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【坂本進一郎・ムラの角から】第7回 日本の農政はどうなっている!(上)2019年5月8日

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【坂本進一郎】

(1)農水省のサボタージュ

 シーザーがルビコン河を渡ったとき、この言葉にはシーザーの勇気をたたえる語感があった。だが、確かに「農政」と「ルビコン」を結びつけるのはどうかと思うが農水省のサボタージュはひどすぎる。我々が望む生産調整はやらない、同じく食糧政策もやらない、コメの価格支持政策もやらない、戸別所得補償政策もやらない。
 ところが農民の希望しない収入保険制度を農民に押し付けている。なぜこんなことをするのか。主客転倒は蛮勇をふるった結果としか思えない。この何もしないという逆の意味での蛮勇に、日本の農政はルビコンを渡ったと言いたくなる。
 食管法も食料政策、地域政策(定住)を標榜したが、実体的には機械化、大規模化、単作化を唱える農業基本法と規制緩和という蛮勇に負けたのである。そのことによって、食管法を食糧法へと法律を商社の利益になるものに書き換えることを可能にしたのであった。

(2)消費者米価の半額の生産者米価

 コメの価格を見ていて腑に落ちないことがある。出来秋に我々農民がコメ業者に売る生産者価格は一俵(60㎏)1万2000円位。これに対し、スーパーの店頭に並べられているコメの値段は、たいてい5㎏入りだが、それによると2000円前後。これを一俵に直すと2万4000円(2000×12)になる。2万4000円というと食管法時代の金額である。当時政府の買うコメの値段は高くし、消費者への売り渡し価格を安くしたので「逆ザヤ」になると大騒ぎされた。
 しかし、今、理不尽な生産者価格と消費者価格の陰に何があるのか。食糧法が発布されてはっきりしたことは、大商社が流通権を握ったということである。それは、大商社は卸を傘下に入れ、その結果生産者米価決定権を手中に収め、次いで量販店おも傘下に入れることで消費者米価を手中に収めることができたからである。この結果、大商社にとっては「順ザヤ」もいいところだ。

(3)現場からの検証

 私は入植(1971年)して以来今日まで48年間営農部門はもちろん家計部門のすべて(総勘定)の勘定項目を複式簿記で記帳してきた。そして記帳後この帳簿を閉じるときには資金運用表を作り、表紙には鑑(かがみ)をつけそこに特記事項、重大事件を書き、この年がどういう年だったか思い出すようにした。鑑をつけたのは1981年からである。ここに簡略化してメモを再現したが長いので1981年~2002年(ほぼ食糧法施行前)を<1>とし、2003年~2015年(ほぼ食糧法発布後)を<2>とした(次回掲載)。
 なおついでに言えば、かつての米価闘争は「生産費及び所得補償方式」を攻防戦にしていた。今はそんなのはない。生産費を食い込んだ「ボランテア米価」がしばしば現れ、コメ生産の物財費を賄えないどころか生活費も賄えず赤字を生み出している。その度合いは本文中にあるように最近になるほどひどい。

1:1981年から2002年

★1981年 大凶作(1戸700万円の減収)と悪夢の年
★1982年 農家経済好転せず
★1983年 期待に応えてくれた稲の収量・小麦の収量もまあまあ
★1984年 入植以来の大豊作(916俵/1反歩11俵 ※この当時は10ha時代 )
・麦は極端に悪く帳消し。依然として冷害の後遺症残る。
★1985年 <大麦+大豆>の二年三作を試みる。その結果は良い。しかし自脱コンバイン始め機械の更新が相次ぎ、勘定あって銭足らずの状態から抜け出る見通しは立っていない。
★1986年 <大豆+大麦>体系の2年目。
★1846年イギリスは農業自由化のため、農業保護条例である穀物条例を撤廃した。それから140年して日本も自由化オンパレードの中で、コメを自由化した。イギリスと同じ局面立ったと思うと、コメ自由化は歴史位相を感じた。
★1987年 ついに米価引き下げ(引き下げ率5、9%)。米、小麦、大麦、大豆すべて悪い(小凶作)。
中国河南省の王忠民を研修生として受け入れる(5~11月)。
★1988年 米価2年連続引き下げ(引き下げ率、4.6%、米価は76年産に戻る。
★1990年 87年、88年に続き政府は3回目の生産者米価引き下げ
★1991年 転作大豆4haが悪天候(9月28日台風19号)で全滅。稲も脱粒被害。金繰りのためトラクターを買ったことにし、近代化資金を借りる。借入先は兵隊のように並んだ。
★1992年 相変わらず綱渡りの資金繰りが続いている。長女、次女の教育費500万円(この2~3年の平均)も資金繰り圧迫の理由だ。
★1993年 歴史に残る平成大凶作。我が家の被害は中程度であった。自作農維持資金1500万円を借り金利の高い農業資金を返す。そんな小細工も焼け石に水だ。
★1995年 食糧法施行の話を聞いた途端一俵2000円も下がった。それに伴う減収は240万円。平成大凶作に伴う減収は500万円。減収の計算はやりたてしない。
★1996年 豊作。農協より低金利資金3000万円を借りる。
★1997年 米価暴落。長男、三女の教育費かかっている。
★1998年 今年から自主流通助成金がなくなり、米価値下がりで200万円の減収。
特に米価値下がりは針の筵に座らされているような心境だ。
★1999年 米価が昨年よりさらに一俵1000円下がった。これまで農水省に何回となく戸別所得補償の実現を要望してきたが、耳を貸してくれなかった。何事も国のペースで進んでいる。「時代の流れに負けた」という感じだ。
★2000年 粗収入2000万円を切るようになった。前代未聞だ。米価急落がすごいということなのであろう。農民は農業再生のデッサンを描けず漂流している感じだ。
増反の土地償還終了。
★2002年 10年間も喧嘩状態にあった朝日新聞・学芸部から「『一本の道』を見て触発された。なにか書いてくれ」と頼まれる。面食らったがOKした。世界的にもまれな農政が展開しているときに、日本人は黙したままである。その時この本は記念すべき本となろう。
7月食糧事務所閉鎖。

 

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坂本進一郎【ムラの角から】

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