特集

総力特集TPP 考えよう 議論しよう この国のかたちを
出席者
フィフィ氏(タレント)
池川明氏(池川クリニック院長)
司会
小林綏枝氏(本紙論説委員)

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【鼎談】映画『シッコ』を見て―アメリカの医療制度と貧困  フィフィ氏・池川明氏・小林綏枝氏

・コントロールされた社会に批判の目を
・アメリカ国民の悲痛が映し出す資本主義の本質
・自由と民主主義の国、アメリカの虚像
・一握りの強者が動かす社会の恐怖
・建国の歴史がつくった価値観
・保障されない保険制度の悲劇

 TPP問題で懸念される分野のひとつに「医療」がある。それは日本とアメリカの医療制度があまりにもかけ離れているからだ。日本は社会保障としての国民皆保険制度によって全国民が同質の医療を受けることができ、世界一の制度として高い評価を受けている。
 一方、アメリカには高齢者や低所得者を対象にした医療保険制度はあるものの、社会保障としての医療保険はなく、国民は私的保険に入るしかない。しかし加入審査のハードルは高く、所得の低い人や持病がある人は入ることさえ拒否される。また、「万が一」のためにあるはずの保険は、保険会社が極力支払いを拒むため「万が一」など通用しないのだ。
 アメリカの保険会社は日本社会からも利益を得ようと日本に対して保険診療に加え自由診療も認める「混合診療」を求めてきた。その象徴といえるのがまさにTPP交渉だ。アメリカ型医療の参入によって日本の医療、国民はどうなるのか―。やってくるその悲劇を映し出しているのが映画『シッコ』である(あらすじ参照)。
 今回の鼎談では映画の感想を踏まえてアメリカ社会の構図を明らかにしながら、タレントのフィフィさんと医師の池川明先生にこれからの日本社会のあるべき姿について話し合ってもらった。
 エジプト出身のフィフィさんからはイスラム的な価値観からの日本人への警告、池川先生からはそもそも「医療」とは何かという倫理的な視点からの指摘もあり、幅広い議論になった。

コントロールされた社会に批判の目を

アメリカ国民の悲痛が映し出す
資本主義の本質


シッコのあらすじ

映画『シッコ』 マイケル・ムーア監督がアメリカの医療問題にメスを入れた2007年公開のドキュメンタリー映画。国民皆保険制度のないアメリカの医療の実態を映し、その裏にある保険会社の儲け主義を暴いている。
 アメリカで無保険が原因による死は年間1万8000人。しかし保険に加入していても思うような医療を受けられないのが現実だ。
 中指と薬指を切断し、手術にかかる費用の都合で中指をあきらめた男性、過去の病気を申告していなかったとの理由で保険がおりなかった女性、「実験的」だと移植手術を保険会社に断られ夫を死に追いやられた妻、医療費無料のカナダへ国境を越え、友人の内縁の妻とウソをついて診療を受ける女性、入院費が払えず病院から追い出され道端に捨てられた老女……、これらはすべて映画に登場する保険加入者の姿だ。
 保険会社は国民の命よりも利益を求め、保険費を払わないことに一生懸命。患者の過去の病歴をあら捜ししては申告漏れだ、契約違反だといって支払いを拒む。
 そして医療現場をも支配し、医師と手を結んで貧しい患者を見殺しにする。アメリカでいう優れた医師とは保険申請を否認し保険会社を儲けさせる医師なのだと告発している。
 高い保険料を払っている人、お金を持っている人だけが質の良い医療を受けられるという社会なのだ。元保険会社勤務の職員は、当時の職務に罪悪感があったと涙ながらに語る。保険会社は政治家に多額な献金を渡し、政府は公的医療を「社会主義医療」といって国民に悪いイメージを植え付ける。
 この歪んだサイクルがつくりだしたのがアメリカ社会だと感じさせられる。

 

自由と民主主義の国、アメリカの虚像


◆「備え」にならない保険

 小林 TPPについての報道が以前に比べてかすんできているように感じますが、これは非常に危険だと思います。『シッコ』という衝撃的な映画からどのようなことをお感じになられましたか。
フィフィ氏 フィフィ アメリカ社会の縮図というか資本主義の縮図を見せつけられました。弱肉強食、まさに貧しい人たちはピラミッドの底辺にいてずっと貧しい。頂点にいる人たちが社会を動かし、それらの人のためにできているという…。
 私はエジプト人なので、そういうものがこの世の中をつくっていることを報道などを通してずっと見てきたので、あの映画がいかにタブーか理解できました。ただ、戦後ずっとアメリカについてきた日本人には信じられないという人が多いと思います。でもこのままついていけば日本は同じような道に進むわけですよね。
 池川 私はあの映画から“資本主義は嘘をつく”ということを感じました。映画の中で女性が過去に患ったガンジタ腟炎を申告していなかったからと医療保険がおりない場面があります。いざというときのために保険金を集めていながら、必要なそのときにお金を出さないように保険会社がその口実をアラ探しする。
 国や大企業は国民一人ひとりのためでなくお金のために動いていて、お金がある人はお客だけどお金のない人は捨てていく、そんな考え方が透けて見えてきました。

【PROFILE】
(ふぃふぃ)
タレント・サンミュージック所属。1976年エジプト生まれ。2歳のときに日本に移住。日本人の夫を持つ一児の母で2005年から育児の傍らタレント活動を始める。ツイッターやブログでTPPや原発など社会問題についても発信している。


一握りの強者が動かす社会の恐怖


◆命より利益が優先

 フィフィ 法律も保険も守るべき人たちのためにあるものではなくて、利益を守るためにつくっているということですよね。『シッコ』では、「契約書に書いてあることと当てはまっていないからダメ」と、はじき出すルールをうまくつくっていることが描かれています。患者を救うなんていう考えはまったくありません。
池川明氏 池川 本来保険を使うかどうかは契約した側の問題です。でも米国の保険会社は、保険が適用される場合でも患者にわざと言わないとか、過去の病気を申告していなかったから払わないとか、自分たちの利益しか考えていないようです。
 小さい頃に転んで擦り傷ができて病院に行った。これも記録があれば病気になるわけですよね。だけど子どものときの記憶なんて覚えていません。こういうものを洗いざらい調べられると申告していなければすべてが給付対象外ということになります。私は現在日本で議論されている「共通番号制」にはこういった危険があるのではないかと思います。
 小林 社会保険にわたしたち日本人は守られているわけですが、『シッコ』で私的保険の怖さというものを見せつけられました。
 池川 アメリカは公的保険がないから私的保険に入らざるをえません。本当の貧困層は「メディケイド」という制度が支えてくれますが、中途半端に収入があって保険料が出せない人たちは保険に入れず無保険になってしまいます。

【PROFILE】
(いけがわ・あきら)
1954年東京都生まれ。帝京大学医学部大学院卒。医学博士。神奈川県保険医協会理事長。
上尾中央総合病院産婦人科部長を経て89年横浜市に産婦人科の池川クリニックを開設。命や子育てをテーマとする本や育児本の出版、講演も行う。


◆「弱肉強食」が創った国

 フィフィ 『シッコ』を見て気付いたのは典型的なアメリカの価値観でした。
 私は2年弱アメリカに住んでいたことがあるんですが、アメリカという国は移民でできた国です。日本人もエジプト人も先祖代々その地に生まれ、土着的に根づいた考え方がありますが、彼らにはそういうものがない。そもそも利益を求めてやってきた人たちが創った国なので、“貧しい人は入って来るな”とか、“貧しい人は救わない”という価値観でこれまできた気がします。今もそういう人たちが上に立っていて、負けた人は自分の国に帰ればいい、という考え方です。
 ここが日本と大きく違うところなのに、TPPによってアメリカの思い通りの制度や法律が日本に入り込んできて苦しんでも、日本人には逃げるところも帰るところもないわけです。
 イスラム経済というのは侵略的ではなく公平な考え方がベースになっています。なので「強いものが勝つ」とか「ヒーロー」というアメリカ的な考え方はアラブ社会で賞賛されていません。


◆宗教団体が唯一の救い

小林綏枝氏 小林 エジプトにホームレスの人はいないのですか。
 フィフィ もちろんいますが、道で孤独死してしまうという話は聞きません。貧しい人はモスクに行けば食べさせてくれますし草の根レベルで救う場所があります。貧しい人が餓死して死んでしまうことはありません。
 イスラム社会には「喜捨」といって、お金がある人は払わないといけないという考えがあるんです。たとえ政府が野放しにしても宗教的な組織による救いがあります。アメリカでもそうですよね。『シッコ』のなかでも最終的には宗教が運営している病院が貧しい人を受け入れる。
 アメリカにはそういうところがあるからまだいいですが、日本は貧しい人を救ってくれる受け皿がなにもない。豊かだといわれている日本では食べ物が大量に捨てられている一方で餓死する人もいる。社会がバランスを崩している状態です。TPPに参加すればもっと苦しむ人も増えるのではないでしょうか。それが恐ろしいです。


◆患者は金持ちだけ?

 小林 フィフィさんは何歳のときアメリカにいらしたんですか。
 フィフィ 19歳から9・11の2カ月前まで留学していました。当時も医療でだいぶ困りました。
 一応学生が入れる保険はあるんですが、保険がおりても虫歯1本治療するのに10万円くらいかかるんです。留学生の中には虫歯を治すために日本に帰る子もいました。ついでに親に会いに行くというかんじで。そのころから「病気は迂闊にできない」とか「ちょっとしたことで病院には行けない」とかみんな言っていましたね。
 逃げ道は移民の人がやっている“もぐり”の医者です。私は旧ソ連から流れてきた先生に治療してもらったので日本に帰って歯医者に行ったらどこで治療したのかと聞かれましたね(笑い)。相当古い技術だったようです。でもそこまでしないといけない風潮はその当時からありました。
 池川 ハワイに旅行した私の友人は、子どもが腹痛で日曜日の急患にかかったら保険がおりても何十万円も請求されたといいます。その理由を聞くと「こんな時間にきたからだ」と“ペナルティ扱い”されたそうです。保険に入っていなかったらさらに恐ろしい額を請求されたでしょう。
 そしてアメリカではクレジットカードを持っているかどうかでドクターの待遇も違うそうです。“倒れるときは背広を着てクレジットカードをもって倒れろ”とあるアメリカの先生が言っていました(笑い)。要するに向こうではお金があることをアピールをしないとまず救急車にも乗せてくれません。
 アメリカに赴任している日本の大手商社の人は、その企業が高額な医療保険に加入してくれているので最高級のもてなしを受けています。そういう人はアメリカの医療をとてもいいといいますが会社を離れて自分で支払うようになると、全国どこでも診てもらえてほとんど質が変わらない日本の医療の良さが初めてわかったとみんないいます。日本人にとって当たり前すぎていますが世界の中では当たり前ではないんです。


知らずに迫るアメリカ基準


◆日本の医療は世界一

 小林 アメリカは保険で儲けたいと考えているので日本のように公的保険がしっかりしていると民間の出番がありません。TPPでこの国民皆保険制度を壊そうというのがアメリカの狙いですよね。
 池川 たしかにそうですが、問題なのは日本国内で昭和50年代から医療制度がいかに悪いかが言われ続けてきたことです。例えば「3時間待ちの3分診療」など、医療界がいかにひどいかと。そこに“アメリカのスマートな医療は日本の制度よりこんなにいいんですよ”といわれるとみんなそっちに飛びついてしまう。その裏になにがあるのか日本国民はわかっていないんです。
 ところがWHOで評価されている日本の医療は世界一位です。その評価対象は医療の質や公平性、乳児の死亡率です。その日本人が自国の医療を評価せずにもっと評価の低い国の制度が一番いいといっているんです。これは洗脳以外の何者でもありません。日本の医療で一番の宝は意識の高い医者が大勢いることだと思いますが、この先生たちのやる気をなくすのがTPPです。
 小林 どういう風にやる気がなくなるんでしょうか。
 池川 お金ではなく患者さんのために、という思いが一番にあるので、困ったときはいつでもどうぞ、というのが日本の医者です。
 しかし、TPPに参加し、いずれ保険診療と自由診療の混合診療になれば、保険だけで診療を続けられるかというと到底それは無理な話です。そうなると患者負担の自由診療にも手を出さざるを得ません。
 そうなったときに“お金のための医療”となって日本の医者の心が変わり、日本の医療が破壊すると思います。
 フィフィ 私たちはこの病気がどのくらいで治るかなんてわかりませんから、医者は儲けたいだけ患者をコントロールすることができますよね。たとえば5日必要な入院を10日に延ばすとか…。


◆届かない負け組の声

 小林 映画の中でもありましたが、かつてクリントン夫人が保険制度改革を試みましたが、結局議会の圧力に打ち勝てませんでしたよね。
 フィフィ 国民にとってよい制度をつくろうとなったときに、当然国をコントロールしている少数層の勢力がそれを潰してしまいます。“国民”を救おうといっても“勝ち組の国民”によってできた国だからどうしても弱肉強食になってしまうんでしょう。金持ちが勝って当たり前。アメリカは負け組と勝ち組が本当にはっきりしています。長い間その力が勝ってきたわけですから、この先もずっとそれが変わることはないと思います。
 小林 なるほど。しかしアメリカ国民の中でも社会保険としての医療保険が必要だと思う人たちを結集できないのでしょうか。
 フィフィ アメリカ人もたぶん運動はやっていると思いますが、多数の意見が受け入れられるという社会ではありませんし、そういう運動が世界に広まってしまうのはアメリカにとって都合が悪いので広めないようにしていると思います。
 小林 では逆にフィフィさんが日本に暮らして感じる日本の良さは何だと思いますか。
 フィフィ 日本人というのはプラスアルファの善意の行動に対してお金でものをいわない民族だと思います。
 これはどこの国にいってもそうではありません。日本人は仕事をきっちりやるし、親切な対応があります。そしてその親切に対してお金など考えない。チップの文化もありません。「気持ち」で行き来ができる点だと思います。


◆倫理観軽視の規制緩和

 小林 アメリカは薬も医療も進んでいるというイメージを日本人はなんとなく持っていますよね。新薬の認可基準を緩和してほしいという要求もありますが、医学の立場からこういう問題についてどうお考えですか。
 池川 薬の効用には間違いなく人種差がありますので、それを考えずに規制緩和するのは危険だと思います。日本の厚労省があまり許可を出さないというのは国民に対して正しい方向だと思います。
 また、倫理的な点から議論されなければならないと思うのは抗がん剤です。出てきた新薬で本当に完治するかといえばそうではありません。余命が1、2カ月延びたらいいという考え方で開発されているものもあるからです。議論されるべきだと思うのは、その考え方そのものが違うのではないか、ということです。死ぬこと、生きることは自分の人生の中でとても大事な部分なのに、「死んではいけない」「一秒でも長く生かそう」ということに医療の現場が注視しすぎているように思います。
 死期を予測できた場合、人生の整理ができるいい時期と捉えるのか、一秒でも長く生きたいと考えるのかでは全く違うわけです。こういうさまざまな考えがある中で新薬をすぐに認可することは果たして適切な選択なのでしょうか。これは死生観が関わってくる問題だと思います。
 フィフィ イスラム社会では科学や研究分野で立証できたからといって実際にすぐ導入しようということはしません。コーランを横に置き、これをすぐ社会の中に導入したら混乱を招くのではないかということをきちんと考えます。
 しかしアメリカはクローンにしても延命技術にしても新たな研究を社会の中にどんどん導入しようという考え方のように思います。倫理的な考えとの戦いになってきますよね。医療というのは生と死、人間の尊厳があってのことだと思います。
 池川 そうですね。しかも1人ずつ価値観の違いがあります。一律にこうだと縛ることはできません。薬がほしいという人はそれでいい。だからといってその考えを全体に広げるというのはおかしいと思います。
 フィフィ TPPに参加すればこういった議論の機会などないまま、すべてアメリカの基準になってくるわけですよね。政府はこういったことを全く説明しませんが。
 池川 その通りです。日本人はみんな観客にされている状態です。


都合のいい国民にならないためには?


◆教育に見る国家の策略

 小林 では自立した国民になるために必要なことは何でしょうか。
 フィフィ やはり教育が大事だと思います。日本は本もインターネットも規制なく自由に使えるのに、知ろうとか声を上げようというハングリーな欲求のない若者が育っています。
 アラブ諸国では国によってはインターネットなど制限されていますが、そういうツールが使えるようになったときに、海外と政治の話をしようとか、外の情報を得ようとか、自分たちから発信しようという気持ちが強くあります。
 しかし日本の若者をみるとまったくそういう自覚がないですよね。大学まで行っているのにTPPはもちろん、明日の恐怖について話ができない子どもたちが育っている。
 でもそれは国にとって都合がいいわけです。日本は昔、百姓一揆がありました。過去には怒っていた人たちがいたはずです。戦後、国が政治に関心のないような教育を子どもたちにしてきてしまった。
 『シッコ』で非常に興味深かったのは、政治的に人をコントロールし、支配するやり方の仕組みというものでした。そのひとつはアメリカがキューバという存在をつくったことです。社会主義国であるキューバに対するイメージはアメリカ人にとってよくありません。しかし、実際キューバに行ってみると平和でアメリカより制度がしっかりしていて医療も安心して受けられる。この現状に訪れたアメリカ人たちが驚いているシーンがありました。
 これをアジアに照らし合わせてみると、北朝鮮がそうではないでしょうか。非常に怖い存在に仕立てているけれど、果たして本当に怖いのか? ということですよね。どこかに怖さをつくっておくことがお互いに必要なんです。そうやって日本はアメリカのやり方はすべていいんだとこれまで思ってきました。北朝鮮をアピールして国民を怖がらせ、日本には基地が必要なんだ、というように。それをあの映画は指摘していると思いました。


◆忍び寄るTPPの陰

 小林 今、日本では医者不足が問題になっていますが、医療で儲けようとしているアメリカにとって不都合なことなのではないでしょうか。
 フィフィ そうともいえないと思います。アメリカは郊外に行けばほとんどが田舎町で大きな病院などないところが多いです。でも24時間やっている店に行けばどんな薬でも買うことができます。これが薬に頼るアメリカ人が多い理由の一つでもあります。
 現在、日本でも貧しくて病院に行けないという若者がいたり、医者不足が深刻な地域もありますが、もしTPPでアメリカ流の規制緩和が実現すればどこでも薬を買うことができるようになる。だから薬に頼ることができる。貧しい人は薬に頼るしかありませんので喜ぶ人も増えてくるでしょう。しかしここが罠で、どんどんアメリカの製薬会社が儲かる仕組みになります。
 小林 それに立ちはだかっているのが厚労省の規制なのでしょうか。
医療関係者がTPP反対を訴えた「ドクターズウォーク」。(2011年11月20日) 池川 しかし、小泉内閣以降、厚労省も変わりましたよ。以前は国民のためといっていましたが、あのころから天下り先で稼げなくなってしまい官僚が金儲けを始めたんです。
 その例を挙げるならば2009年に導入された「産科無過失補償制度」です。
 これは出産で脳性まひの子どもが生まれた場合、医師の過失を問わずに対象となる子どもの家族に総額3000万円の補償金を支払うというものです。1分娩につき病院が3万円の掛け金を厚労省委託の日本医療機能評価機構に納め、脳性まひの子どもが生まれた場合に機構が契約している6社の保険会社から保険金が支払われるという仕組みです。
 しかしこの掛け金とは国民が払っている健康保険料なわけです。しかも、日本の出生数は年間約100万人なので1年に300億円が同機構に入りますが、実際補償されるお金は10億円程度で、余剰金はなんと機構と保険会社に入るということになっています。

(写真)
医療関係者がTPP反対を訴えた「ドクターズウォーク」。(2011年11月20日)


建国の歴史がつくった価値観


◆制度の裏側に潜むもの

 池川 しかも「無過失」といいつつも医者に原因がある場合もあります。その時は医者の加入している医師賠償責任保険で補償することになっています。
 また、この制度では補償金を受け取った後も家族側は裁判を起こすことができ、医療側に過失があった場合は遺族に支払われた保証金を全額返すということになっています。従って裁判を起こして医師賠償責任保険から約1億円の補償を支払ってもらおうという動機が働きます。医療側に過失があると認定すればするほど機構と保険会社に利益が出るという不思議な制度なのです。この事務手数料に約3億円の巨額な費用が使われています。官が民間に作らせた金の成る木、という印象です。
 この制度は生まれてくる脳性まひの子どもを減らすための分析や研究に努めるといいながら、医療機関での原因だけを調べ、妊婦さんの背景は調べない。だから実際はなかなか再発防止につながりません。私たちは制度の本質を知らなければならないということです。
 フィフィ 誰でも母親は健康な子を産みたいと思っています。そして先生はそのためにちゃんと指導するのが当然ですよね。でもこういうシステムによって、先生は妊婦さんの状況をきちんと説明して指導することや、産む側に選択の余地を与えず、とにかくただ産ませるように説得すればいい…そんなことにもなりかねません。今は高齢出産も多くなっているので妊婦側にもいろいろなリスクが考えられますから、こういった制度は非常に危険だと思います。
 小林 こういうことを伺うとTPP以前から日本にも利益優先の制度が知らないうちに忍び寄っていたということですね。TPPの考え方が入りやすい状況になっている。
 池川 そうなんです。単純に制度一つで見るとわかりませんが、複雑に入り組んで動いているんです。

各国の医療制度


保障されない保険制度の悲劇


◆1割の利益か9割の国民か

 フィフィ TPPは農業だけの問題というようになっていて報道もあまりされていませんが、農業だけの問題ではありません。「農業だけ」という意識が植えつけられていることも国にとっては有利ですよね。
 TPPが言われ始めた頃、TPPを推進する人は「農業を守るメリットがない」とか「農産物の貿易が有利になる」などといっていました。
 しかし震災による原発事故で放射能への消費者の不安は大きく、海外でも食べ物どころか工業製品ですら日本のものを受け入れない状況になりました。そのなかでどうやって輸出に利益を見いだせるのか説明がほしかったのに推進派はなにも言わない。
 そしてアジア諸国は経済成長期にあって日本から輸入しなくても自らよい工業製品を作れます。しかも価格競争や円高という中でどうやって日本のものを売っていくのでしょうか。国内でさえ、放射能の風評被害に何の対策もとれていないのに、とどめを刺すように平気でTPPに入ろうとしている政府をもっと非難するべきです。
 池川 日本はGDPの1割しか輸出で稼いでいないわけで残り9割は内需です。その1割の人たちが儲かるためだけにTPPに入ろうといっているわけですよね。やはり自国で独立してやっていけるような仕組みをつくるべきだと思います。1割の外貨獲得より9割の国民でしょう。その9割を潰すのがTPPです。
【鼎談】映画『シッコ』を見て―アメリカの医療制度と貧困 小林 日本は高度経済成長期からずっとオジサンたちの発想やプランが日本を動かしてきました。しかしモノが売れないというと、どうやって若者の心や主婦層の心を掴もうかということだけは考えてきたと思います。
 これからは若者たち、主婦たち、おばさんたちが日本の危機を叫び決起しなくてはいけません。TPPについてこれまでは政府や大企業への批判ばかりを言ってきましたが、私たち自身の日常からTPPを発想し、これに入ったらどうなるのかを一人ひとりが考えていく状況をつくらないと非常に危険だということを身にしみて感じました。

 


鼎談を終えて

 湧きあがりほとばしり溢れ出すフィフィさんの言説に「はて、私の母国語は?」と戸惑うような時間を過ごした。流暢な日本語の的確かつ辛辣な表現、日本語を母国語とする私だが、とてもこうは行かない。彼女の持つまっすぐな批判精神は我々日本人が近年どこかに忘れてきた大切なものの一つではなかったか。ともあれ司会を仰せつかりながら殆どその任を果たせず、忸怩たる思いである。
 池川先生のお話の数々は、シッコの現実化はまだ先の話、遠いアメリカの話と思っているうちに巧みな仕掛けが準備されつつあることを気付かせて下さった。ご友人の遭遇した膨大な医療費請求、過去の「病歴申告」を理由とする保険会社の保険金支払い拒否、“倒れるときは背広を着てクレジットカードをもって”の笑えない真実。一方、国内で着々と準備される日本の「医療制度がいかに悪いか」「3時間待ちの3分診療」。こうした批判の背後に何があるのか国民は分かっていないとの指摘に心が引き締まる。既に実施されている「産科無過失補償制度」の実態や、新薬、抗がん剤の開発を巡るご指摘の重要性も痛感する。日頃なかなか伺えない分野だけに多くの関心が向けられることを希望する。
 フィフィさんの舌鋒は鋭い。おとなしく囲い込まれてものを考えず、発言もしない若者や日本人を憂い、どこかの誰かによる大きな戦略が今日の日本をつくり、明日をも設定していると見る。日本社会の良さは、善意の行為にお金の見返りを考えない、「気持ち」で行き来できることにあると評価する。このような美点を備えた国の全てをみすみす「市場化」に席巻されてはならない。ではどうしたら良いのか。かつて日本には百姓一揆があったではないかとフィフィさん。驚きのひと時であった。
 この痛烈なる批判に私たちはどう答えるのか。TPPへの対応でそれを示して行かなければなるまい。
 池川先生、フィフィさんのご協力に感謝しつつ。
小林綏枝・本紙論説委員

(2012.07.13)