特集

【第57回JA全国女性大会 創立60周年記念特集】 
対談 音楽家 吉岡しげ美さん―評論家・作家 吉武輝子さん

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生きる指針は女性詩人の紡いだことば  音楽家 吉岡しげ美さん--吉武輝子さん

・原点は農村女性
・商業主義を排除
・心打たれた世界
・近隣諸国と交流も
・いのちとのつながり

 これまで500以上の女性詩人の詩を曲にしてきた吉岡さんは、来年活動35年の節目を迎える。男性社会のなかで感じた女性の生きづらさを表現してきた活動の原点は東北の農村女性。曲のすべてが自分の人生であり、心の軌跡だと語る。
 あらゆるいのちに囲まれて生きる農村女性に教わったいのちの重みを歌い続ける吉岡さんは、いのちの「絆」を感じて生きていくことを大切にしている。大震災からの復興に踏み出す今の日本に響く対談となった。

農村に教わったあらゆるいのちとの絆


◆原点は農村女性

 吉武 日本の女性詩人の詩に曲をつけて歌うという活動をはじめて、来年で35年になるのね。活動のきっかけは?
 吉岡 自立というとすごく安っぽい言葉なのですが、自分がやりたい仕事をして生きていきたい、という意識がとても強くあったんです。私たちは大学闘争の世代ということもあって、社会のさまざまなことに対してこぶしを振り挙げてきました。でも、それは男の人の活動だったのかな、と社会に出て思ったんです。とにかく作曲家になりたくて少しずつきっかけをつくってきたのですが、舞台を与えられてもミュージシャンはすべて男性でした。私がタクトを振っていると、わざとへんな音を出したり、「吉岡」という苗字があるのに「ねえちゃん」という名前でしかないんですよね。これまでこぶしを挙げて反戦や平和や平等を訴えてきたものの、女であることで自分自身が差別される側に立っていることに気づかされたんです。
音楽家 吉岡しげ美さん そんな有形無形の圧迫のなかで、自分が女であることで差別されていることを外的に知らされ、女性が結婚するということや仕事を続けていくこと、子どもを生むこととは何なのだろうと思いました。
 そんな憤りを感じていたときに、2人の友人が、新開ゆり子さんという福島県在住の詩人と、小原麗子さんという岩手県北上在住の詩人の詩を贈ってくれました。
 ずっと農村で生きてきた2人の詩は、農村を見つめ、農村の女性の立ち位置をきちんと言葉に表しているものでした。それに感動を覚え、すぐに東北にとんでいきました。東京で生まれ育ち、田舎を知らない私は、植物や木の名前、農業のことなど何ひとつ知りませんでした。新開さんはあきれ果てていましたが、自然のなかで人間が生きていることの意味をそこで教えてもらいました。農村の女の人たちの血と汗と涙の詩を通して、彼女たちが語っていることがよくわかったんです。これが私の原点でした。


◆商業主義を排除

 吉武 プロダクションに入らずに全部手作りで活動しているのはどうしてなの。
 吉岡 詩人の詩を歌っているからです。私の活動は詩人たちが命をかけて紡いだ言葉に曲をつけ、ピアノで弾き語りをしてみなさんに聞いてもらっているので、これを商売にされては困る、という思いが強くありました。詩人たちにこの活動を信頼してもらい、いい関係を築いていくということが、何よりもわたしにとって重要なことでした。それほど詩人たちの作品に感動していましたし、私の生きる指針でもあったので、もし、そこが崩れたら何の意味もなくなります。
 吉武 詩人の方たちの詩を歌ってみてどうでしたか。
 吉岡 28歳のときに初めてコンサートを開いたのですが、「あなたはやっぱり都会のお譲ちゃんだ」と新開さんにはすごく不評でした。
 どうしてもきれいなメロディーになってしまい、詩を汲み取ったような、地に根を張ったような曲にできず、「都会のネオンとともにわたしの言葉がとびちった」といわれ、とてもショックだったことを覚えています。
 また、そのコンサートのPRで新開さんと出演したラジオ番組で、彼女が「女は男の10倍も20倍もがんばってやっと認められる」といいました。その言葉に当時の私は “男性と同じようにやって同じように認められないのはおかしい、男社会だからこういう発想になるのだ”と思いました。そこで、今いるここが男社会であるのなら、違う場所で女である私の価値観に満ち溢れた風船を膨らましはじめよう、と思ったんです。憤りとともに決心したことが新たな原動力となりました。
 吉武 そういわれてよかったわね。だから今のあなたがいる。
 吉岡 ちょうど初めての挫折を経験したころ、詩の本屋で立ち読みをしていると「いま私が思っていることはこういうことなんだ」と思える茨木のり子さんや新川和江さん、高良留美子さんといった日本の現代詩人の詩にたくさん出会ったんです。そこでもう一度、自分の等身大の思いと向き合ってみようと私の第二期がスタートしました。


◆心打たれた世界

 吉武 金子みすゞの詩も歌っているけれど、その魅力は。
 吉岡 みすゞの手書きの詩集が見つかって全集が出版されるという新聞記事をみたことがはじまりです。出版元が以前仕事をしたことのある出版社だったので、すぐに連絡をとって電話口で編集長に詩を読んでもらうと、「これはもしかしたら私が曲をつける詩なんだ」とぞくぞくしました。さっそく次の日出版社に行って出版前のゲラを読ませてもらったら、ますますその詩の世界にのめりこんでしまいました。
 そのころはちょうどバブル期だったこともあって、みすゞの「見えないものを見る」あのまなざしに感動を覚えました。当時、自分の周りは見えるものしか見ず、明るいものだけに価値があって、みんなお金やきらびやかなものに憧れている、そんな時代だったので、逆にみすゞの詩はショックでもありました。金子みすゞのコンサートをやると、なかには「暗いわねぇ」という人もいましたね。
 吉武 あなたの歌を聞いていると、いのちは平和でなければ守れない、という思いをものすごく強く感じるの。いのちというものを非常に重くとらえていることが伝わってくる。
 吉岡 最初は金子みすゞの「見えないものを見るまなざし」に触発されたのですが、みすゞの詩というのは、木や花や空や星や太陽…全部がいのちあるものなんですよね。そして人間のなかにある「おごり」がまったくありません。人間も一つのいのちとして、それらのなかで一緒に生きているということを教えてくれています。みすゞの詩のように「私はそこの草と同じいのちなのだ」と思ったら、自分自身も楽しくて豊かな気持ちになれます。そう思うことがいま、一番大切なことだと思うんです。


◆近隣諸国と交流も

 吉武 それとね、あなたを見ていると、これからの「外交」は国と国によるものじゃなくて、個人による行動が必要だと思うの。あなたは中国鎮江市の栄誉市民になったそうだけど、どういう関係があるの。
 吉岡 10年以上、韓国やモンゴル、フィリピンなどアジアと交流を図っているのですが、ある知人に「中国の鎮江市で市の歌を作ってほしいとの依頼があるので行ってみてくれないか」といわれたんです。現地に行ってみると、市の歌をつくることは日本でヒット曲をつくるというニュアンスに聞こえたので、それはできないと思いましたが、そのとき通訳の人がぽつり、「ここは七夕伝説発祥の地のひとつなんです」とおっしゃったんです。日本と交流するのなら七夕がいいのではないか、と七夕祭りを提案してみると、本当に現地で盛り上げ始めたんです。私も七夕の歌なら、と「星物語」という歌を作詞作曲しました。
 イベントは5年目を迎え、人もどんどん集まるようになり、今年は5000人が集まりました。この七夕の貢献によって栄誉市民の称号をもらいました。
 七夕は戦争も関係ないし、平和の象徴のような気がして、中国と一緒にやることは悪くないと思っています。一人の音楽家と鎮江市との交流に過ぎませんが、今年は三味線や大正琴、歌舞伎をやっている友人が一緒に日本の文化を紹介してくれて、すごく盛り上がりました。歌も定着してきていて、来年は日中国交正常化が締結して40周年の年でもあるので、どんなビックイベントになるのかと期待しています。
 吉武 七夕は1年に1回の愛の物語よね。個人外交、それも“文化のある”個人外交はとても必要なことだと思います。


◆いのちとのつながり

 吉武 被災地には大震災からなかなか立ち上がれないという人がいっぱいいます。2011年の流行語の中には「絆」という言葉が入ったけれど、いのちとの絆は、震災を受けた人たちにとっても、それを支える人たちにとっても、絶対に大切だと思うの。
 吉岡 人間だけでなくて動植物にもいのちがある、というのがみすゞの考え方ですよね。そういう思いでみんながいっしょにいのちをつないで生きていくことが、震災を受けた日本国民にとって重要な課題なのだろうと思います。 “汚れた草を雨が洗い、それを太陽が乾かす…私がねころんで空を見上げるのにいいように”ということをうたった『お日さん、雨さん』というみすゞの詩にもあるように、多くのいのちによって私たちは救われている。いろいろなものが影響しあっていろいろなものと生きている絆というのは大事です。
 吉武 農村の女性はあらゆるいのちのなかで生きているわけだから、ある意味で金子みすゞですよね。
 吉岡 そうですね。私が最初に東北に行ったときはわからなかったことです。本当に人間の生き方を教えられました。
対談 音楽家 吉岡しげ美さん―評論家・作家 吉武輝子さん 吉武 そしていのちを大切に思うのは男性よりも女性のほうが強いのではないでしょうか。
 吉岡 本当にそう思いますね。なぜ私が女の人の詩が好きかというと、自分が女だからということもありますが、触ったときに温かさが伝わってくるようないのちの感じ方や、いのちに対する思いを伝達する感覚の強さが、男性の詩とは違うんですよね。だからきっと、私はこれからも女の人の詩に曲をつけていくと思います。


PROFILE
よしおか・しげみ
ピアノの弾き語り・作曲家。1977年より与謝野晶子、茨木のり子、新川和江、など日本の女性詩人の詩に曲をつけ、ピアノの弾き語りを続けている。84年より金子みすゞの詩に、97年からは「万葉集」、近年では「枕草子」「百人一首」にも曲をつけて歌う。出会った詩人30人以上、500曲以上の作曲作品がある。海外でもコンサート活動を行い、放送、映画、ミュージカル・演劇の音楽も担当。CD、著書多数。オフシャルホームページhttp://www.shigemin.com

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インタビューを終えて


 感情表現の激情型の吉岡しげ美ちゃんと、きわめて内省的な高田敏江さん。この異なる性格の二人と対談することによって、学ばされることがたくさんあった。(高田敏江さんとの対談はこちら
 高田敏江さんとは、わたくしが東映に勤めていた時知り合った。当時わたくしは24歳。彼女は19歳。わたくしが日本で初めて宣伝プロデューサーになった時、ニューフェイスに入ってきたのである。東映と、劇団民藝の試験が同時に受かり、会社との折り合いがついて、民藝に進んだ。
 再会は十年前、府中に住む彼女の友人が、わたくしを講演会の講師に招いた際、会場に来てくれたのがきっかけだった。以来、彼女と組んで平和と命の守られる社会を作るということに全力を挙げてきた。
 吉岡しげ美ちゃんとはわたくしがかつて参加していた合唱団で知り合った。この合唱団は、かつて行動的な小林カツ代さんが、六本木男声合唱団の向こうを張って結成した、神楽坂女声合唱団である。彼女はその合唱団の音楽の監督であったけれど、曲の好き嫌いがはっきり打ち出されるので、非常にわかりやすく、わたくしのお気に入りの友人の一人である。
 彼女はだから、どんなプロダクションにも入らないで、ただひたすら女の詩人の詩に曲をつけて歌い続けている。(吉武)

PROFILE
よしたけ・てるこ
 1931年芦屋市生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。作家・評論家。小説、評論、伝記などの著書多数。近作は「病みながら老いる時代を生きる」(岩波ブックレット)、「老いては子に逆らう」(講談社+α文庫)、「〈戦争の世紀〉を超えて わたくしが生きた昭和の時代」(春秋社)。

(2012.01.31)