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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第42回 続・「昭和は輝いていた」か2019年2月28日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 前回述べたテレビ番組の『昭和偉人伝』、ここでいう昭和の偉人とは「国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代を牽引したリーダー」ということで、戦前戦中の軍人や政治家などは対象外にしていた。ということは昭和の戦前戦中期は輝いた時代ではなく、したがって当時を牽引したリーダーは偉人として扱わないということを意味するのだろう。これで一安心した。
 それでも「偉人」にはひっかかる。そして偉人として取り上げた人物も本当に偉人と言っていいかどうか疑問がある。たとえば偉人としてとりあげた吉田、池田、佐藤、田中、後藤田、土光、松下、出光、中内などの政財界人、たしかに時代に一定の影響を及ぼしたたが、「偉人(=歴史に遺るような並外れて優れた人、すぐれた仕事をなしとげ多くの人から尊敬される人)」と評価していいのかどうか、かなり疑問のあるところである。
 もう一つひっかかるのは(というより「おもしろいのは」というべきだろうが)、この番組で偉人として登場した人の大半は芸能人だということだ。もちろん私も名を知っている方であり、それなりの成果をあげた方である。しかし、その方たちを偉人と呼んでいいのかどうかわからない。偉人の拡大解釈のような気がするし、今まで偉人と言われてきた人たちがどう思うか聞いてみたいものだ。でもこれは戦前のように軍人や政治家が偉人などと言われるよりはいい世の中になった証拠だ、と私は思いたいのだが、どうだろうか。

 それから『昭和は輝いていた』の番組だが、これは戦争を起こした昭和の政治、経済、社会を褒め称える意味で「輝いていた昭和」と名付けたわけではなかったようである。美空ひばりとか江利チエミなどの昭和の時代の歌や歌手、作曲家、漫才師や落語家、スポーツ、ファッションからレストラン、子どもの遊びの話まで、昭和の歌謡、演芸、風俗等々を取り扱っており、その一つ一つが『輝いていた』と紹介していただけだった。司会の武田鉄矢の話もおもしろかった。

 それで私もときどき見るようになったのだが、自分の生きた時代を、自分の子ども時代や青春時代、家族といっしょに楽しんだころ、仕事に精を出して自分が輝いていた(?)ころ、仲間と飲んで歌ったころのことなどをこの番組はなつかしく思い起こさせるものだった。

 もちろんいろいろ苦しいこと等々あった。しかし、みんなで手をつないで民主主義を確立し、荒廃した日本経済を復活、発展させ、この番組で取り上げたような多様な文化をみんなで育て、つくりあげてきたことは、好き嫌いは別にして、やはりたいしたものであり、そういう意味では昭和の時代を生き抜き、支えてきた人たちは誇りに思っていいのではなかろうか。そしてそういう人たちはみんなそれぞれ輝いていたといっていいのかもしれない。

 現政権が何とかして突き崩そうとしている平和主義の「戦後レジーム」、これをつくりだし、守ってきたのも戦後昭和を生きてきた私たちだった。そういう面でも昭和は輝いていたといっていいだろう。そのために、いまだにアメリカといっしょになって海外で自由に戦争のできる国にできないでいるのである。

 ところが、平成の時代に入ってからは、グローバリズム・新自由主義の本格的展開、バブル狂乱とその崩壊・リーマンショック、リストラ・派遣・カローシ・ホームレス、アメリカ的な成果主義・『能力』主義・競争主義・早期退職制度の導入等による人間関係の激変、格差の極端な拡大、環境破壊も関連しての自然災害の多発、東日本大震災と原発事故、さらにアメリカといっしょに日本が戦争できるようにしてしまった戦争法の成立等々、暗いニュースが続いた。
 農業に関しては、食料自給・農業保護政策は放棄され(口先だけでも言わなくなり)、農地の荒廃、農村の崩壊が進み、村の家々の灯は消えてなくなる一方だった。
 こうなるとますます昭和が輝いていたように見える。そこから昭和をなつかしむ番組がひっそりとBSテレビで流され、かくれた長寿番組となっている、こういうことなのだろうか。もしもそうならちょっと悲しいのだが。
 あるいはだからこそ改めて、昭和の時代に何を得て何を失ったのか、そして平成はそこから何を学び、何を得て何を失ったのか、何を新しい元号の時代にひきつぐべきなのかを振り返ることが必要になっているのかもしれない。そういう問題意識からもう少しの間本稿で昭和のその昔を、また平成を振り返らせていただきたい。

 懐かしがるようになる年月の明治と昭和の事例から類推する法則性(前々回述べたことだが、もちろんそれは私の個人的な非科学な推測でしかない)からすると、後四半世紀もすれば「平成」をなつかしむ声が出ることになる。そのころに、平成に学んだことが新元号の時代に活かされてたとえば原発は廃止、沖縄の基地はすべて撤去され、田畑や山野は豊かな緑に覆われ、子どもたちの明るい声が村や町にあふれ、平和を世界中で謳歌できるような世の中になっていてほしいものだ(もちろん私は年齢からしてそれをみんなといっしょに謳歌することはできないだろうが)。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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