【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第43回 駅裏の『さなぎ女学校』2019年3月7日
1954(昭29)年、私が大学入学のために来たころの仙台の駅舎は、戦災で焼失した後に建てられた木造モルタル二階建てだった。その駅舎の西側にまだ焼け野原が残る市街地・繁華街が広がり、駅舎の正面玄関・出入口はそこに面していた。
一方、駅の東側には駅の出入り口(つまり東口)はなかった。そして人々はその駅の東側の地域を「駅裏」と呼んでいた。
その「駅裏」には、赤線地帯(売春宿の設置を認められた地域)があった。さらにそのそばにあるX橋と言う名の跨線橋のところにはパンパン(アメリカ兵に春を売る女性)がたむろしていて、近くの駐屯地から遊びに来るアメリカ兵を誘っていた。戦争が、貧困が、ここに身を落とさざるを得ない女性を作りだしたのだが、まだそんな時代だった。
こうした暗いイメージもあって、「駅裏」と呼ばれていたのではなかろうか。
そこの周辺で生まれ育った人も自分で「駅裏」と呼んでいた。私と知り合いの同年代の女性もそうだった。そして笑う、駅裏には『草餅屋』(仙台では売春宿をこう呼んでいた)に加えて『さなぎ女学校』もあった、実際に裏としか言いようがないのだからしようがないと。
「さなぎ女学校」?、そんな名前の女学校が駅裏にあっただろうか、「さなぎ」というのは聞き違えで別の名前の女学校なのか。改めて聞き直したらそれは製糸工場のことだと言う。戦前から戦後にかけて養蚕地帯の町や村に大小さまざまの製糸工場があったし、山形の私の生家の近くにもあってよくもまあこんなところで働けるものだと思うくらい機械のうるさい音に囲まれて糸を紡いでいたのだが、それが仙台の駅裏にもあったのである。
それにしても製糸工場を「さなぎ女学校」と呼ぶのは初めて聞いた。それを耳にしたとき一瞬口がきけなくなった。だれがつけたのだろうか、何とぴったりした名前だろう、そして何と悲しい名前だろうと。
いうまでもなく繭から糸をとる工場だから「さなぎ」は副産物として大量にできる。そしてそこで働いているのは小学校を出たばかりのたくさんの女の子である。蚕にたとえればまだ「さなぎ」だ。その女の子が一ヶ所にたくさん集まっている。そのことだけで見ればそこは「女学校」のようなものだ。それをつなぎ合わせれば、つまりさなぎを扱うさなぎのような女の子がたくさんいる建物ということからすれば、まさしく「さなぎ女学校」となる。もちろん勉強などしているわけはない。ただただ働かされているだけだ。しかも集まっているのは無教養の貧乏人の娘だ。だから女学校などというのは一種の蔑称である。
この「女学校」に集められたまださなぎのような女の子のなかには、長時間過重労働による病気やけがなどで成虫の蛾にもなれずに、蚕と同じように自分の紡いだ絹の着物を羽織ることもなしに、まさにさなぎのままこの世を去っていったものもあったろう。
ほぼ同じ年代の女性(まだほんの一部でしかなかったが)が女学校に通っているときに、片や「さなぎ女学校」で親の受け取る前借金をかたに人身売買同然に連れてこられ、汚い宿舎に何十人、何百人と閉じこめられて環境の悪い工場で身体の続く限り働かされ、片や本当に身を売られて「草餅屋」で売春をさせられていた女性がいたのだ。戦後はそれに加えて戦争の被害者のパンパンもさまよっていた。
駅裏はやっぱり暗かった。
あのころからもう半世紀以上経過した。今の仙台駅は新幹線が通り、地下鉄も走るようになり、かつてとは比べものにならないほど駅舎は大きくなった。そしてかつて仙台の駅裏と言われたところには広い道路が走り、その両側には大きなビルが立ち並び、人通りは多く、どこの街を歩いているのかわからないほど、昔のイメージなど探そうにも探せなくなってきた。
そして東口と呼ばれるようになり、駅の東と西とどちらが表でどちらが裏かなどとは言えなくなってきた。駅裏などと言うのはわれわれ世代だけになっている。何ともいえず暗かったこの言葉が消える、これは本当にうれしいことだ。
しかし、今の東口には駅裏というこんな歴史もあったのだ、そしてそれを戦後民主主義と平和が変えてきたのだということだけは覚えておいてもらいたい気がする。そして戦後勝ち取り、また培ってきた民主主義を逆行させてはならないと再確認してもらいたいものだ。
もう一つ忘れてもらいたくないことがある。それは、仙台駅の繁栄に反比例して仙台から遠い農村部の駅は駅裏どころか駅前も寂れてしまっていることだ。駅舎にも人はいない、みんな無人駅になった。駅がなくなったところもあり、かつて賑わったホームは草に覆われ、走り過ぎる列車に緑の茎葉をふるわせている。こんな寂しい風景を見るようになるなどとは若いころ、昭和の半ばころまでは考えもしなかったのだが。
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