高度な受精卵移植技術を活用し畜産生産者を支援
◆世界に誇る高受胎率
ET技術とは、優良血統の雌牛に過剰排卵処置をし、優良な雄牛の凍結精液を人工授精して受精卵をつくり、それを雌牛から採卵、良品質の受精卵を他の雌牛に移植するものである。
受精卵は、現場のニーズに合わせて黒毛和種、ホルスタイン、交雑種など畜種別の生産はもちろん、乳牛では雌判別精液を利用した受精卵の生産も行われている。
最近ではET研究所の受精卵から生まれた牛が高い評価を受けている。23年度は北海道畜産総合共進会の肉牛部門で最高位賞を、乳牛部門で準最高位賞を受賞した。
ET研究所の受精卵供給実績は開設以来、着実に増えており、23年度は1万4500個を達成する見込みとなっている。
着実に供給実績を伸ばしてきた大きな理由は、その受胎率の高さで概ね70%前後となっていることだ。実験室レベルではこの水準を達成している研究機関もあるといわれるが、農家段階でこの高い受胎率を実現していることは世界的にも高く評価されている。
一方、北海道人工授精師協会の調査報告では人工授精による初回受胎率は、たとえば乳牛の経産牛では38%にとどまっている(2010年)。これも受胎率の高いET技術が現場で期待される理由でもある。
その受胎率の高さを維持しているのが、受精卵の「厳選」である。 具体的には供給卵の衛生検査の徹底だ。牛白血病、ヨーネ病、牛ウイルス性下痢症の3つの疾病についてはいずれも供卵牛において陰性が確認されたもののみを供給する。また、発育に影響する遺伝子病の検査も行っており、発育不良の可能性が高い因子を持つ精子と卵の交配は行っていない。
このようにして研究所では育種価の高い雌の牛群を増やしてきた。かつては供給卵の生産のための優良な雌牛は南九州から導入していたが、現在は優良な牛群を研究所自らET技術によって増やしていくという循環も生み出している。
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上士幌町にある本場。現場に出向く事業も推進
◆新たなビジネスモデルづくり
同研究所が取り組んでいる新ETシステムとは、新たな受精卵移植技術に応えるためのシステムである。
たとえば、先に触れたように乳牛の経産牛の受胎率の低下という実情への対策として、「乳牛X精液」を活用した雌受精卵の生産拡大がある。
23年度は試験的に実施し24年度からは本格的に生産する方針だ。乳牛X精液とは精液の段階で精子を分離し受精卵が雌となるよう精製したものだが、活性が低く人工授精では受胎率が低いことから、これを雌受精卵として移植する方法である。
また、人工授精で受胎が困難な不妊牛のための低価格なF1(交雑種)受精卵の生産拡大も進めている。
受卵牛の対象は人工授精を3回実施しても妊娠しない牛。
乳牛の育成コストは1頭約50万円で、出産し搾乳中の飼料代に約50万円かかるといわれる。これに対して売り上げは70万円ほど。1産で廃牛となれば利益は出なくなってしまう。これを2産、3産と増やし、たとえば5産を実現すれば育成コストは計算上、5分の1の10万円となり、利益を確保することができ酪農基盤の強化と経営の安定に貢献することになる。乳牛ではとくに夏場のヒートストレスで受胎が進まないことが経営に打撃を与えるだけでなく、全国的な生乳生産量の落ち込みにもつながっている。したがって、ETを活用する方法はヒートストレス対策としても有効となる。
また、和牛繁殖農家で飼養されている高齢牛への受精卵移植も積極的に進めている。高齢牛は繁殖性に優れていても、10歳から15歳前後の母牛では血統が古く人工授精による産子の市場評価はどうしても低くなってしまう。しかし、そこに優良な受精卵を移植すれば市場評価の高い子牛を生産することが期待できる。
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採卵した受精卵は研究員が検卵する
◆現場に出向いて移植
ET研究所設立当初から全農の受精卵を利用しているJA伊達市の人工授精師・松田吾朗さんによると、同JAでは和牛繁殖農家と酪農家に年間250卵ほど購入し移植しているという。
受胎率は乳牛の未経産牛で65〜70%、経産牛でほぼ70%。「以前は未経産牛にET、経産牛は人工授精というイメージだったがその区分けは必要なくなった」。経産牛の受胎率の高さは出産回数を増やし搾乳期間も増えることから酪農家からも高く評価されていると話す。
また、和牛繁殖農家での受胎率は80%近いという。高齢牛への移植も行っている。
「市場評価の高い牛を生産することもできるし、雌牛を産ませて母牛とし血統を更新することもできるなど、農家の経営に合わせてこの技術を活用しています」と話す。
こうした現場のニーズに合わせてET技術を普及させるため、22年度からは職員が現場に出向いて移植する事業にも取り組んでおり、現場で計画的に移植を進めるために開発されたのが「発情同期化処置」である。
これはPRIDと呼ばれるホルモン剤を膣内に一定期間、留置させることで発情を促すもの。現在のシステムではこれを9日間留置させて抜きとると高率で2日目に発情期となることが分かっており、その後7日目に移植をする。これを利用すれば農場で一斉に移植が可能になる。
この月1回の集中移植には、現在、十勝で20JAが参加しているほか、ET研究所の東日本分場(茨城県笠間市)、北日本分場(岩手県滝沢村)のほか、九州地区でもJAと連携してこの技術を導入している。
とくに東北と九州地区では本場から新鮮受精卵をチルド輸送(冬眠状態での空輸)するという新たな技術も開発したことから、この発情同期化処置による集中移植が可能になった。
現場で研究所職員が移植する取り組みは23年度で約3000件(場内ET2000例、野外ET1000例)となった。青柳敬人・JA全農畜産生産部技術専任次長兼ET研究所所長は「現場で農家の声を聞きながら仕事することによって若手職員も力がついてきた」と語る。
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ET技術により優良な卵を供給する牛群の育成も可能に
◆実施地域の普及に向けモデル拠点づくり
そのほか、新ETシステムでは移植時の黄体確認を従来の触診ではなく超音波診断によって農家にも「見える化」して説明できるようにしているほか、妊娠鑑定も実施することにしている。
受胎率の高い受精卵の作成と同時に、一方で血液検査の実施と添加剤による体質改善という新たな事業にも乗り出す。
乳牛の経産牛では、血中尿素窒素(BUN)と血糖値の比が0.3以上の牛では受胎能力が大きく低下することが分かってきた。
そこで(株)科学飼料研究所と共同でBUNの割合を下げる添加剤を開発し、この4月からビタミン・アミノ酸入り混合飼料「とまるちゃん」として発売する。経産牛は発情同期化処置を行う際に全頭で血液検査を実施、血液中のBUN/血糖値が異常値であれば、この混合飼料を給与して受胎率を高めるという戦略だ。
ヒートストレス対策にも同様の添加剤の開発を手がけている。遠赤外線を利用したセンサーで牛の体表面温度を測定することができ、牛舎のなかのどの牛がヒートストレス状態にあるかを判定することができるようになった。それをふまえ受胎率を高める添加剤を現在、研究しており、この夏から実証試験を行うという。
青柳所長によると、このような新ETシステムの普及に向けてモデル地域の拡大に力を入れていくほか、研究面では▽受胎率に関わる遺伝子解析技術の開発、▽チルド輸送した新鮮卵の1週間保存技術の開発(産業総合研究所との共同研究)、▽不受胎牛対策のためのチルド精液を応用した受胎率の実証試験など、これまでの枠にとらわれず畜産生産基盤の強化と農家経営の安定のための課題にチャレンジしていくという。