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第26回JA全国大会特集 「地域と命と暮らしを守るために 次代へつなぐ協同を」―協同組合の役割を考える―
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日本の未来を拓く「流域」の発想―「森は海の恋人」運動 25年から見えてきたこと  宮城県気仙沼市 漁業・畠山重篤さん

・カキが知らせた異変
・高度成長のひずみが海に
・復興の鍵を握る森の再生

 今年2月、国連はフォレスト・ヒーローズに宮城県の唐桑半島でカキの養殖業を営んできた畠山重篤さんを選んだ。25年前、水質悪化に危機感を持ち、漁師仲間とともに山に植樹をし、地域住民に森と海を一体で考えようと呼びかけた「森は海の恋人運動」が国際的にも評価されてのことだ。
 その畠山さんは復興と日本再生には「流域」の思想が大切だと説いている。

◆カキが知らせた異変

宮城県気仙沼市 漁業・畠山重篤さん カキの漁場は必ず川と海が混じり合っている汽水域です。川がない海ではカキは育たない。世界中どこでもそうです。
 家業を継いだのは昭和36年。しばらくは何も問題はなかったんですが、昭和40年代になるとカキの成長が悪くなったり死んだり、それから赤潮も発生するようになった。
 1個のカキは1日に200リットルも水を吸うものですから、赤潮も吸ってしまう。呼吸だから吸わざるを得ないんですが、そうすると身は真っ赤になる。その色は血の色に似るぐらい赤いので、築地市場では「血カキ」と言われたほどです。毒はありませんが、そんな赤いカキなんて売り物にならないということが起きた。
 私もずいぶん転業を考えましたよ。でも、漁師がやれる仕事などそんなにない。だから、なんとかもう一度、青い海を取り戻せないかと考えていたとき、気仙沼湾に注いでいる川にダム建設の計画が持ち上がった。人口が増え飲み水が足りなくなるから、という理由です。ただ、それではもっと海が悪くなることは目に見えている。それがこの問題に首を突っ込むきっかけとなりました。

(写真)畠山重篤さん


◆高度成長のひずみが海に

 調べてみると、ダム建設の環境アセスメントでは海は対象にならないんですね。今でもそうですが、河口から内側だけがアセスの対象、その先の海は対象外です。自然は全部つながっているのに、行政はどうも縦割りになっている。海は海、川は川、農地は農地、山は山、だと。しかし、これでは海はきれいにならない。流域全体がよくならなければいけないのではと思い、私は初めて河口から上流まで歩いて登ってみた。
 そうすると当時はまだ規制も緩い時代で洗濯機が普及しはじめたころですから排水がどんどん出ていた。下水処理場などの施設もまだ不完全でした。それに山は雑木林だったところがほとんど手入れのされない杉山になっていました。川の流域にはいろいろな問題があることが分かったわけです。しかし、それは一漁民が解決できることではない。それでも、どうやったら森から海まではひとつのものだ、ということを訴えていくかを考えたのが、山の上に大漁旗をはためかせた私たちの植樹の運動だったんです。
 そのころは科学的な裏付けはまったく分かりません。でも、黙っていても何も変わらないから、ちっちゃなことでもいいからとにかく動いてみようや、そうすれば流域の人々から、あいつら何やってんだ? と見てくれるんじゃないか、最初はそんな動機です。
 そのころ、たまたま当時は北大の教授だった松永和彦先生のことをテレビで知って話を聞きに行きました。
 聞けば、海にとっては森林や湿地、水田も含めた流域が非常に重要であることが科学的に分かったということでした。
 森林の腐葉土からはフミン酸という酸ができて、これは土のなかの鉄分を溶かすそうです。そして、もうひとつ生成されるフルボ酸はこの水に溶けた鉄にくっつく。鉄は単に酸化するだけなら錆びて沈むだけですが、このフルボ酸鉄というかたちになると、植物プランクトンや海藻が吸収できる。鉄分は呼吸や光合成に必須の物質ですが、それが生物に取り込まれるためには森の働きが重要だということが分かったわけです。
 それから20年以上が経ってさらに分かったことは、三陸沖は世界三大漁場といわれるほど豊かですが、この海を豊かにしている鉄分はどこから来ているのかということです。1つは中国大陸からジェット気流に乗ってくる黄砂。これに鉄がある。でも、黄砂は春先だけですね。しかし、三陸沖はいつもプランクトンが湧いている。それはなぜかといえば、中国とロシアの国境を流れているアムール川流域の森林から鉄分がもたらされているというんです。だから、漁場を守るためには森林を守らなければいけないということになってきたんじゃないでしょうか。


◆復興の鍵を握る森の再生

 そう考えるとやはりどうやって森に手を入れていくかだと思いますね。
 今回の震災では被災3県で30万軒の住宅再建が必要だと言われています。そのために相変わらず安い外材でやろうとするのではなく、山に手を入れる絶好の機会だと考え、東北の木を使って復興する。雇用も生まれるばかりか、これは山に光を入れることだと考えるべきではないでしょうか。そうすれば海も豊かになり、漁業の復興にも連動していく。そういう方向になんとか舵を切れないか。

◆    ◆

 今年の2月、国連で表彰を受けたときのスピーチで私は漁師の立場から、森林には3つあると思っていると話しました。
 1つは山の森、もう1つは海にも植物プランクトンや海藻の森があるということ。そして、3つめは、流域に住む人の心のなかの森です。
 もっとも重要なのは人の心のなかの森ではないか、と話したら大変な拍手をもらい、理解されたんだと思いました。
 私の地元の川、大川は北上川の10分の1ですが、サケが6万尾も遡上するようになりました。北上川は5万尾です。ただ、これは私たちが運動を続けて5万本の植樹をしたからというだけではない。流域に住む人の意識が変わったからだと思います。だから、心のなかの森が大事だと言ってきたんです。
 実際、気仙沼の海はすごく良くなった。カキだけじゃなくホタテも海藻類もいいものが育つようになって、息子たち3人も張り切って漁業をやっていくと言っていました。
 その矢先に大津波です。とてつもないものでした……。そして、海から生き物がまったくいなくなった。これで終わりだ、と思いましたよね。本当にがっかり、絶望的でした。
 ところが、1か月過ぎたら生き物が戻ってたんです。それで息子たちも、親父、もう1回やろう、と言ってくれて、昨年の夏から、周りのスギを伐っていかだをつくり、石巻に奇跡的に残っていたカキの種を仕入れて養殖を再開し、秋には北海道からホタテの種も仕入れました。そうしたら普通の年の倍ぐらいのスピードで成長しているんです。11月に海に入れたホタテは普通、翌年のお盆過ぎから水揚げするんですが、それが3月からですから。
 人間がつくった建物だとか岸壁だとかは壊れてしまったけれども、川と森は生きていて、森の養分が来ているから、海はあっという間に復活したということだと思います。これを確信しました。津波の経験は大変なものでしたが、われれれのやってきた方向は間違っていなかったな、と。
 「森は海の恋人」という運動が、沿岸漁業再生の大きな基盤になったということですね。これはひとつのモデルになるのではないか。山に手を入れろ、は復興の礎にもなると思っています。

(2012.10.12)