【小松泰信・地方の眼力】現場は大枠合意に合意せず2017年7月12日
今回は、「EPA大枠合意」に関する新聞社説の比較検討である。
◆怒る日本農業新聞
日本農業新聞(7月7日)の論説(以下、社説で統一)は、「日・EUが世界の自由貿易体制をけん引するという政治的な演出の一方で、焦点のチーズでTPPの水準を上回る市場開放をのんだ事実は看過できない。酪農への打撃はもとより、日米経済対話への悪影響が危惧される。拙速な秘密交渉で政治決着を図ったことに断固抗議する」と、厳しい姿勢を示す。安倍首相が早期合意の指示を出した意図として、〝自由貿易のリーダーとして日本をアピールできる〟ことと〝支持率急落からの浮揚を図る絶好の材料である〟ことをあげる。そして、TPP交渉においては「聖域」としていたソフトチーズにおいて大幅な市場開放を許したことや、TPP水準の豚肉に、木材、ワイン、パスタなどの関税撤廃が農林水産業に少なからぬ影響を及ぼすことを警戒する。そのため、「国会はただちに閉会中審査を行うべきだ。TPP以上の秘密交渉のプロセスと、国内産業への影響を早急に精査しなければならない」とする。
◆全国紙は予想通りの歓迎姿勢
〝自由貿易の再構築に繋げたい〟(読売新聞7日)、〝「反保護主義」の契機に〟(朝日新聞7日)、〝保護主義防ぐ役割は重い〟(毎日新聞8日)、〝保護主義断ち切る起点に〟(産経新聞7日)、〝日欧合意を礎に自由貿易圏広げよ〟(日本経済新聞7日)という見出しが示すように、すべての全国紙はその社説において、自由貿易・反保護主義の立場から、今回の大枠合意を歓迎している。
打撃を受ける農業への支援策などについては、「政府や農協は、原料となる生乳の流通改革などを通じた関連産業への目配りが欠かせない」(読売)、「影響を見極めつつ、一定の政策面の配慮が必要だろう」(朝日)、「...ばらまきに終わるような保護策は禁物だ。これまで高関税で農業を手厚く守ってきたが、衰退に歯止めがかからなかった。農家の競争力を高める政策が必要だ。...農産品の輸出拡大を図るべきだ」(毎日)、「...欧州と競合する産業の生産性を高め、高い品質に裏打ちされたブランド力を構築すること」(産経)と、極めて軽い位置づけである。日経に至っては言及すらしていない。
◆危機感を募らせる地方紙
他方、地方紙の多くは、危機感を募らせている。
中国新聞(7日)は、「てんびんに掛けられた日本の農家には不安と怒りが渦巻く。とりわけ影響が深刻なのがチーズ生産者だ」とし、将来的には「...生乳の需給バランスも崩れかねない。国産ワインや豚肉も厳しい状況に置かれる。農業衰退に拍車が掛かれば地方の活力も当然失われ、ひいては国の食料安全保障も揺らごう」とする。また、情報開示も不十分、影響試算も無い、さらに先の通常国会でこの問題の審議が端に置かれたことなどから、「...EPAの判断も持ち越すのが筋」とする。さらに、今回の合意内容がTPPや日米2国間協議に波及する、いわゆる「自由化ドミノ」への警鐘を鳴らし、「国民の幅広い合意が得られないようなら、破棄の決断もやむを得まい」と、他紙には見られぬ厳しい結論である。
北海道新聞(7日)は、「...チーズは強い逆風を受ける。...道産チーズの柱はソフト系だ。輸入増加が見込まれるEUの安いチーズとすみ分けができなければ、価格下落などの影響は避けられないだろう。...EUには、農家所得を支える直接支払い政策がある。日本が貿易自由化を一層推進するのなら、こうした政策も必要だ。それなしに、同じ土俵には立てない」とする。
高知新聞(8日)は、「国産材の利用拡大の切り札として高知県が力を入れる『CLT』(直交集成材)も欧州産が安く、脅威」とし、「...甘い対応でしわ寄せを受けるのは地方の産業や零細な農林業者らだ」とする。
愛媛新聞(9日)は、農業担当のホーガン欧州委員の「日欧双方にとってウィンウィン(相互利益)だが、欧州の農村部には大勝利だ」という発言から、日本の生産者への影響に懸念を示す。さらに「...自由でありさえすれば何もかもうまくいくわけではない。巨大市場にのみ込まれることのないよう、公正なルール作りと足腰の強い産業や人の育成に、より一層注力してもらいたい」とする。
岩手日報(8日)は、「グローバル化は岩手の産業構造を一変させてきた。牛肉の自由化は畜産農家を激減させ、海外への工場移転は製造業の土台を揺るがした。『保護主義と闘う』陰で、地域の産業が消えていく。今こそグローバル化の負の面を直視し、国会の場で交渉過程を検証しなければならない」とする。その経験に基づく指摘は、重くて悲痛な響を持っている。
京都新聞(7日)は、「EUは、...域内では農家所得の補償など、手厚い農業保護政策を続ける。...EUとの競争を迫るならEU並みの支援も必要」とする。また、「EUがチーズの対日輸出増を狙う背景には、ロシアがウクライナ問題で欧州産に制裁を続け、余っている事情もある。制裁解除すれば値上げで関税撤廃の恩恵は吹き飛びかねない」ことも示唆している。
東京(中日)新聞(8日)は、「今回の合意には『強まる保護主義に対抗する自由貿易の推進』と評価する見方が多い。だがこれでは重要な点を見落としてしまう。...なぜトランプ政権が誕生し欧州で極右勢力が台頭したのか。グローバル化の負の側面、自由貿易のあり方そのものが問われていることを忘れてはいけない。格差の中で職を失い、家庭が壊れ、希望を失った働く人々の悲しみと怒りがある」と、極めて重要な論点を提示している。
◆現場からわき上がる怒りと不安。にもかかわらず、全中会長の談話たるや
日本農業新聞(8日)の中国四国版は、〝影響計り知れぬ〟という見出しで、中国四国の各県JA中央会会長の談話を紹介している。例えば、JA岡山中央会青江会長は、〝TPP関連政策大綱に沿った体質強化の取り組みに水を差すもの。生産現場の責任者として、地域農業に壊滅的な打撃を与えかねない動きには断固抗議する〟と、怒りを隠さない。そして、影響についての情報公開の徹底と、重要品目の再生産に必要な〝万全で息の長い政策的支援〟の速やかなる措置を求めている。他県の会長も異口同音の談話である。
地方紙が示した危機意識。現場が示す怒りと不安。それらを受け止めて、政権・与党と対峙するのが全中、そしてそのトップの役割のはず。ところが、奥野全中会長の談話からは、そのような気概は伝わらず、現場との乖離状況のみが明らかとなった。
「...交渉にあたった政府・与党が、わが国農業の立場を粘り強く説明したことで、持続可能な農業の維持、安全・安心な食料の安定供給、農業の多面的機能の発揮等について、欧州側と共通認識に立って合意に至ったものと理解する。...大枠合意では、重要品目について輸入国の実情に対する一定の配慮がなされ、乳製品や畑作物等に関する制度の基本が今後とも維持され得るものと受け止めている。また、輸出条件の改善にも展望が開かれた」と、政府・与党の労をねぎらい、大枠合意を評価する内容と理解される。もちろん、万全な予算措置や関連法制度の整備を求めてはいるが、「国民・消費者の声にも十分配慮しつつ」との断りを入れているところに、最後の最後まで運動体の長とは思えぬ一貫した姿勢が示されている。
日本農業新聞(9日)の〝書店へいらっしゃい〟のなかで、「JAの救世主とも言われる奥野氏」というフレーズがあった。苦しい状況におかれているJAグループのどこをどのようにして救われたのか、御存じの方にはぜひご教示いただきたい。
「地方の眼力」なめんなよ
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