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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第40回 「大正は遠くなりにけり」はどこへ?2019年2月14日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 1960年代後半、「明治は遠くなりにけり」という言葉がはやったこれは1968(昭43)年が明治100年にあたり、政府主催の記念式典等が開かれるということからなのだが、たしかに100年は遠い昔である。とりわけ明治生まれの人にとっては、明治が終って60年、感慨深いものがあったろう。
 と思っていたのだが、この「遠くなりにけり」の言葉は中村草田男という人のつくった『降る雪や 明治は遠く なりにけり』という俳句からきたものとのこと、しかもこの句は1936(昭11)年、私の生まれた年につくられたものだという。
 この句からすると、明治の前の大正は15年で終わったのだから、25年{=(昭和の11年)+(大正の15年)}もすると、つまり四半世紀も過ぎると、「遠くなった」、「なつかしい」と感じるものらしい。子どものころの私にとっては、明治は祖父母の生まれた年代、大正は父母の生まれた年代、それでともに親しみを感じながらも遠く遠く感じていたのだが。

 氏名・生年月日を書かされる欄のある書類がある。その生年月日の前には明治・大正・昭和などの元号が書いてあり、該当するものを○で囲むようになっている。やがてこの元号に平成が加わり、明治が見られなくなってきた。それから10年くらいしてではなかったろうか、ある書類の元号の欄には大正もなくなっていた。どう記入すればいいのか困ってしまった、そういう時代になってしまったのかと何とも言えないショックを受けた、近所の大正生まれの奥さんが家内にそう言って笑っていたと言う。
 明治どころか大正も遠くなってしまった。考えて見たら昭和もそうなりつつあるのかもしれない、私たちも年をとったものだ、古代の遺物になりつつあるのかもしれない、家内と二人でそう言って思わず苦笑いしたものだった。

 そうこうしているうちに、大正生まれの私の父も母も、大学のときの恩師も、さっき話に出た近所の奥さんもいなくなってしまった。本当に「大正は遠くなりにけり」になってしまった。でもなぜか世間ではその言葉は聞かれなかった。

 さきほど述べたように四半世紀も過ぎると「なつかしい」と感じるものということからすると、大正については昭和25(1950)年前後から、昭和については平成25年(2013)ころから「○○は遠くなりにけり」という言葉が聞かれるようになっていいはずである。
 実際に、昭和については数年前からなつかしむ声が出てきている。BSテレビの『昭和は輝いていた』(この番組名の是非は別にして)をはじめとして昭和をなつかしむ番組が放映されるなどはその典型だ。まさに四半世紀過ぎころにこの動きが出てきている。これは偶然ではないのかもしれない。
 しかし、大正をなつかしむ言葉については昭和25(1950)年前後には聞かれなかった(私の記憶ではだが)。これは当然のことだろうと思う。当時、大正元年生まれはまだ40歳、15年生まれはまだ25歳、自分の生まれたころを懐かしむ年齢にはまだなっておらず、ましてや当時は戦後の混乱の真っただ中、餓死するかしないかで目の前のことしか考えられなかった状況の中で、昔をなつかしむなどという精神的経済的ゆとりはなかったはず、だから「大正は遠くなりにけり」などと詠嘆する言葉など出てくるわけはなかったのである。
 だからそれはしかたがなかったのだが、その後もずっと「大正は遠くなりにけり」と言ってくれる人はおらず(これは私の思い過ごし、知識不足であればいいのだが)、前回述べたように大正100年も祝ってくれなかった。
 これでは「大正」がかわいそうだ。日本に童謡や児童文学を新たに誕生させて私たち昭和の子どもたちを喜ばせ、大正ロマンという言葉まで生み出すなど日本の文化の新たな夜明けをつくってくれた大正時代をもっと語るべきではないか。などと考えるのは、両親や恩師、先輩研究者をはじめ多くの大正生まれの方々にお世話になった昭和生まれの私のノスタルジア(今はこんな言葉は使わないか)でしかないのだろうか。

 といっても昭和生まれの私には大正をなつかしんで語るだけの知識はないし、そもそもその能力もない。山形県の銀山温泉で「大正ロマン」の一端に触れ、昔をなつかしむくらいしかできない(残念ながら岐阜の「大正村」には行ったことがなく、体調からして行けそうもないのが残念である)。しかし、大正生まれの方々から教わったことや大正につながる昭和の初期のことについてはまだ若干語れそうである。それをこのコラムに書かせてもらってきたが、これからも続けさせていただきたいと思っている。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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