GDP優先から転換し充足感のある社会を
◆TPPを考える視点とは
いまのところTPPは幽霊のようなものである。どのような内容になるのかが伝わってこない。TPP交渉はすべての関税を実質ゼロにし、締結地域ではその内部の国々が自由に経済活動ができるようにすることを目指しているが、例外措置をまったく認めないということではまとまらないだろうし、それぞれの国のさまざまな安全基準や社会保険制度にまで踏み込んで、すべてのルールを統一するというのも不可能だろう。それらの事柄がどうなるのかがさっぱりわからない以上、現状では幽霊という他ない。
しかしこの幽霊が現実の姿に変わったとき、どのようなことが起こるのかは推測できる。それは、世界をひとつのルールで、実際にはアメリカのルールで動かそうとする方向性が、加速度をつけていくだろうということである。すべてのものを市場原理に委ねるという方向性が、である。
このTPPの動きに対して賛成意見があるのは、それによって利益が上がりそうな産業部門や企業、個人があるからであろう。実際農民のなかにも、ごく少数ながら、TPPの成立をチャンスとしてとらえる人もいる。しかし私は、どちらが得かというような次元でこの問題をとらえてはいけないのだと思う。大事なのはこれからの社会のあり方を見つけ出すことであり、その視点にたってTPPとは何かを考えることである。
◆人々を破壊する経済発展
戦後の世界は、経済活動がうまくいけば、国の経営も人々の幸福も結果としてついてくるというかたちで、基本的には形成されてきた。しかし今日私たちの前にあるのは、この発想がもはや通用しなくなったという現実である。経済を発展させるためには、企業活動が拡大していかなければならない。そのためには企業は利益を上げなければいけないのだが、それを目指した結果は非正規雇用の拡大でしかなかった。今日の日本をみれば、若者のおよそ半数が非正規雇用の下で働いている。中小、零細企業からつくりだされる部品や農民が作り出す作物などは買いたたかれ、それらの部門では持続困難な現実まで生まれている。これまでのかたちで経済発展を目指そうとすると、逆に人々の経済を破壊してしまうという事態が発生しているのである。とするならいま私たちに必要なことは、経済とは何か、経済と社会はどのような関係にあったらよいのかを、根本から問いなおすことであろう。少なくともGDPさえ大きくなれば人々の幸せは自動的についてくるという予定調和説が、すでに幻想になっていることを私たちの社会は知らなければならない。
ところでTPPが締結されたとき一番犠牲になるのは何かと問われたら、私はそれは地域ではないかと思う。都市部でも利益だけを求め、利益が出なくなれば撤退するだけの企業活動がこれまで以上に「自由化」されれば、地域らしい地域の創造など願うべくもなくなるだろう。それは都市の荒廃をいっそう促進してしまう。農村部はもっと深刻な事態になるだろう。なぜなら農産物の輸入が自由化されれば、稲作を軸にして農業をつづけてきた高齢の農家や兼業農家は、農業から離脱する可能性があるからである。仮に米が例外措置になったとしても、大幅な関税の引き下げは飲まされるだろう。そうなれば、いまでも収益が上がらなくなっている高齢の農家や兼業農家は稲作から撤退することになるだろう。しかも農地を耕さなくなれば、より便利な場所を求めて農村から離れていく人たちも増える。農村では比較的若い層に属する兼業農家が町に去れば、この地域は維持困難な状態に向かうかもしれない。地域という視点から考えれば、TPPは地域を荒廃させ、衰弱させるとしか思えない。
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TPPによる一番の犠牲は地域。豊かに暮らすことのできる地域をどう創るべきだろうか
◆被災地に学ぶ連帯と創造
私たちは誰もが地域のなかで生きているのである。地域の結びつきがない都市部でも、地域に商店があり、病院やレストランなどがあるから一人一人も生きていけるのであって、その点では地域という基盤の上で生きていることに変わりはない。とするなら、人間たちが労働をし、生活をする日々の世界をどう維持し、創りだしていくのかが今日の課題であり、そのために経済はどうあったらよいのかを考えていかなければいけないのが現在なのである。予定調和説にもとづいてGDPの拡大を目指すのではなく、人々が豊かに暮らすことのできる地域をつくるために、経済はどうあればよいのかを考えるという転換が必要になっている。
東日本大震災以降私たちが学んだことも、この方向への転換が必要だということであった。実際被災地では、遠方の人たちとも関係を結びながら、地域を創りだすための経済を再建する動きが進み始めている。地域の復興という社会的使命を実現するための経済を確立しようとする、ソーシャルビジネス的な新しい手法も導入され、ときに復興ファンドというかたちで連帯する人々から集められたお金が、地域経済の再建のために使用され、ときに被災地の経済復興のために何をどう作り、販売するかを、被災した人たちと連帯する人々が一緒になって創造するかたちで、地域の再建がはじまっている。地域という人間たちが暮らす基盤に、どんな経済や労働を創りだしたらよいのかが模索され、それが今日の新しい動きを形成している。
いま必要なことは、地域をとおして日本や世界をとらえ、豊かに暮らす地域を創るためにはどのような経済や連帯が必要なのかを考えることなのである。そしてそのような方向に向かって人々が歩みはじめた時代に「TPPなくして日本の発展なし」などといっている人々は、もはや新しい時代をつくろうとしている人たちの前に立ちはだかる抵抗勢力でしかない。
私はいままでの農業権益などを守るためにTPPに反対しているのではない。もちろんこの課題も無視してよいわけではないが、経済のあり方を組み替える必要性が出ている時代に、それを押しとどめようとするものがTPPだという理由で、私はこの動きに反対なのである。
実際いまの若い人たちは、バブル崩壊以降のおよそ二十年間の間に、自分たちの生きる社会がいかに破壊されてきたのかを身をもって知っている。これまでの路線の延長線上では暗い未来しか生まれてこないことを、である。そしてその世代の人たちが目指しているものも、どのように結び合いながら、どんな働き方をすれば豊かな充足感をかんじることのできる社会がつくれるかである。
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日本の伝統的な農村風景。決して古くさい場所ではなく、未来への可能性を教えてくれる場所として考えられる
◆伝統的社会に豊かさを見る
今日の流行語のひとつに「懐かしい未来」という言葉がある。
自分たちが懐かしさを感じるものに、未来のヒントがあるという意味である。それは人と人の結びつきであったり、自然との関わりや地域とともにある暮らしであったりするのだけれど、このような気持ちが広がってきているのも、これまでの発想の延長線上に未来はないという確信があるからであろう。だから地域のとらえ方も、「懐かしい地域」を再評価しようとする動きが年々強くなっている。
かつての日本の伝統社会では、地域は自然と人間の社会であった。その人間のなかには地域をつくりだしていった先輩たちである死者たちも含まれていた。たえず自然の役割と死者たちの役割に敬意を表しながら、彼らを裏切らないように生きていこうという発想が地域をつくりだしていた。だから人々は市場で利益を上げようとするだけの経済を汚いものとみなし、分かち合う経済、助け合う経済をけっして破棄しようとはしなかった。いま人々はこのような「懐かしい地域」に未来の地域のヒントがあると思いはじめている。だからこの課題に気づいている人たちの間では、伝統的な農村は古くさい場所ではなく、未来の可能性を教えてくれる場所として映る。
原発事故で一番の被害を受けたのは地域であり、その地域とともに生きる人々であり、地域とともにある農民や漁民たちであった。それは地域よりも国家やGDPを優先させた時代の結末であった。そのことが目の前で展開している時代に、TPPという地域よりもGDPを優先させるような政策を、まだつづけようというのだろうか。
【プロフィール】
(うちやま・たかし)
1950年生まれ。1970年代に入った頃から、東京と群馬県の山村・上野村との二重生活をしている。現在、NPO法人・森づくりフォーラム代表理事など。