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(035)不安だが安全、安心だが危険2017年6月16日

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【三石誠司 宮城大学教授】

 食の「安心・安全」という言葉が良く聞かれる。この言葉の後半、「安心・安全」は別に食だけに関わるものではない。最近は様々なところでブームでもあり興味深い。

 例えば、国家レベルでは、総務省が「国民生活と安心・安全」を掲げ、国土交通省は「安心・安全の確保」、防衛省は「安心・安全対策」としている。これに対し、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、環境省では順番が逆になり、「安全・安心な社会」や「食の安全・安心」、「安全・安心に関わる環境問題」としている。「安全」と「安心」の順番の違いは何を意味するのか聞いてみたい気もするがここではあえて問わない。
 大手企業でも「安心・安全」を正面から掲げている企業は極めて多い。これは、「安心」かつ「安全」なものは、食に限らず社会生活に関わる全ての分野とレベルで求められているという当たり前のことを示している。この2つの言葉の差異について一般的によく使われる整理としては、「安心」が心理的・主観的であるのに対し、「安全」は科学的・客観的であるというものである。
 つまり、「安心・安全」という組み合わせは、言い換えれば、心理的にも科学的にも、主観的にも客観的にも全て満足できる理想の組み合わせということになる。だからこそ、主張や立場の違いを超越して誰もが納得できるフレーズになっている訳だ。
 各省庁で比較すると、「安心・安全」が文系優位な省庁、「安全・安心」が理系優位な省庁と見えないこともないが、物事はそれほど単純ではないのであろう。
 少しうがった見方をすれば、「安心」の反対、つまり対義後は「不安・心配」、「安全」の反対は「危険」である。マトリックスなど用いなくても4つの異なる組み合わせがあることがわかる。「安心・安全」、「安心・危険」、「不安・安全」、「不安・危険」である。

不安だが安全、安心だが危険

※  ※  ※

 このうち、「安心・安全」は多くの賛同を得るであろうことは既に述べた。また、「不安・危険」なものも、それを明らかに避けるという意味では問題無い(それ自体に問題がないという意味ではない)。
 本当の問題は、実は「危険」であるにもかかわらず、人々が心理的に「安心」だと思っているもの(「安心・危険」)と、実は「安全」であるにもかかわらず、人々が「不安」に思っているもの(「不安・安全」)である。こうしたものは世の中にどの位あるのだろうか。流行り(?)のアクティブ・ラーニングでこれをあげてみたら、ものすごい数になるのではないか。実は我々の多くが誤解している可能性も高い。
 例えば、食べ物について言えば、自宅や親戚、友人・知人が作ったものについては、食品自体に「気持ち」や「配慮」という要素が加わるため、判断にバイアスがかかる。誰々が作ったから「安心」、でもよく考えれば決して「安全」ではないというものである。親や配偶者が作ろうと、一流の料理人が作ろうと、「危険」なものは「危険」である。
 完全管理された無菌状態で工業的に作られたものは、「情」には訴えないが、「安全」である可能性が極めて高い。汚い手でそのまま作れば誰が作ろうとこれは「危険」である。

※  ※  ※

 人間というものはおかしなもので、「誰が」作ったかにより心が動かされることが多い。仮に目の前に美味しそうな食事があり、それが微生物や毒性などの科学的観点からは高いリスクを抱えているとわかっていても、年老いた母や愛する妻の手料理であれば、余程の事が無い限り食べてしまう可能性は私でも否定できない。かように、頭での理解と実際の行動は難しい。

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