特集

2012年新年特集号 「地域と命と暮らしを守るために」
震災からの復興と協同組合

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現地からのレポート・宮城県―地域で役割を果たすことが協同組合の「社会的責任」 みやぎ生活協同組合総務部次長・五十嵐桂樹

・対策本部としての初動対応
・提供した物資は約398万点
・ほとんどの店舗が店頭での販売
・阪神・淡路大震災の活動が大きな教訓
・「協同組合間協同」が大きな社会的役割を発揮
・どれだけ住民に貢献できたのか
・『協同のある地域』作りに貢献する

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災の際、みやぎ生協はじめ多くの被災地生協が全国から様々な励ましや物資の支援、そして金銭的援助等をいただきました。
 それらの支援がなければ、被災地で、私たちは様々な活動を継続的に行うことはできませんでした。紙面をお借りし、あらためて感謝と御礼を申し上げます。

発災直後からのみやぎ生協の取組み

◆対策本部としての初動対応

みやぎ生活協同組合総務部次長・五十嵐桂樹氏 大きな揺れが収まり、本部勤務の役職員全員が屋外へ避難した後、直ちに災害対策本部を立ち上げた。当時、専務理事が産直実務者全体会で不在だったため、総務部長(副本部長)が対策本部の指揮を執り、施設の被害状況把握、役職員の安否確認などを始めた。
 震災対応マニュアルで、災害対策本部メンバーとその役割を明確にしていたことから、対策本部としての初動対応に大きな混乱はなかった。夜には専務理事はじめ他の役員も本部に戻り、対策本部としても本格的な活動を進めた。
 対策本部では、生協の営業を一刻も早く再開し、生活に必要な物資の提供を一日も早く正常に戻していくこと、被災者への支援を行うため、行政からの緊急生活物資の要請に応えることを最優先にし、日本生協連やお取引先の協力を得ながら物資の調達、運搬を行った。また、被害が大きかった近隣のマンション住民の方から、一時避難所提供の要請があり、130名程を本部文化会館に受け入れ、食事や寝具の提供も行った。


◆提供した物資は約398万点

 みやぎ生協では大規模な災害が発生した場合に、店舗や共同購入の営業をできるだけ継続すること、そして行政へ協力して被災者支援を行うことをミッションとしていた。
 大震災が発災した当日に、亘理町からの要請に基づき、パン2000個と水2000本をお届けしたのをはじめに、4月17日までの38日間、行政の要請に応じて提供した物資は、1日も途切れることなく約352万点に達した。また、各店舗でも行政に対し個別に物資の提供をおこなったので、提供した物資は、最終的に有償・無償合わせて約398万点となった。
 お届けした物資は、発災当初は水や即食品、毛布類などだったが、避難が長期化するにつれ、肌着類、オムツ、ガスボンベやコンロ、日常生活用品などへと変化していった。また、今回の大震災では、遺体仮安置用のテントや自衛隊が炊き出しをするための物資(食材)など、今までにない要請もあったが、日本生協連やJAさんの協力もあり何とか対応することができた。


◆ほとんどの店舗が店頭での販売

大地震の翌日、店頭での販売の様子 店舗は営業時間中だったが、適切な避難誘導により幸いにもお買い物中の組合員に怪我等はなかった。3月11日には、多くの店長が休日という状況で、副店長や代行者が本部と連絡が取れない中、とにかく販売を継続し、地域の方が必要としている物資を提供することが必要と考えた。停電の中、自動車のヘッドライトで明かりを取りながらの販売や、レジが使えないため、100円、200円などと分かりやすい価格設定をするなど、それぞれの状況に応じて27店舗で販売を続けた。ほとんどの店舗が店頭での販売を余儀なくされた。翌12日には、48店舗のうち44店舗で店頭販売を行った。商品が枯渇する中で、日生協やお取引先のご協力で何とか販売を継続することができた。
 職員は、ガソリンが逼迫したため、店舗に泊まりこんで翌日の営業に備え、また、治安状況が不安定な地域では、夜間警備員も配置し安全を確保した。
 共同購入は物流、通信が途絶し、また停電のため冷凍・冷蔵商品が駄目になる、トラック用の軽油も不足するという状況の中で、翌週からの通常配達は不可能と判断し、営業を休止せざるを得なかった。しかし、3月14日からは共同購入を利用している組合員の安否確認活動に取り組み、また、冬の東北の必需品である灯油の配達は在庫の減少という厳しい条件のなかでも、何とか継続することができた。
 ことに、組合員の安否確認活動では、ご高齢のメンバーは大変な不安を抱えており、生協職員が直接ご自宅を訪問し、話し相手になることで地震による不安を和らげてあげることもできた。

(写真)
大地震の翌日、店頭での販売の様子


◆阪神・淡路大震災の活動が大きな教訓

 職員の多くも被災者という状況の中で、なぜこのような活動ができたのか? という問いをよく受ける。16年前に阪神・淡路大震災の際、コープこうべさんの活動が大きな教訓になったことは間違いないし、宮城県世帯の70%が生協の組合員という状況の中で、役職員の中に、地域の方々のために何ができるのかとの思いが強かったことも事実であった。しかし、ある店長が述べているように、「緊急事態とはこのようなことで、人間として当たり前のことをやりました」ということが、最も私たちの気持ちに合致する言葉だ。


「物の提供」だけではなく「人と人とのつながり」を実感

◆「協同組合間協同」が大きな社会的役割を発揮

 今回の大震災での対応を通じて最も実感したことは、生活協同組合は、「物の提供」だけではなく、人と人のつながり(組合員と職員、組合員と組合員、職員と職員、ボランティアと職員など)が他の流通業では真似のできないレベルで形成されている、ということだった。
 日本生協連がいち早く適切な行動を起こしてくれたこと、生活協同組合をはじめ、他の協同組合からの人的、物的支援や様々な励ましなくしては、みやぎ生協が宮城の地でここまで頑張りきることはできなかったと思う。そういう意味では、まさに「生協グループ」や「協同組合間協同」が大きな社会的役割を発揮したと言えるのではないかと実感している。
 今後は、これらの支援を仕組みとして実質化することが課題だと考える。


◆どれだけ住民に貢献できたのか

 今回の対応に対して組合員や行政から多くの評価や感謝を頂いた。その時にどれだけ頑張ることができたのかは、後々の評判にもつながる。実際に、「店長知ってるか? 震災で評判を落とした店と評判を上げた店がある。我々の口は大きな影響を与えるからな。生協はよく頑張った」という男性の声もいただいた。しかし、その一方で、共同購入の配達開始までに1カ月間を要したことなどから、お買い物にいけない身体の不自由な方、老人だけの世帯の方、障害を持っている方などから、「俺の明日の飯どうしてくれるんだ」と厳しい言葉もいただいた。話を良く聞くと、生協に普段の食生活の多くの部分を頼っている方々で、緊急時だからこそ、そういう方々への対応策をきちんと行えないと、とても「社会的責任を果たした」と単純に自画自賛することはできないと考えている。生協の活動は、「トータルで評価されたから良かった」というものではなく、その地域で、地域の状況に合わせた活動を行い、その活動がどれだけ住民に貢献できたのか、ということが重要だ。
 地域の中でしっかりと役割を果たしてこそ、「社会的責任を果たした」ということができるのではないかと思う。また、組合員に対する情報提供の仕方や行政との日常的コミュニケーションの必要性などについては大きな課題となった。


復興に向けての役割発揮

◆『協同のある地域』作りに貢献する

 今回の大震災では、家も家族もなくした多くの被災者がおり、また、宮城県の第一次産業、とりわけ水産業と農業は大きな被害を受けた。被災者への生活再建支援と産業の復興なくしては、地域の復興はありえない。みやぎ生協では8月に開催した総代会において、「事業の再建とともに、組合員のくらしと地域の復興のために生協の役割を発揮し、『協同のある地域』作りに貢献すること」を決議し、被災した方への物的・精神的支援と「食のみやぎ復興ネットワーク」や「産直生産者支援活動」などに取組むことにした。
 被災した方への物的・精神的支援の面では、移動販売車の導入や灯油を贈る活動、店舗や共同購入事業での様々な特典などの提供が主なものだ。また、宮城県内4カ所にみやぎ生協独自のボランティアセンターを設け、被災者に寄り添い支援する活動を継続している。意識としては支援というより「最後の最後まで一緒に」という思いで取組んでいる。


◆食のみやぎ復興ネットワーク

「食のみやぎ復興ネットワーク」結成式の模様 産業復興支援の中核となるのが「食のみやぎ復興ネットワーク」である。みやぎ生協や他の協同組合、生産者や加工業者、ベンダーなどの参加で、喪失した生産基盤の復興・再生、みやぎの新しい特産品作り、みやぎの食材を活用した商品作りを「めざすもの」として掲げ、現在29のプロジェクトを進行させており、徐々に具体的商品ができつつある。また、他の生協で宮城県の農産物を販売してもらう取組みや、福島県産品のお奨めなどにも取組んでいる。みやぎ生協が持っているインフラとしての力、組合員の協同の力、支援団体の力、全国の連帯の力を結集し、復興への役割を果たそうとしている。

(写真)
「食のみやぎ復興ネットワーク」結成式の模様


◆黒字への復活が必須の課題

 今回の震災で、みやぎ生協自身も大きな被害を受け、2010年度の当期損失金は約65億円となり、累積でも赤字となった。累損を少しでも早く解消し、みやぎ生協を継続させ、雇用を確保していくためには、これまでの経営の延長線上ではなく、仕組みや制度をゼロから見直して、2012年には黒字へ復活させることが必須の課題となっている。
 合わせて、今後、大規模災害の再来に対する備えも、今回の経験を生かして具体化を進めている。
 みやぎ生協が、これまで以上の生協に生まれ変わることこそが支援を頂いた全国の生協や多くの団体、お取引先に対しての最大の恩返しであることを肝に銘じて、今後の困難で長い道のりに歩みだしていくことを決意している。


【プロフィール】
(いがらし・けいじゅ)
1952年北海道生まれ。1975年大学卒業後、大学生協へ入協。1987年みやぎ生協へ移籍。商品部商務、サービス事業部統括などを経て、2002年より経営企画部へ。宮城県生協連事務局長などを経て、2008年より現職

(2012.01.16)