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JA全国女性組織協議会60年のあゆみ
1950年代
1951.4 全婦連結成、規約制定.施行
1952 「農協婦人の歌」「農協婦人部バッジ」制定
1952.4 日本の協同組合ICA加盟
1952.10 第1回全国農協大会
1952.12 日本の国連加盟
1954.11 全国農協中央会発足
1956.5 全婦連第6回通常総会。役員数「理事6人、監事2人」に
1957.9 第一回農協婦人組織映画制作審議会で映画制作が決定
1957.11 映画資金10円カンパ開始
1957.11 第5回全国農協大会に初参加
1958.3 名称を「全婦連」から「全農婦協」に改称、規定を追加整備
(写真)
農協婦人部の資金集めによって作成された映画「荷車の歌」
1960年代
1961.1 10周年記念第6回全国農協婦人大会
1961.4 日中婦人交歓大集会参加
1964.5 第14回通常総会、『農協婦人10年の歩み』発刊
1965.7 全青協と「要求米価貫徹農協婦人青年全国集会」初開催
1966 「全国統一学習月間」の設定
1967.12 67年産米1445万tで史上最高
1968.2 全国家の光大会参加
1969 全国統一「農協婦人部手帳」初の発行
1970年代
1971 .10 「農協婦人ソング」が『永遠にすすめよ』に決定
1972.1 20周年記念第17回全国農協婦人大会
1972.3 全農が誕生
1972.5 「全農婦協20年史」発刊
1973.4 中国婦人との交流会
1973.11 Aコープマーク愛用運動を展開
1973 「農協婦人部の班づくり運動」成案
1974.5 全青協と「日本列島縦断米価車リレー闘争」スタート
1974.12 第1回「若妻の主張」全国コンクール審査会
1975.7 協同組合運動における婦人の役割に関する地域会議参加(マレーシア)
1975.12 農村婦人友好訪中団参加
1977 政策要求特別運動(基本農政・学校給食米飯化・農村医療政策確立)
1978.3 「粉石けんに切りかえる運動の進め方」都道府県会長会議で決定
1980年代
1980.9 ICA東南アジア地域婦人セミナー参加(スリランカ)
1980.11 国連婦人の10年中間年大会参加
1982.1 結成30周年記念第27回全国農協婦人大会
1984.11 第1回海外研修(アメリカ)
1985.5 アフリカ飢餓救済募金運動スタート
1986.2 「婦人の組合加入」要請文を全中総合審議会議長に提出、6月に1戸複数正組合員化を決定
1986 海外高齢者対策活動視察
1988.4〜 米穀等農業政策要求運動(稲の苗プレゼント、折り鶴の誓い全国の輪キャンペーン、シンポ、値下げへの抗議など)
1989.2 ICA女性委員会委員に全農婦協会長が就任決定
1989.5 「折り鶴の誓い全国の輪キャンペーン」集結式
1989.6 全中、農協代表者「米穀政策確立・価格要求実現」の政党別要請集会
1990年代
1990.9 海外研修、カーボヴェルデに贈呈した穀物倉庫の完成を確認
1991.1 農協の新マーク「JA」に
1991.5 「全国農業みどり国民年金基金」スタート
1991.5 第41回通常総会、「若妻」の新名称「フレッシュミセス」に
1991.7 「米を守る緊急国民総決起大会」開催(5万人が参加)
1991 「農協婦人部役員の組合員加入運動」
1992.1 創立40周年記念第37回全国農協婦人大会
1992.3 「女性の農協運営参画研究集会」
1992.4 農協からJAへ愛称変更
1992.5 「JA全婦協」に愛称決定
1992.10 アジア初、東京でのICA総会.ICA女性大会
1993.10 戦後最悪の米作況指数(93年産米)、緊急輸入米入港
1993.10? 全青協と市場開放阻止・米緊急輸入対策活動「米市場開放阻止を求める全国300万人署名運動」
1993.12 米の部分開放の受け入れを正式に表明、ウルグアイ・ラウンド交渉結着
1994.11 第1回フレッシュミセス全国交流集会
1995.1 阪神大震災―支援活動を展開
1995.5 「JA全国女性組織協議会」に名称変更、「新JA女性の歌・マーク」決定
1995.6 農業者年金基金法改正。女性の加入要件緩和
1995.6 介護休業法成立
1995.10 JA女性組織綱領・5原則改定が決定
1997.4 消費税5%に
1997.5 ホームヘルパー等高齢者福祉現地視察参加
1998.6 ブラジル日本移民90年祭訪問団参加
1998 「フレッシュミセス」を「フレッシュミズ」に改称
1998 フレッシュミズ2人の理事会出席を決定
1998 介護保険制度と高齢者福祉活動に関する160万人学習運動
1998 組織拡大・活性化運動
1999.6 「男女共同参画社会基本法」施行
2000年代
2000.4 介護保険制度スタート
2000.10 第22回JA全国大会で女性参画の数値目標を決議
2000.11 女性2000年NGO日本女性大会(国際婦人年連絡会)参加
2001.5 「JA女性行動’01」策定
2001.9 全中理事会で各種委員会への女性委員の就任拡大決定
2001.10 創立50周年記念韓国視察交流研修
2001 牛へのBSE感染問題
2002.1 創立50周年記念第47回JA全国女性大会
2004 「JA女性 かわろう かえよう宣言」スタート
2004.6 パラグアイとブラジルで交流視察
2005.6 「食育基本法」制定
2007 「JA女性 かわろう かえようSTEP2〜食と農を育む未来計画?」スタート
2008.1 第53回JA全国女性大会で「JA女性エコライフ宣言」採択
2010.1 第55回記念JA全国女性大会
2010 基本方策「JA女性 気づこう一人ひとり、行動しよう仲間とともに」スタート
2010 口蹄疫発生―対策募金活動を展開
2011.1 JA全国女性大会で「TPP交渉参加阻止に関する特別決議」採択
2011.3 東日本大震災発生―支援活動を展開
(写真)
創立50周年記念 第47回JA全国女性大会
◇ ◇
竹田カツさん(山形)
1977?79(昭和52〜54)年 副会長、1980?84(昭和55〜59)年 会長
米価運動、農畜産物輸入阻止、食料品添加物の規制、消費者との交流を大きな目的として運動していました。
30周年記念のときには、それまでの運動を各県で分担して芝居で演じました。山形県はちょうど凶作でお金もお米もない時代の芝居をしました。最後に全員で壇上に上がったときはみんな感激の涙でした。
昭和59年はちょうど「国際化」という言葉がいわれ始めたときで、言葉だけでなく外国の農業を勉強しようと県にお願いして青年部とヨーロッパ研修に行きました。これがきっかけとなって全農婦協でもアメリカの西海岸に行き、この活動を続けていこうと「竹田会」と名付けてその後もいろいろな国を訪れました。
竹部喜代子さん(富山)
1980〜83(昭和55〜58)年 副会長、1985〜93(昭和60〜平成5)年 会長
「折り鶴の誓い全国の輪キャンペーン」運動が米価運動の中で一番強く印象に残っています。全国の集落に行って集めた折り鶴をブリュッセルで開かれた世界大会の会場に持って行きました。1人で壇上に上がり“日本の女性はこういう運動をして農業を守っております”と夢中で農業女性の心意気を訴えました。その後は折り鶴をもって街を歩き、翌日の新聞の紙面にのりました。
また男女共同参画にも力を入れました。農業者年金に入れなかった女性の立場を強く訴え「全国農業みどり国民年金基金」を2年早く施行できたことや、会長を退任した後も組合員を1戸1人から「1個人」にしようと訴え続けた結果、実現でき、これほどうれしいことはありませんでした。女性の地位向上の道を拓けたことだと今でも誇りに思っています。
岸本栄美子さん(大阪)
1990(平成2)年 副会長
大阪も今年3月で女性協議会結成60周年を迎え、そのうちの30年間運動に携わってきました。
一番印象に残っているのは全農婦協の有志メンバーでアメリカへ視察に出かけたことです。米自由化に反対するばかりでなく、自分たちでも勉強しようと輸入米がどのように作られているのかや、農作物の畑などを見学しました。
山口カツ子さん(愛媛)
1991(平成3)年 副会長
アメリカからの緊急輸入米や消費税の開始に揺れ、農業生産者が大きなダメージを受けたときでしたので、都庁で全国集会を行い、演壇に立って決意表明の気勢をあげました。
また、「竹田会」に賛同し、さまざまな課題に対して先進地への視察に各国を訪れました。実際に現場の意見を聞いたことがその後の活動にとても役立ちました。
竹部会長を先頭にアメリカからの輸入食品の視察に横浜港に行ったのですが、これがきっかけとなって学校給食を中心に食の安全安心の問題に力を入れるようになったことも忘れられません。
小原照子さん(岩手)
1992〜93(平成4〜5)年 副会長
今のTPPの問題を見ていると当時のことを思い出します。平成5年、ガット・ウルグアイラウンドの最終結論が迫っていたためジュネーブに農業団体代表として農政活動に参加しました。女性一人でしたが代表団の一員として必死になったことを今でも鮮明に覚えています。農業は「生命産業」として位置づけなければいけないとの責任感がありました。
今でも当時の理事さんたちと交流があるくらい全農婦協の仲間意識は強く、同志として組織に没頭し、日々活動に明け暮れたことはお金に代えられないものを得られたことだと感謝しています。
出口清江さん(香川)
1994〜95(平成6〜7)年 会長、1996(平成8)年 副会長
全農婦協からJA全国女性組織協議会へと名称変更したりマークを変えたり、転換の時期だったように思います。なかなか男女共同参画がすすまないなか、「正組合員になろう、参画しよう」と呼びかけていました。
後継者づくりを強化していかなければいけないとのことから、女性組織の理事のなかにフレッシュミズ2名を参与として入れることにしました。また、初めてフレッシュミズの全国交流集会を開いたことも印象に残っています。
ICA100周年の大会でマンチェスターに行き、女性がいろんな役割を持ち、参画の仕組みがしっかりできていることに「世界の女性たちはすごい!日本の農業に従事している女性は遅れている」と感じたことを覚えています。
田守栄子さん(兵庫)
1994〜95(平成6〜7)年 副会長、1996〜98(平成8〜10)年 会長
一番印象に残っていることは女性の地位向上への運動に取り組んだことです。全農婦協からJA全国女性組織協議会に名称を変え、「農協婦人の歌」を新しく「明日輝くために」につくりかえました。そして女性理事増員の運動と「全国JA女性理事研修会」をスタートしました。
また、ファームステイを始めて子どもたちに農業体験の場をつくったほか、ブラジル移民90周年記念祭に参加し、現地の農協婦人部と交流をしたことが思い出です。
小泉栄子さん(福島)
1997(平成9)年 副会長
介護保険制度が始まる前に行ったヨーロッパ数カ国での研修が思い出されます。驚いたのは老人福祉施設の見学でした。イメージと違ってみなさん元気でいきいきしていらっしゃっいました。こういう老後の生き方があることと、こういう施設が大切なんだと思いました。
また女性の社会参画による地位向上への取り組みを先輩から引き継いで続けてきました。地元での農業委員の選挙があった際、推薦枠を女性にしてほしいと県と各市町村にお願いしましたが、市町村によってばらつきがあり、参画の拡充には頂点に立つ人の考えも重要だということを肌で感じました。
竹島愛子さん(高知)
1999〜2000(平成11〜12)年会長
会長を経験させてもらったことで、各県の方々と出会い、違う視点をもった方々とふれあうことでいろいろな知識が得られました。県内にいるだけでは体得できなかった視野や知識が広がり、成長のひとつの過程になったと思っています。反省させられる場面もあり組織活動のむずかしさや大切さを学ぶことができて感謝しています。生きているかぎり、情熱をもって学習を続けていくことが大切だと今でも思っています。
佐藤啓子さん(宮城)
1999(平成11)年 副会長
2002年にJAみやぎ女性組織協議会の会長だったころ、設立50周年記念事業として300円カンパを呼びかけてミャンマーに小学校2校を建設しました。この取り組みがなにより心に残っています。これは一人ではできなかったことで組織だからできることだと組織の強さを感じました。そして男女共同参画をすすめるための活動として「寸劇」で表現したりもしました。振りかえればとにかく何事にも無我夢中でした。
伊藤さなゑさん(三重)
1998、2000(平成10、12)年 副会長、2001(平成13)年 会長
当時は無我夢中で毎日が大変でした。一番心に残っているのは男女共同参画での運動です。農業団体の代表として総理官邸に行き、当時の小泉首相に要請書を渡しました。今までいろいろな活動をしてきましたが、私たちの言い分を気持ちよく聞き取ってもらったことがとてもうれしかったです。
そのほかにもJAグループのトップや農水省をまわって女性の地位向上を訴えました。その後女性の局長が出るようになり、政府やトップの方達に真剣に取り組んでいただけたからだと思っています。大切な役目をやらせてもらえてうれしかったです。
※これまで正副会長を務められご連絡のとれた方に電話インタビューでお話を伺いました。