も加わり、二つの「論理と倫理」も「二つの潮流」のぶつかり合いに激しさを加えてきた。
◆農業と他産業との「懸け橋」機能
しかし、大震災はあらためて「絆」と「助け合いの精神」の大切さを提起し、地域資源を活用した再生可能な自然エネルギーの農業への活用など「六次産業化」「農商工連携」「産官学連携」の取り組みが、「スマートシティ」「スマートビレッジ」構想として農業と他産業との「対立」から「融合」への道筋をとなえる論調も急増してきた。農業と他産業との「懸け橋」機能こそがJAグループの求められている機能だと思う。
◆先達の方々に贈る言葉
毎年、開催している全農剣道全国大会(今年は39回大会)で歌われる「剣の友」という「JA剣道歌」がある。この歌は故村田一雄師範(全農OB)が約30年前に作詞した歌詞の一節をここに記載する。
「緑の大地に翻る 我がJAの旗印構えありて構えなし 剣の奥義を学ばんと 我がJAに集いたる 一期一会の剣の友
試練の嵐が荒ぶとも 協同の鎖ゆるぎなし 我がJAに集いたる 一期一会の剣の友
JAグループ肩を組み 理想の道を進むべし 千せんの千堂々と 静動一如と礼を知る」
「剣の友」を「わが友」と置き直せば、系統結集と協同組合運動歌としても今日的な歌であると再認識しました。
「農協人文化賞」は「農協運動の仲間たちが贈る」自立性の高い文化賞であり、最高の栄誉です。受賞者は新しい社会経済樹立への先達者の皆様です。
「JA剣道歌」を連帯の気持ちを込めて農協人文化賞受賞者の先達の皆様に贈りたいと思います。一期一会の精神を大切にして、我々のご指導をお願いするとともに、今後のますますのご活躍をご期待致します。
地に足がついた連帯の構築を
生活クラブ生協連会長 加藤好一 氏
第33回農協人文化賞の受賞者の皆様、心からお祝い申し上げます。この賞が33回の歴史を重ねてきたことを思うにつけ、これまで受賞されてきた皆様方のご努力はもちろんのこと、この賞に関わる関係者の皆様方全体のご尽力に対し、まずは敬意を表します。かつ昨年は、当会の河野栄次前会長が、一般文化部門特別賞をいただく栄誉に預かりました。あらためて感謝申し上げます。
この賞が表彰の対象とする各分野について、私のような門外漢があれこれ論評できる立場にありません。今後とも協同組合間協同の発展をお誓い申し上げることが、精一杯のお祝いの言葉だと思っています。しかし、2012年は国連が決めた国際協同組合年であることに鑑み、少し言葉を足してみたいと思います。
◆新自由主義がもたらす危機と苦難
ICA(国際協同組合同盟)は1980年の大会で、A・F・レイドローがまとめた「西暦2000年における協同組合」という歴史的な報告を採択しました。この報告はいまなおその多くに共感できますが、ここでは、この報告が提起された1980年当時をレイドローがどう見ていたか、その歴史認識について注目してみましょう。レイドローはそれを、「危機と苦難の時代の入り口」と表現したのでした。
この「入口」とはどのような意味だったのでしょうか。それは何といっても「新自由主義」の登場であり、それが重大な歴史的転換点であることを、レイドローは敏感に感じ取っていたはずです。こうして「市場」が万能であるとされる時代の幕が開け、その結果「経済」だけが突出し、人や自然や地域が利潤や効率の犠牲にされる時代がやって来る。そう予感したレイドローは、そのような時代だからこその、協同組合としての固有の役割を強調したのでした。
◆新自由主義がもたらした災禍
レイドローがそのように問題提起して30年以上が経過しました。「新自由主義」「市場原理主義」を標榜する人たちがもたらした「世界」はどうなってしまったか。彼らは自分させよければいいという姿を露骨にさらし、目先の利害(利潤)だけを優先し、「自己責任」を声だかに強調します。それは過酷なグローバリズムの進展と相俟って、人びとを寄る辺なき「孤独」の淵に追い落とし、私たちの生活や生命を脅かしています。彼らが大切にする「経済」はこのように世界中に混乱をまき散らしています。
このようななかで東日本大震災が起き、しかし政治は足の引っ張り合いで復興のためのリーダーシップがほとんど見えないなか、すでに半年以上が経過してしまいました。それでもなんとか東北や北関東の生産者が復興に向けがんばろうとしている矢先、またぞろTPPの問題が、野田政権のなかで急浮上しています。その議論の中身は相変わらずの「バスに乗り遅れるな」でしかありません。「行先はわかりかねますが、乗ってから考えましょう」。政治にあってこんな議論が許されていいはずがありません。TPPは「出口」にならず、人びとが真に求める「出口」の模索が、いま早急に求められています。
◆たぐり寄せたい協同組合の新たな可能性
ところで国際協同組合年に当たり、日本でもその全国実行委員会が結成され、その代表に経済評論家の内橋克人さんが就いておられます。その内橋さんは、国連が定めた2015年までのミレニアム開発目標(2000年)との関連で、国際協同組合年について問題提起されています。
この目標は、貧困と飢餓の撲滅など、「新自由主義」がもたらした世界的な危機の進行を抑制するべく掲げられたものです。しかし食料問題の一層の悪化や、暴走する投機マネーがもたらしている金融危機などにより、その目標達成は困難になりました。だからこそ国連は、政治セクター(政府)の無力と、投機マネーに象徴される私的セクターの暴走を制御するために、協同組合セクターの役割の重要性を訴えました。そしてとりわけ、農業(食料)と金融における協同組合の役割の重要性について強調したのでした。
こういう事態をどう受け止めるべきか。これこそいま協同組合人に課せられた問いです。その応えは、協同組合が協同しあい「協同組合セクター」(市民セクター)としての存在感を発揮することの自覚に立って、良質な大同小異の連帯を築き、政治への要請を含めて協同組合セクターの形成(「出口」)を展望していくことでありましょう。かつそのことは、地(地域)に足がついた裏づけのあることだからこそ意味があり、であればこそ農協人文化賞の歴史と現在は、価値あることが確かです。受賞者の皆様、あらためておめでとうございます。
農協運動の発展に向けて
東京大学教授 鈴木宣弘 氏
いま、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)問題とも絡み、日本における「強い農業」とは何かが問われている。単純に、規模拡大してコストダウンするだけでは、適正規模が1戸1万haというようなオーストラリアと同じ土俵で競争して勝てるわけがない。そもそも立地条件は悪いだから、「少々高いけれども、モノが徹底的に違うからあなたのものしか食べたくない」という消費者との関係を作れるかどうかが鍵を握る。
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自発的な地域プロジェクトがいろいろな地域で立ち上がっているのは注目される。そこに農林水産業があることによってその土地が守られ、環境が守られ、観光産業も含めて関連企業も成り立つ。商店街もコミュニティも成り立つ。全国にそういう地域が広がっている。それを地域のみんなが自覚し、どうやって地域の食と農を役割分担して支えていくかについて考える地域が増えてきている。このような「絆」こそが、ホンモノにホンモノの値段を形成し、本当の意味での「強い農業」につながる。そういう流れを強化するためのトータル・コーディネーターとしての役割が農協組織に期待されている。
一方、集落営農などで、他産業並みの給与水準が実現できないためにオペレーターの定着に苦労しているケースが多い中で、十分な所得を得られる専従者と、農地の出し手であり軽作業を分担する担い手でもある多数の構成員とが、しっかり役割分担しつつ持続的に発展できるような経営モデルの確立のために、農協自身がさらに積極的、主体的に、現場をリードしていくことも求められている。
さらには、近年の農業所得の低迷の大きな要因の一つが、生産・流通・小売の間のパワーバランスの不均衡にある点を見逃してはならない。
それを是正し、「買いたたき」による農業所得低迷を解決するのは、農協組織の大きな役割である。農協設立の大きな目的の一つはこの拮抗力形成にあった。
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個々の農家の販売力、取引交渉力が、農産物の買い手である卸売業者、加工業者、小売業者等に対して相対的に弱いので、不当な「買いたたき」に合わないように、独占禁止法の適用除外として、組織的な共同販売(共販)を認め、対等な取引交渉力 (拮抗力)の形成が期待されている。
こうした農協の役割について、「独占力の行使は悪である」かのような視点から、好ましくないとする見解が研究者の中にも多いが、私は間違いだと思う。大いに「正当な」独占力を強化して、農業生産サイドに正常な取り分を回復することこそが「正義」である。
なお、農協は、「信用」、「共済」、「厚生福祉」などの幅広い事業を総合的に担うことによって、農業経営のみならず、農家の生活、そして、准組合員を含む地域住民全体の生活を支え、地域コミュニティの持続的発展に大きく寄与している。こうした農協の幅広い総合的機能は、今後の日本の地域社会の存続に不可欠な役割であり、農協の役割を狭く捉えるのではなく、こうした「地域協同組合」としての役割を大きく評価すべきではないかと思う。
そして、言わずもがなではあるが、どんな組織も忘れてならないのは、「組織が組織のために働いたら組織は潰れ、拠って立つ人々のために働いてこそ組織は持続できる」ことである。「農協栄えて農業滅ぶ」はもってのほかであるし、そもそも、農協だけが栄えることはできない。「農業滅びて農協滅ぶ」になってしまう。
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今回の大震災では、何カ月も経っても、各地の現場では言葉を失うような大変な状況が続いた。あまりにもたくさんのものを失ったけれども、現場の皆さんは、何とか自分の土地で、生活と経営を立て直そうと必死で努力されている。そのための現場のプランもあって、何とか自分たちの力で再建しようと、歯を食いしばっておられる。
それに対して、農協組織も含め、いろいろなところからのボランティア的支援は届いているけれども、国の予算はなかなか届かない。使い勝手も悪い。義援金はどこに配られているのか。原発の補償もまだわずか。今後、どこまでしっかり補償するのかもはっきりしない。それに基づいて、現場が「よし、これならやっていけるぞ」と希望を持てる光がなかなか見えてこない。
こうした中で、「できたコメが風評被害で売れないかもしれない」と悩む農家に、「農協が何とかするから大丈夫だ」と言える農協の存在が本当に助けになる。
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以上のような課題について、全国の農協組織は、たいへんな努力をして取り組んでいる。
その中でも、顕著な成果を上げている方々の努力を称え、その取組みを、皆で励みとし、また、一般国民にも農協の取組みへの理解を深めていただく機会にもなる、この農協人文化賞は非常に意義が大きい。受賞者の並々ならぬご尽力に心から敬意を表し、これからも先頭に立って、地域農業、地域社会、ひいては日本全体の持続的発展に貢献して下さることをご期待申し上げます。
土の騎士たちの“恕”(じょ)の精神
作家 童門冬二 氏
3月11日の東日本大震災後の復興でまず考えたのが”農地の復興”です。阪神の大震災は都市部が中心でしたが、こんどの場合は都市部・農村・漁村の多方面にわたっています。まず漁業関係者が先に立って北海道などへ魚を得に活躍し、復興のさきがけになっているのは大いに勇気づけられます。
しかし海とちがって完全にきずつけられた農地をもう一度回復するのは、かんたんなことではありません。しかしやらなければなりません。その手がかりとしてすぐ頭に浮かぶのは、幕末の農政指導者大原幽学(おおはらゆうがく)です。
「協同組合の結成」です。というよりその考えかたの底に据えたスピリット(精神)のことです。幽学が指導したのは千葉県の九十九里浜の北方にある長部(ながべ)村(千葉県旭市・旭市も今回大きな被害をうけた)という地域です。
◇
当時この地域はハード・ソフト両面にわたって荒れはてていました。ハードというのは農地そのものの荒廃です。ソフトというのは農民の心の荒廃です。いくら働いても収入は少なく、だれもがバカバカしいと思い、ちかくのにぎやかな漁師町にいって、酒・女・バクチにうつつをぬかしていました。
遠藤という名主は憂えました。
「土地だけでなく人の心も荒れてしまった」。
そこで幽学に「土地と心の再興」をたのみました。幽学は、
「土地の再興はまず心の再興からだ」
と考え、農民の生活にこまかい規定を設け実行をもとめました。その趣旨は、
「自分のことだけを考えずに、他人のことを考え、地域全体をゆたかにするようにひとりひとりが努力する」ということでした。つまり“協同精神の確立と発揮”です。その具体化として
「それぞれ自分の土地の一部を提供してプールし、ここで生産された農作物の売払い代金は復興資金として共同管理する」
ことを提唱しました。当然反対の声があがりました。いまでもそうですが、農民には「御先祖様からお預かりした土地を自分の代に減らすことはできない」という素朴な責務感があります。自然なきもちです。これに対し幽学は、
「いや、それは逆だ。御先祖様は子孫に伝えた土地が協同精神でおたがいの役に立ち、地域がゆたかになることをあの世でよろこんでおられる」
と説きました。はじめのうちは、そんなことがあるものかと疑っていた農民も、次第に考えをかえていきました。そして幽学は協同組合を、「先祖組合」と名づけました。いろいろな意味があると思います。しかしひとことでいえば参加組合員たちに御先祖様がいつもそばにいてニコニコよろこんでいらっしゃるぞ、同時に子孫にまちがったことをしないか、キビシイ目で監視もしているぞ
という両面の意味があったと思います。つまりはげましと同時にいましめてもいたのです。
◇
江戸中期の名君に上杉鷹山がいます。疲弊した米沢藩(山形県)をみごとに復興しました。その方法は農業振興です。指導したのは細井平州(ほそいへいしゅう)という学者です。平州は鷹山にまず「復興の資源は土地とそれを耕す農民以外にありません」
とつげました。そしてその農民たちを
「自分の子供と思いなさい。たとえお若くとも(鷹山はティーンエイジャー)。あなたは民の親なのです」とさとします。子供の苦痛を自分のこととして考えなさい、ということでしょう。このきもちを「論語」では“恕(じょ)の精神”といいます。
「いつも相手の立場に立ってものを考え、行動する」という意味です。
幽学の先祖組合もこの“恕の精神”にもとづいたものでしょう。もちろんこんどの災害地における農地の復興に、先祖組合の例をすぐあてはめることはむずかしいでしょう。
しかしその底にある“恕の精神”は、すべての復興にぜったいに必要だと思います。
農協はいうまでもなくカネを基盤にした集まりではなくヒトを中心にした組織です。その絆は協同精神です。その運動仲間が贈る「農協人文化賞」は、ひじょうに意義の深いものであり、農業だけでなく、また地域だけでなく、日本全体にも大きな電動を与えることでしょう。
わたしは農民を“土の騎士”だと考えています。農業で国民をまもる「護民官」です。受賞された方々はその代表です。各部門で高々とかかげられた誇りと自信の旗は、日本人固有の美しい“恕の精神”を、いよいよ強固にするでしょう。おめでとうございました。
常に組合員の目線から
全国農協中央会元会長 豊田計 氏
昭和53年に創立された農協人文化賞は昨年までに295名の功績者を表彰してこられました。この事業が農業協同組合運動の発展に多大なる貢献をされたことに対し、改めて敬意を表します。
JAはが野は、今般二人目の受賞者が認証されますこと、厚くお礼申し上げます。そして目下、国を挙げて復興事業の最中この表彰の仕事に携わる皆様のご苦労ご配慮に感謝申し上げます。
◆人望厚い父の背をみて育つ
この度、表彰される杉山忠雄理事はかつて関東の暴れ川として知られた鬼怒川を俯瞰する豊かな台地の一角を占める杉山家の長男として生まれました。父は戦後逸早く設立された鬼怒川東の勝瓜土地改良区の役員等を永く勤めた人望厚い地域のリーダーで、杉山君はその背を見て育ちました。
当事は農家の長男は農業高校進学という地方の風習で、彼は県立真岡農業高校に進み、卒業後更に高度の勉学を志し県立農業大学校に進み、優秀な成績で卒業しました。請われて地元の中村農協に就職、農協人としてスタートし、担当は営農指導でした。先輩達と熱心に業務に精励し、将来有望の職員と認められたのです。
◆協同組合の連帯感で職員が結束
先輩や組合員有志と積極的に話し合いを重ね、新たな作目プリンスメロンの小型ハウス栽培に着目、数年にして熊本県に次ぐ産地と評価されるまでに成長しました。またその後作として茄子を選びU字栽培を指導し成功しましたが、ミナミキイロアザミウマなる新害虫に苦しみましたが、小型ロボットの導入により、成功、やがて中村を中心とする真岡の茄子は質量共に市場で高い評価を得ました。
この大量の青果物の処理に対応する大型の集荷施設が必要となり、大型新鋭の集荷場を建設し、大変組合員から喜ばれました。
以上の組合員との話し合いと現地研修等の経験が、次の合併農協の円滑な運営・組織整備の推進に役立ちました。そして市内4農協の合併が、平成元年に成立し、本所は経済連東部事務所に借用して業務開始、その他は旧支所をそのままにし、組織業務の統一には苦労があったが、協同組合の連帯感で乗り越え、全職員の結束ができたのです。
◆新規作物への取り組みが増加
組合員は、メロン、茄子、トマト、ニラ等の成功を見て、ますます新規取り組みが増えたのです。
一方青果物処理の現場では、生産増加に対し、中央大集荷所建設の要望が強まりました。一部反対もありましたが、重ねての話し合いで理解を得、最新鋭の大集出荷所の建設が承認されたのでした。
新設備の運びおよび製造の現場を視察検討の上着工・竣工してから、連日稼働で故障もなく、労力軽減・栽培面積の拡大にも大きく貢献しました。苺は各自の箱詰めですが、荷受けが広く出荷者を待たせず自動貯留・自動出荷方式で関係者に理解されています。これは杉山君達の努力の成果だといえるでしょう。
◆県下10JA構想へ一歩前進
やがて待望の一市五町のJA合併の気運が高まり、平成9年6JAが合併し、名称もはが野農業協同組合とし、遅ればせながら県下10JA構想が一歩進んだのです。
本所は元県職業訓練校の敷地に全部を払い下げを受け、広さは十分ですが、学校跡のため部署割りに苦労しました。本店は学校を活用し、各市町に支店を置き、他は廃止。不便との声もあったが、杉山君の対応で成功したといえましょう。
事務所改善は電算化充実を考え、電算教室を作り全事務の職員研修を行いました。現業部署では、広域営農指導員を設置し、合併の組合格差解消を図りました。また組合員とのふれあいを深めるため、アクシュ(営農経済渉外員)の設置、ライスセンター(7カ所)、カントリーE(3カ所)の相互乗り入れするサテライト方式を本格稼働し、バラ100%をめざし努力中、この計画実行は拡大した杉山グループの努力の成果です。
◆後悔先に立たずTPP絶対反対
最後に国政への意見を述べたいと思います。
政府は最近大きな話題のTPPについて極めて重大な過ちを冒そうとしております。今年の公約、食料自給率40%を50%に挙げると決めたが、TPP加入すれば14%になると農水省(政府)の幹部は明言しています。また直ちに関税ゼロでなく、時をかけてのことと言う。20〜30ヘクタールの団地ができれば数百ヘクタールの米国と競争できると信じているのでしょうか。
世界の人口はまもなく70億人に達するというのに。
関税ゼロで医療その他多くの該当品を守れるのか、少ない情報で国民を迷わせる意図でしょうか。
十分の議論と調査・各国の実態調査が必要で、現在の情勢は不安の限りであり、後悔先に立たずを声を大にして言う。
協同組合運動の同志に重ねてお願い申し上げます。
世界でも協同組合に期待が
農協愛友会会長 前田千尋 氏
農協人文化賞は、社団法人農協協会が農協法公布30周年を記念し、多年にわたり献身的に農協運動の発展に寄与された功績者を表彰するため、昭和53年に創設されたことは、農業協同組合新聞を通じて10数年程度前から知っていましたが、その価値のすばらしさや効用と知名度を実感したのは数年前からである。
それは農協人文化賞表彰式に参加する機会を得、受賞者の皆様方から直接貴重な体験談を拝聴出来るようになったからである。
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私が受賞者の皆様に共通していると感じた点は、自分の出来る能力の範囲内で、無理をせず、継続的に強い意志を持って、組合員の生活の安定と地域社会の発展に寄与したいという思い出取り組んでこられた姿でした。それと周りの同士の皆様の協力、支援がなかったなら継続的な取り組みはできなかったという協同の力に感謝されている姿でした。
お互いに支え合う気持ちというか協同の精神の尊さを理解し、それを実践されてきた強い意志の持ち主であるということを知り、大変感激したことを覚えています。
もう一つの機会は、私の先輩と同輩が共済事業部門で農協人文化賞を受賞されたときである。
二人とも自分の考えをはっきりと主張する人であるが、他人の意見にも耳を傾け、周りの人々からも助けあいの大切さを伝えることが出来たということだと思います。
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農協人文化賞の受賞は、本人の喜びは当然であるが周りの方々が自分のことのように喜んでくれている姿を見て、この賞の認知度の高さと効用に感激したことを覚えております。
農協人文化賞が今年で33回目を迎え、受賞者は勿論のこと、周りの人々からも喜ばれる賞であり続けたのは、多年にわたって献身的に農協運動の発展に寄与された陰の功労者を表彰することの意義が主旨が関係者に理解され、多くの方々が応援してくれたお陰だろうと思っています。
勿論、社団法人農協協会の中川会長さんをはじめ、役職員の皆様が労苦をいとわず事務局機能を果たして下さったお陰であることは言うまでもありません。それと同時に、農協運動の仲間達が贈る農協人文化賞に発展したことも大きな原動力になっていると思います。
賞を贈る方も贈られる方も農業協同組合に関係の深い方ばかりで、共に農家組合員をはじめ地域住民の営農と生活の安定をはかり、お互いに幸せになろうという相互扶助精神を理解し、それを実践されてきた皆様方だから、広く認知されると共に喜ばれる賞だと思います。
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さて、今年は東日本大震災による被災地の復旧・復興のため、多くのボランティアの方々の支援が続けられており、特に被災地JAでは役職員一丸となって困難な状況の中で頑張って貰っております。一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
さて、本年は国際協同組合年を迎えているわけですが、私が現役の時、経験したICMIF(国際協同組合保健連合※)の会議に参加した時に思ったことは、共済や保険を取り扱う協同組合であるが、お互いに手をとり、理解し合ってよりよい社会を築き、世界平和のため努力していこうという事が確認され、それぞれの国の事情は異なっても、お互い助け合うことの重要さは共通して認識されていたと思ったことである。
今や、日本国内は勿論のこと、世界中で相互扶助精神を基本とする協同組合の活動と役割が最も期待されている時期だと思いますので、農協人文化賞が農業協同組合をはじめ各協同組合の発展の一助となることを心より祈願しております。
【ICMIF(国際協同組合保険連合)】
ICMIF(International Cooperative and Mutual Insurance Federation)は、当初ICA(International Co-operative Alliance 国際協同組合同盟)の保険専門部会として1922年設立され、活動してきたが、会員数の拡大を受けて1972年にICIF(国際協同組合保険連合)として財政的にICAから独立した。
1992年東京総会にて、Mutual(相互組織)を含めるよう名称をICMIFとした。
2011年現在、会員数は72か国210団体(準会員、オブザーバー含む)である。
全共連は1964年から加盟。
ICMIFには地域協会が存在し、アジア・オセアニア協会(AOA)、米州協会(ICMIF/Americas)、中東・北アフリカ協会(AMENA)が地域ごとの活動を行っている。
受賞者は日本農業の誉れ
シンジェンタジャパン株式会社 会長 村田興文 氏
第33回農協人文化賞の受賞の栄に浴された18名の皆様には、心よりお祝い申し上げます。一般文化、営農、経済、共済、信用、厚生福祉、国際交流、夫々の部門で受賞された皆様の顔ぶれを拝見し、農協運動に対する素晴らしいご貢献のみならず、皆様の農業に対する熱意に深く感銘を受けております。
皆様方の受賞の背景について、誠に勝手ながら、私なりの補足をさせて頂きます。
◇
一般文化部門特別賞を受賞された廣瀬竹造様は、琵琶湖の水資源に係る環境保全型農業を自ら実践され、リーダーシップを持って全国に範を示されました。本間一雄様は、佐渡の農業の発展に尽くされるとともに、信用事業を拡充され、その信頼を揺るぎないものとされました。経済事業部門で受賞された謝花美義様ならびに鈴木昭男様は、夫々沖縄県と岩手県におかれ、経済事業の方針の明確化や組合員からの更なる信頼の獲得を通じ、事業の経営安定化に貢献されました。農業の根幹をなす営農事業部門で受賞された、岩崎正司様、杉山忠雄様、鈴木昭雄様、星野直治様、松延利博様は、地域農業や産地の確立を通じ、地域社会に多大なる貢献をされました。組合員の生活リスク管理の拠りどころである共済事業部門では、坂根國之様が、組合活動全般に亘るご貢献、並びに共済分野における業績を通じ、受賞されました。信用事業部門で受賞された、本田誠次様ならびに望月直道様は、地域に根差した様々な信用事業活動を通じ、組合員からJAのサービスに対する高い評価を獲得されました。厚生福祉事業部門で受賞された中村都子様は、現代社会テーマである高齢者福祉の分野にて、組合員のパートナーとして確固たる信頼を構築されました。また、同部門で受賞された盛岡正博様は、厚生連組織の運営に係り、県連合会として揺るぎないリーダーシップを発揮されました。一般文化部門では、石原健二 様が、経済分野における多大なるご貢献により、榎淳子様、梶原雍之様は、地域社会への長年に亘るご貢献により受賞されました。 国際交流賞を受賞された玄義松様は、韓国並びに日本の農村文化研究において素晴らしい業績を上げられました。
◇
さて、農協人文化賞を巡り、日本の農業の原点について、この場をお借りし、私見を述べさせていただきます。現在、日本の農業は、食糧安全保障の観点のみならず、農業という産業そのもののあり方において、その意義が問われています。私が農業を考える時の座右の銘は、戦前の農本主義者である石黒忠篤氏の言葉です。それは、『農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間から言われている我々の理想は、そういう利己的の考え方ではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないものである。私は世間から農本主義者と呼ばれて居るが故に、この機会において諸君に真に国の本たる農民になって戴きたい、こういう事を強請するのである。』です。
◇
戦後、「鉄は国家なり」、「所得倍増計画」、「三種の神器」、「国民総中流」等、それぞれの時代を反映した言葉が世に流布してきました。 「国民総生産」が国力の指標となり、「貿易立国としての日本」、「エコノミックアニマル」という言葉が躍り、その後「バブルの崩壊」が日本を襲いました。私の様な戦後生まれの人間にとって、食糧危機といえるものを初めて感じたのは、十数年前の米不足でした。当時、人々は米を求めて米穀店に群がり、国は長粒米(外米:インディカ米)を緊急輸入、スーパーにはカリフォルニア米入荷の張り紙が掲げられました。また、毎日のようにインディカ米の調理法が新聞やTVで流されました。しかしながら、長粒米の売れ行きは一向に振るわず、在庫の山となってしまいました。これを見たアジアの人々は、『日本人はジャポニカ米でなければだめなんだ、せっかく東南アジアで最もおいしい香米まで送ったのに』と、少なからず落胆しました。この事態を小説仕立てにして見てみますと、「日本国政府は、全国規模の市場調査を、日本人はジャポニカしか食べない、ということを日本国民に再度認識させるために行った。ここまで見通し、心理作戦を立案した部局は…」とでもなるのでしょう。
生活レベル向上に向け、何の疑念を持たずに、一気に経済原則・資本主義経済を推し進めてきた日本、私たちが積み上げた学習や経験では、農業の本質を再認識するには十分ではないのでしょうか。日本の隅々で農業を守り、環境を守りそして農業者を支えてきたJA(農協)。アジアの発展途上国は、日本の農協のあり方を学び、自国で農協を発展させたいとすら望んでいます。それは、彼らが農本主義の重要性を理解しているからにほかなりません。
◇
日本人の食生活を守り、食糧安全保障への備えを万全にすることこそ、農政そしてJAの与えられた使命だと信じています。今回受賞された方々こそ、日本農業の誉れであり、農協のあり方を具現化してこられた方々だと思います。改めまして、受賞者の方々にお祝を申し上げますとともに、心より敬意を表します。
おめでとうございました。
協同組合運動発展の「道標」
協同組合懇話会代表委員 山内偉生 氏
第33回農協人文化賞受賞者の皆様、このたびの栄えある受賞を心からお祝い申し上げます。あわせて、これまで永い年月にわたって、農協運動の最前線にあって、農家・農村のために真摯に積み上げてこられたご功績に対して深甚なる敬意を表したく存じ上げます。
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思い起こせば、この農協人文化賞は、社団法人農協協会が農協法公布30周年を記念し「農協界の隠れた功績者を表彰する事業」として、昭和 53年に創設された画期的なものです。
さらに、平成20年には、この表彰事業開始30周年を迎えるに当たり、表彰対象を広げ、多くの農協運動の同志各位からの推薦を募るなど「農協運動の仲間達が贈る」表彰へと拡充発展が図られました。
いまや、農協人文化賞表彰事業は、農業協同組合の分野だけではなく、漁業協同組合、森林協同組合、生活協同組合、信用金庫など国内の協同組合組織に広く認知された上に、韓国など世界の協同組合からも注目を浴びておりご同慶の至りであります。
創立以来、83年の歴史と伝統を有する社団法人農協協会のこの表彰事業は、協同組合運動に情熱を燃やす多くの仲間のおかげで、年々推薦応募の数が飛躍的に増加し、いまや、農協界の大きな年間催事となっております。
それだけに、表彰受賞者の選考審査にあたって、今村奈良臣委員長(東京大学名誉教授)をはじめとする「農協人文化賞選考委員会」の先生方が如何にご苦労されているかが拝察できます。
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今村先生は、常々、「農協運動の本来の姿はボトム・アップでなければいけない」と言われています。
つまり、組合員農家の目線での地域に根ざした「ボトム・アップ路線」です。ボトム・アップ路線の精神で地域の現場で汗をかき、献身的に精励されている運動家こそが表彰に値するというという考えが、今村先生並びに選考委員会の統一的な視点・コンセプトとして確立されていると思料されます。
歴史を振り返れば、農村医療の慈父と称えられる若月俊一先生が昭和20年に東京を去り、長野の佐久病院に赴くときに「ヴ・ナロード(人民の中へ)」という叫びが先生の心に響いていたと伝えられています。
ご高承のとおり、帝政ロシア時代に、封建的農奴制を打倒するために「共同体社会思想」に燃える民衆(ナロードニキ)が、農村に進出した折に唱えた合言葉です。
若月先生は、佐久病院を拠点にして、広く長野の農山村地域において「農民の中へ」から、「農民のために」そして「農民とともに」という思念のもとで医療活動を展開され、偉大な足跡を遺されました。
今村先生の提唱された「ボトム・アップ路線」精神には、まさに若月先生の思念と同じ鼓動を感じます。今村先生を中心に選考委員会がコンセプトを共有し、公正な表彰審査・選考を行われたことに、改めて深甚なる謝意を捧げます。
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来年の2012年は、国連が決議・宣言した「国際協同組合年」に当たりますが、市場原理主義のもと営利追求に狂奔する経済社会からの脱却が期待されている中で、協同組合の価値の見直しと役割発揮が求められています。
さらに、先の東日本大震災で未曾有の甚大な被害を受けた地域で、農協、漁協、生協はじめ金融・共済の協同組織が、地域の組合員のみならず住民全体から最も信頼され、公益的社会サービスの役割発揮が期待されました。
そしてまた、原発事故放射能汚染の風評被害への対策、農林漁業の壊滅に繋がりかねない環太平洋経済連携協定(TPP)加盟への阻止対策など、組織の命運をかけた喫緊の運動展開が全国的に広がっています。
かかる情勢のもとで、農協は、いま、協同組合運動の原点である相互扶助理念に立ち、公益的活動など地域社会へ貢献する役割を担う極めて重要な組織として内外から注目されています。
このような時だけに、農協人文化賞受賞者各位の独創的で傑出した業績は、地域のみならず、また、農協のみならず、今後の日本の協同組合運動の発展のために貢献する明るい「道標」になるものと確信する次第です。
最後に、全国各地城で活動する農協役職員の士気を鼓舞する『農協人文化賞』事業を、長年にわたって誠実に実践されてきた社団法人農協協会の中川敞行会長始め役職員の皆様のご努力に深く感謝するとともに、本表彰事業の更なる拡充発展を切にお祈り申し上げます。
後始末の出来る社会を
作家・評論家 吉武輝子 氏
第33回農協人文化賞ご受章おめでとうございます。
さまざまな賞がありますが、命の根源こそ文化であることを前面に打ち出した農協人文化賞は、次の世代に残す社会のありようをしっかりと見据えている点において、質の高い素晴らしい賞であるとわたくしはただただ感動しています。
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もう40年以上昔になりますが、菅直人たち若者に押されて市川房枝さんが全国区に、市川房枝さんの秘書の紀平悌子さんが東京地方区と、「理想選挙」のコンビ選挙に、作家の有吉佐和子さんとわたくしが応援弁士として参加しました。
丁度そのころの農業は、文化無き科学優先の農業で、化学的肥料や除草液がじゃんじゃん使われていて、農業に携わる妊婦の流産が新聞の話題になっていました。
まだ一人娘のあずさは幼稚園。人生50年から百年と二倍も生きる時代になり始めている時だっただけに、高齢期を旬の時代にするためには、抜群に生命力が強くてはならない。生命力を養うのは食べ物です。
だから選挙中はひたすら
「次の世代の生命力を培っていくのは、国の義務ではないか」と当時の農業の現状を語った後この言葉で占めくっていました。
しばらくたって朝日新聞に有吉佐和子さんの「複合汚染」が連載され、単行本は超ベストセラーになりましたが、「複合汚染」の書き出しは、選挙中のわたくしの「次の世代に生命力を培う農業を」という選挙中の演説だったのです。
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実は1977年にわたくしは、女性解放や、消費者運動や、反原発運動などさまざまな市民運動の人たちに背中を無理やり押されるようにして、参議院選の惨酷区と言われた最後の全国区に革新無所属として立候補させられました。
なぜ惨酷区と言われていたかというと、23日間で日本列島全部を選挙カーで駆けまわらなければならなかったからです。
お金と組織のある候補者は、選挙の始まりが票固めだったのですが、わたくしのように「吉武輝子と連動する会」という貧乏でちっぽけな組織の場合は、選挙の始まりが票集め。青森や京都や名古屋や福井などあちこちに「吉武輝子と連動する会」ができたのですが、点を線で結んで面として浮き上がらせるためには、やっぱり組織とお金が欠かせなかったのでした。
無所属では一位でしたが、当選圏には及ばなかったのです。
「吉武輝子と連動する会」のスローガンは
「後始末の出来る政治を」で反差別・反憲法改正・反原発が三本柱でした。
消費者運動に全力を挙げていた女性が言ったのです。
「日本は、『男は外、女は内』の性別分業が徹底している。殊にサラリーマンは命さえも妻に預けっぱなし。会社には庶務課があって、男性社員の出張の後始末を全部引き受けている。
後始末の思想のない人たちが政治にかかわっているから、戦争とか原発とか後始末できないことに平気で手を出す。後始末の思想無きモノづくりは、文化と表裏一体の生命力を次の世代に残すことは出来ない。
平和と命を守る社会を次の世代に残していくのは大人の義務。そのためには、男も女も後始末の思想をしっかりと培わなくては」
と全身全霊を込めて語った言葉に、みな大納得。で、「後始末の出来る政治」がスローガンとして生まれたのです。
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3月11日の東日本大震災は、これからの生き方を改めて考えさせてくれました。わたくしの友人が「津波に全壊した街を見たとき、東京大空襲の風景を思い出した」といったとき、わたくしは心底腹を立てていました。だって東京大空襲は後始末の思想のない人間たちが起こした人災。でも津波は、恵みをたっぷり分けてくれている自然の底知れない怒りのエネルギーの表れなのです。
人間は傲慢にも、自然の底知れない怒りのエネルギーを人間の収まりの付く程度に矮小化して、後始末の出来ない原発なんかを平気で作る。自然に対する人間の傲慢さが明らかになり、日本だけではなく、原発国アメリカでもフランスでも、脱原発のデモや集会が活発に開かれています。
自然と共存しながら、次世代に「平和と命を守れる社会」をどう残していくか。世界的に経済破たんが起きている時だけに、後始末の思想のない政治家たちは戦争を起こしたがっている。日本も憲法改正の動きや仮想敵国を作って若い人たちをあおりたてています。
何度も申し上げますが、文化と生命力は表裏一体。それが実現できる農業に携わる方々が、本気になって自然と共存しながら平和と命を守ることのできる社会を次の世代に、と全力を挙げてくだされば、後始末の出来る素晴らしい社会が生みだされることでしょう。ご受賞心からお喜び申し上げます。
協同の心豊かな平和な社会を
パルシステム生協連理事長 山本伸司 氏(第30回受賞者)
農協人文化賞の推薦を受けて、最初はなぜ私がと戸惑いを覚えた。農協関係者でもない私には、そのような賞をいただける理由が分からなかった。
しかし全農本部の元部長だった河村郁生さんから推薦文を頂きようやくその理由が分かった。消費者団体や研究者、NPOなど広く農関係全体の関わりを評価して選考されているとのことだった。そして受賞の知らせを受けて大変光栄に思った。日本の農業を支える全国組織の人たちが推薦しこのような表彰を続けられていることに感謝すると共に感動を覚えた。
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いま世界は行き詰ってきているとみんな感じている。世の中はおかしくなっていると感じている。報道される世界の金融危機は、アメリカをはじめEUの危機へと拡大し、いまやアジアの危機へと底なしの広がりをみせはじめている。
すべてを金融商品化しマネーゲームでグローバル資本が暴れている。国民経済を破壊し正常な企業活動をも危機に陥れ、そして人々の生活を破壊している。金を儲けるための大量生産、大量消費は、自然を収奪し破壊しつくす。人間関係もまた自然の収奪と破壊のように破壊されていく。こういう世界はおかしい。
いま政府の一部が進めようとしているTPPは、そうした世界危機に日本が深く巻き込まれようとしていることではないか。自由貿易という名の参加国のブロック経済。世界の分断と競争経済。価格でしか価値を見出せないために起きる自然破壊。こうした20世紀の世界システムをそろそろ変えていかなくては世界が壊される。
21世紀型の社会への歩みは、まず食を大切にすることから始めたい。食べることこそ生命の源。分子生物学者の福岡伸一氏によれば、身体の細胞は60兆個もありそれが日々壊されまた作り直されているという。食は単なるカロリー補給ではなく、じつは身体が日々作り直されるための原料だと説明する。
この食に化学物質が大量に入っていたらどうなるだろうか。身体は悲鳴をあげる。アレルギー反応の増大。肉体は生命あふれる食を求めている。それが農の大切さである。
農こそ生命生産の基本である。それがわが国では農を虐待するかのようだ。工業生産、サービス業、金融業が優遇される。農だけでは暮らすことが難しくなった。この数十年で大変な価格破壊がおこった。普通の農業では生活できない。
「強い農業」という低コストによる大量生産は、国土が狭い条件下では不利となる。農の価値を金で計れば大量生産、大量の単作、そして農薬化学肥料漬けの機械化農業が優位になる。アメリカやオーストラリアのように。しかしそれが本当に食べ物としての価値だろうか。
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これから求められているのはより自然に近く生命の循環と複雑性をいかした農業なのではないか。そうした農産物をみんな求めている。それはむしろ日本人が得意としてきた農だ。狭い土地を活かした少量多品種生産、有畜複合農業、里地里山里海、その美しい姿。全国各地に展開する美しい村、その優れた協同性、コモンズ、共有地。いまその優れた環境保全性、エネルギー循環、農産物のおいしさが科学的に評価されてきている。
農の価値がそうした多面的価値だとすると、その評価も価値への対価も見直さなければならない。それが総合的な農の見直しとなる。それは食を大切にする消費者自らが行動すること。これが生協の役割である。農産物をいただくだけでなく生産現場で交流し学ぶ。そして体験農業や加工を経験し深く理解する。
こうして価格だけで判断する「消費者主権」を卒業することが可能となる。パルシステムではそうした生協組合員による活動を広げている。年間2万人にのぼる産地見学や学習会をはじめ、生産者による組合員への訪問活動などは、年々参加人数を増やしている。
世界でも日本の有機農業や生協による交流は注目され評価されている。いま農産物の輸出振興を唱える人がいる。たしかにこだわった日本の農産物は高く評価されている。しかし狭い農地の農産物を長い輸送距離で海外販売することはどうなのだろうか。
私はむしろ日本の美しい村で行われる里地里山里海こそ、このやり方こそ誇るべきだと考える。輸出というより来ていただき交流することで理解が深まりお互いに豊かになることができる。
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21世紀の世界、自然を大切にし、人々が協同のこころ豊かな平和な社会を目指すこと。このことを最も熱心にすすめるリーダーたちこそ農業協同組合であり、そして生活協同組合など協同の仲間たちなのだと思っている。
来年2012年は、国連で制定された国際協同組合年を迎える。そうした農業協同組合運動のリーダーの先輩たちが農協文化人賞で並んでいる。