【小松泰信・地方の眼力】わたしも、ダニエル・ブレイク2017年3月29日
「トイレに行けないのが辛い」と、取材した交通誘導員から聞いた作家村上龍は、「寒い日に、トイレを我慢して、あるときは尿漏れ用パンツの中にオシッコをするのは大変だろうと思い、交通誘導員の仕事に対し、理解や想像を失ったら作家としても終わりだと、いつもそんなことを考える」そうだ(『星に願いを、いつでも夢を』KKベストセラーズ、2016年)。
◆〝農家の苦労を知らずして農政を語るなかれ〟って、言うよね~
「米作りプロジェクト出陣」「自民幹事長若手に〝喝〟」という勇ましい見出しの記事が、約60名の自民党議員による稲作体験プロジェクトを紹介している(日本農業新聞3月25日)。国会議員の〝農業離れ〟を憂う二階幹事長による、若手議員らへの体験機会の提供と、農家に自民党農政の〝本気度〟を見てもらうための企画のようである。
参加者から出された機械化や大規模化を求める声に、二階氏は「いかに米作りが苦労するかを皆が知れば、次のいい案が皆の中から出てくる」と諭したそうだ。だとすれば、農業離れが際立つ農水省幹部にもお声をかけていただきたかった。
全国農業新聞(3月17日)によれば、10アールの体験圃場提供者はもとより、地元JA、JA東京中央会や全中、さらには全国農業会議所までが協力するそうである。何とまぁ、ご苦労なこったぁ。進次郞をはじめとする議員たちのお守りにかり出される関係者にどれだけ迷惑がかかるか、そんなことも想像できない方々に多くは期待できまい。
冒頭で紹介した村上龍は、交通誘導員を取材しただけで、自ら誘導にはあたっていない。それでも、作家としての矜恃にかけて、彼らへのシンパシーと想像力を忘れないことを自らに課している。体験以前に、そのさび付いた想像力のさびを落とせ。
「農家の苦労を知らずして農政を語るなかれ」とのようだが、言葉だけが上滑りしている噴飯物の笑うに笑えぬ茶番劇。
◆農水省までもが監視・警戒対象という悲劇
そもそも、こんなことにかかずらっている場合か、JAグループ。
日本農業新聞(3月15日)は、4月にも始まる日米経済対話に向けた準備協議に、外務、財務、経済産業、国土交通の4省が参加、農水省が不参加、という事態を取り上げている。まず、「米側が関心があるのは自動車など農業以外だから当然」という冷静な受け止めと、「農水省の知らないところで、農産物の自由化の協議が進展してしまうのではないか」という懸念とが併記されている。
蚊帳の外に置かれた農水省が怒りモードかといえば、豈(あに)図らんや同省幹部は、農業に関して「米政府から個別、具体的な要望はない」から当然とのこと。まさに他人事の風。これまでの流れや次官自ら農水省不要論を説いている情況証拠から、確信犯的な不参加との見立てもあながちげすの勘ぐりではなさそうだ。
同紙同日の社説は、「最大の懸念は、日米経済対話が自動車などを皮切りに農産物に及び、農業・農協改革も絡めて、日米自由貿易協定(FTA)交渉へ進むことだ。あらゆる事態を想定して、監視と警戒を強めなければならない」と、警鐘を鳴らしている。
ただ、ことが一筋縄でいかないのは、監視・警戒対象が米国だけではなく、政府与党や隠れ与党に加えて、わが国の農業を守ることが最大の使命であるはずの農水省までも含まねばならないということである。JA陣営も、そして農業そのものも四面楚歌の状態にある。
◆ツケを払わされるのは誰だ
悲観的予想ほど良く当たるご時世。〝日本農業「第一の標的」〟という大見出しで、米通商代表部(USTR)代表に指名されたロバート・ライトハイザー氏が14日、議会上院の指名公聴会で、農業分野の通商交渉で「日本は第一の標的になる」と強調し、農業分野の市場開放を強く求めたことを、15日の東京新聞夕刊が報じた。さらに、「TPPを上回る合意を目指す」ことや、「日本に対する農産物開放の要求はとても優先度が高い。農産物の貿易に関して多くの障壁を残したままでいるのは理解できない」と語るなど、日本に対して厳しい交渉を迫る意欲を示している。件の警鐘は、単なる杞憂ではなかった。
日本経済新聞(3月16日)によれば、「高いレベルで市場開放を約束したTPPを放棄しておいて、日本の農業に言及するのは勝手だ」と、農水省幹部は怒りを隠さないそうだ。パフォーマンス発言ではないことを願うばかりである。
当然、「TPPを上回る関税削減要求などに応じれば業務用米に注力するコメ産地や廃用乳牛の牛肉を出荷する酪農業など、安い輸入品と価格帯で競合する農家が真っ先に影響を被りかねず、日本の農業は試練を迎える」(山陽新聞3月16日)ことが容易に想定される。
悲しいかな、いつもツケを払わされるのは政治屋やダラ官ではなく、農業者と国民である。
◆名匠ケン・ローチ監督の教え
「TPP協定は、発効はしていないけれど、日本政府は着々と協定にそって進めている」こと、そして「こうしたことを多くのメディアは報道していません」と、山田正彦氏は切々と訴えている(JAcom3月27日)。
その先に何が待ち構えているのかを、英国の名匠ケン・ローチ監督による映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』が教えている。監督はインタビューで、マーガレット・サッチャーの出現で英国社会の状況が一転したこと、すなわち新自由主義政策が根底におく自己責任論によって、それまで積み上げてきた、お互いを助け合い、敬う、文明的な社会が台無しにされ、その代償が非常に大きく、「恐ろしいことです」と、語っている(『わたしは、ダニエル・ブレイク』有限会社ロングライド、2017年)。
わが国において産業問題と地域問題が渾然一体となっている農業・農村問題を、新自由主義政策で解決しようとした時の代償がいかに大きいか、多言を要しない。わたしは、農業という産業の尊厳と自らの尊厳を守るために、こう叫び続ける。
「地方の眼力」なめんなよ
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