経験・教訓を伝えることが被災地の役目
◆震災後には全加入者宅を訪問
被災地には全国のJAグループから義援金を含めあらゆる支援が集まったが、特に共済事業で大きな力になったのは人と物の支援だ。
宮城県全体では全国からのべ3000人ほどの広域査定員が入った。JA仙台にも毎週7〜10人ほどが半年間入り、各支店を回り査定業務を支援した。
津波で全壊した七ヶ浜支店で窓口業務を担当する佐藤孝子さんは「机や椅子どころかボールペン1本すらない状態だった。ペンやハサミなどの支給は何より嬉しかった」と当時を振り返り、全国本部からの文房具などの支援物資が大きな助けになったと感謝を述べた。
共済では普段から3Q訪問活動などで加入者の全戸訪問を推進しているが、七ヶ浜支店では震災直後に支店の職員を5グループに分けて2日間かけて全正組合員宅を訪問した。
なかには、家屋も家族も被災し契約をしていることすら知らない人もいた。彼らに契約があり支払金が出ることを伝えたところ、わざわざお金が支払われることを教えに来てくれたことに大変な感謝を受けたという。また、査定がある程度落ち着いてからの通常の訪問活動を通じて新たな損壊箇所がわかり、再査定と追加支払いができたこともあった。
(写真)
七ヶ浜支店管内の被害状況とJA共済加入者を確認するために急遽作成した白地図を前に(左から)佐藤さん、笹支店長、鈴木さん
◆スピード感の違いに課題も
共済事業が多くの組合員に感謝された一方、査定のやり方などで新たな課題も見えてきた。
七ヶ浜支店の鈴木徹・金融共済渉外課課長は「損保会社と比べ、最終的には支払い金の点でJAの方が評価されると思っていた。しかし残念ながら動き出しの遅さがイメージダウンにつながった感は否めない」と指摘する。
特にスピード感の違いで大きかったのは全壊地区の線引きだ。
大手の損保会社は上空から被災地を撮影し、大雑把な線引きで全壊地区を認定していった。JA共済も損保会社よりは後になったが上空からの撮影を行い全壊地区の線引きをしたが、それまでは地上で一戸ずつ訪問して回り、津波ですべて流出して土台しか残っていないような家屋でも一つひとつ写真に収めていった。
同支店の笹勝支店長は「震災後は自衛隊やマスコミのヘリが頻繁に上空を飛んでいた。例えばそれらと協力し、いち早く空撮写真を取り寄せ全壊地区の線引きだけでも早くできていれば、もう少しスピード感ある対応ができたのではないか」など、大災害に対する備えとして考えておくべき対策もあったのではないかとの意見をあげた。そういう課題はあるが、前述のようにJA共済は加入者を全戸訪問するなど損保会社にはない取組みをしていることを忘れてはならないだろう。高野組合長も「新商品の開発や査定の見直しなどの要望を全国本部にはあげている。この教訓を次に生かすため、震災の経験をしっかり伝えることが大事だ」という。
(写真)
高野秀策代表理事組合長
◆1800haの被害、どう立て直す?
JA仙台では、今、被害の大きかった仙台市東部地区で震災からの復興のため、そして地域の農業を守るため、新たな農業モデルを確立しようとしている。同地区には約2300haの農地があり、そのほとんどは水田だ。これの約8割にあたる1800haが津波によって作付不可能となった。
市では被害のあった地域をおおよそ沿岸部からの距離で3区分し、沿岸から遠く被害の軽微だった地域から順に24年に作付可、次いで25、26年と3年計画で除塩や整地などを含めた農地の復旧を進める計画を立てている。しかしそれでは、もっとも被害の大きかった沿岸部では向こう2年間は作付できないと、この地域の生産者が抱える不安は大きい。
一方、JAは土地改良区とも連携し、国の直轄事業を利用して市の支援により受益者負担ゼロの大規模なほ場整備を実現しようとしている。
同地区はこれまで10aの区画整理しかされてこなかった地域もあり、これを30a、50a、1haに再整備し、JAで一括して利用権設定をしようというものだ。もしこの区画整理が沿岸部から進められれば2年間待たされることなく農業が再開できると、この地区の生産者の期待は大きい。昨年12月に東北農政局が同地区で行ったアンケートでも、全体の8割が「ほ場整備に参加したい」と概ね賛成の意向を示した。
◆新たな農業モデルの確立で恩返し
JAでは、こうした大規模な区画整理と農地の集約の先に「21世紀水田農業チャレンジプラン」の実現を見据えている。これは担い手の確保・育成と食料生産地帯の農業を守ろうと16年に策定した長期計画だ。地域の農業者すべてが参加する新たな農業モデルとして「テナントビル型地域農場制農業」を構想した。
カントリーエレベーターや大規模なライスセンターと農産加工・作業場を中心に、周囲に集落営農、生産法人や認定農業者、自給農家、市民農園、など経営体・利用目的別に区画を設定し、地域全体で農地を管理。共販、直売、契約栽培、6次産業化などを戦略的に進めようというものだ。こうしたビジネスモデルを示すことで、担い手や後継者の育成にもつなげようというねらいがある。
これまでは費用、換地、区画整理などさまざまな問題がありなかなか実現に向けて動き出せなかったが、高野組合長は「今回の大震災をむしろチャンスと考え、これを機に仙台市東部の農業を、コメだけでなく野菜・花等の園芸団地や6次産業化も含めて、単に元に戻すのではなく、10年後、20年後の将来も見据えて立て直したい。逆に言えば、この機を逃せばもう立て直しはできないかもしれない」と、ある種の危機感も持ってプランの実現をめざす考えだ。「被災地JAとして、支援に対する恩返しをしたい。われわれが先頭に立って、その報告や運動の展開をすることで、それが達成できると思っている」と、新たな農業モデルを全国に先駆けて実現することで被災地からの恩返しをしたいと語った。
(写真)
いまだ復興への見込みも立っていない六郷地区の風景
※高野組合長の「高」の字は正式には旧字体です。