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北限の稲作にいどむ

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北限の稲作にいどむ
著者
川嶋康男
発行所
農山漁村文化協会
定価
1300円+税
評者
北出俊昭 / 元明治大学教授
 これまで日本の農業技術を支えてきた一つに試験場技術、関連企業技術とともに篤農家技術があった。とくに明治10年から20年代にかけ政府の対策もあり、全国各地に多くの篤農家が生まれ、「農談会」も組織された。それが全国農事会となり、さらに明治33年(1900年)の農会令により農会が発足し、その後の農業技術の発展に重要な役割を果たしたのである。

必要な篤農家技術の再認識

 戦争直後長野県の一農家がはじめた保温折衷苗代のように、昭和20年代においてもこの篤農家技術は稲作の安定的生産に貢献していたのである。
 中山久藏氏はこうした篤農家の一人であった。本書でも明かなように、この篤農家技術の重要な特徴の一つは気象、土壌、地形など地域の農業条件に密着した技術であったことである。中山氏が行った地形を利用した雪解け水の暖水路設計や種籾の発芽促進および田植え後の水管理の工夫はその象徴で、不可能といわれた寒冷地での稲作を可能としたのである。
 篤農家技術のいま一つの特徴は、篤農家自身の地域農業改善への使命ともいえる信念である。もともと中山氏は農耕によって身を立てたいと思い稲作をはじめたのは、自らが「米の飯(メシ)を食べたい」という望みと、稲作により「地域の人々の悲惨な生活を改善したい」ということにあった。
 そのため先人の篤農家の訪問をはじめ毎年栽培記録をつけるなど、自分の生活を犠牲に苦労をしながら「寒冷地にはむかない」稲作への工夫を重ねたのである。
 さらに、種籾の無償提供による稲作の普及やブドウ、レンコンなど米以外の作物栽培に努めた背景にも、地域農業改善への強い信念があったといえる。
 現在、稲作をはじめ農業生産は全国画一化した技術で営まれている。
 これは生産技術の発展を意味するが、一面では地域の多様な農業条件を考慮しない傾向を強めている。地域農業振興が強調される現在、改めて篤農家技術を考えてみる必要があるが、本書はその意義を再認識させるものである。

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