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【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】(096)"なぜ"飢饉はおきたか2018年8月31日

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【三石誠司 宮城大学教授】

 「飽食の時代」、あるいは「崩食の時代」と言われて久しい。コンビニやスーパーに行けば、いつでも好きなものが自由に入手できる。時々、思い出したように将来の食料不安が議論されるが、日々を生きる我々は目の前の現実に忙しい。

 少し古い本だが、中島陽一郎『飢饉日本史』(1976)という本がある。そこでは西暦567年から1975年まで、約1400年間の飢饉の記録を調べ、その原因が天災によるものか、人災によるものかを分析している。今の時代、忙しい人には専門的な書籍をじっくり読む時間など余り無いと思うが、この原因別飢饉分析は興味深い。
 対象は記録上確認できた506件の飢饉であり、それを原因別に順位付けしたものが示されている。以下、その一部をごく簡単に紹介する。

 

 1位:日照り (120件、23.7%)
 2位:水害 ( 90件、18.8%)
 3位:流行病 ( 52件、10.0%)
 4位:風の害 ( 33件、7.0%)
 5位:地域エゴ ( 31件、6.0%)
 6位:戦争 ( 25件、3.1%)
 7位:地震 ( 15件、3.0%)
 8位:虫・ネズミの害 ( 14件、2.8%)
 9位:冷害 ( 11件、2.2%)
10位:津波 ( 4件、0.8%)
11位:その他 (111件、20.7%)

 

 上記のうち、明らかな天災は下線を引いたものであり、その合計は287件(58.3%)である。これに対し、人災は流行病、地域エゴ、戦争の合計で19.1%である。その他の中には、噴火、火災、交通途絶、原因不明という注記があるが、噴火は天災に含めても良いのかもしれない。また、交通途絶もそもそもの原因が天災であれば天災とみなしても良いのではないかと思う。
 いずれにせよ、ざっと見て飢饉の原因の7~8割は天災またはそれに近いと言えよう。興味深い点は、人災のウエイトがかなり高い点である。公衆衛生の概念や技術が現代とは大きく異なるとはいえ、流行病が52件(10.0%)を占めている。また、地域エゴが31件(6.0%)とあるが、この内訳は、穀留と津留が各々16件、15件である。
穀留、津留、荷留とは、いずれも字の通り、かつての領主が領地の境や港などで、米穀などの他地域への輸送を禁止することである。津留は港で行われた輸送の禁止である。現代でも、ある地域の穀物生産が不作になった場合、当該国の政府が輸出を禁止するようなことがあるが、それと同じものが日本国内の旧領国間で起こっていたと考えれば良い。

 

  ※  ※  ※

 

 それにしても、記録上だけでも1408年間で506件ということは、ほぼ3年に1回である。同書の冒頭には「飢饉は五六十年間に、少なくとも一度はある」といわれていたと記されているが、実際は大小、そして記録に残っていいない飢饉を含めるとさらに多かったであろうことが十分に伺える。
 ところで、西暦567年(欽明天皇28年)と言えば、日本書記には有名な記述がある。

「郡國大水飢、或人相食。轉傍郡穀、以相救。」
 書き下し文は、
「郡(くに)国(ぐに)、大水いでて飢(いひにう)ゑたり。或いは人相食(ひとあいくら)ふ。傍らの郡(こほり)の穀(たなつもの)を運びて相救(あいすく)へり。」

である。この文章は中国の「漢書元帝記」にほぼ同じものがある。しかしながら、日本の正史である「日本書記」ですら「人相食ふ」という表現をそのまま使わざるを得なかったほど、この年の飢饉は厳しかったのであろう。

 

  ※  ※  ※

 

 さて、中学の日本史で学んだ仏教の伝来は538年(あるいは552年、こちらは「日本書記」説)、つまり欽明朝の飢饉の年から約30年前である。わが国で仏教が広まった背景には様々な理由があり、物部・蘇我両氏の権力闘争などを学んだ記憶がある。
 当時は古代国家の草創期であり、氏族集団から村落社会へと社会が大きく変化する中で、実は貴族と庶民の生活格差が急速に拡大していったことなどが知られている。仮にその中で庶民の拠り所としての仏教が急速に普及したと考えると、グローバル化と「格差社会」に象徴される現代にも通じるものがあるかもしれない。
 では、現代社会における当時の仏教に相当するものは何か、もしかしすると、それは考えることを放棄して何でもかんでも数値化することと、神仏の代わりのAI(人口知能)に判断を委ねることか、などと漠然と思う次第である。

 

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三石誠司・宮城大学教授のコラム【グローバルとローカル:世界は今】

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