【澁澤栄・精密農業とは】精密農業(スマート農業)はテクノロジーではない、マネジメントである2019年5月21日
ここ数年で大きな関心を集めている「スマート農業/精密農業」。ドローンによる農薬散布や自動運転農機など先端技術を用いた未来の農業をイメージするが、その始まりは、「Precision Agriculture(プレシジョン アグリカルチャー)」(和訳:精密農業)として1990年代初頭に同時多発的に複数の研究者から発信されたアイデアだった。
その“精密”という機械的な響きからテクノロジーの進化にばかり気を取られがちだが、本来は“マネジメント”の問題なのだという。とはいえ、農耕馬からトラクターに変化した技術革命に匹敵するほどの新たな波が押し寄せる現代においてAIやIOTなどを用いた最新技術もまた今後の農業を考える上で欠かせない。そんな今だからこそ改めて精密農業(スマート農業)の本質を確認しておきたい。
今回から精密農業の先駆けで提唱者の一人である東京農工大の澁澤栄特任教授による「精密農業(スマート農業)」を理解するヒントを連載する。
◆精密農業のインパクト
およそ25年前に提案された「精密農業(Precision Agriculture/プレシジョンアグリカルチャー)」は、四半世紀の間に世界の農学と農業のあり方を一変させた。Precision Agricultureの用語は1996年の第3回精密農業国際会議(ミネソタ大学)で統一され、翌年には21世紀へ向けた農業モデルとして米国学術研究会議から提言書が出された。
そこでは、精密農業とは、農耕地の空間的時間的な高解像データを農作業の判断に利用するマネジメント戦略(経営戦略)であると述べている。また、農作業を実際に判断するのはFarmer(農場主)であることから、欧米では農場主を研究パートナーにすることが必須であると強調し、国立の農業研究所や国立大学および伝統的な作物学、土壌学は根本から立て直す必要があると宣言した。
1997年、米国学術研究会議(NRC)が出した精密農業に関する提言と原文の一部抜粋。
提言では米国のほか各国で真摯に受けとめられ、政策的な対策がとられた。
日本では試行錯誤しながら独自の展開を見せている。
精密農業に取り組むと、刻々と変化する畑の詳細な実態(生育マップ、収量マップ、土壌マップなど)が必要になり、収益向上と環境負荷の軽減対策に対するバランスのとれた農作業判断が最も重要な関心事になる。すなわち、精密農業では、事実や道理に基づいて正しい判断と行動をとることが求められるのだ。日本語の「精密」とは意味合いが異なる。
確かに精密農業を実行するためには、収量マップを作成する技術など、新しい技術があった方が便利だが、新しい技術はなくてもよい。土壌サンプルをとった場所や稲株サンプルの場所を記録し、ラフな地図に描けばこと足りる。
そのような精密農業の本質的な作業を飛び越えて、経営改善の見通しもないのに、コマーシャリズムに乗って最新機器を使う必要はない。欧米の先進国でもアフリカの開発途上国でも、最初は手作業でほ場マップを作っているのだ。
このような"手作業の機械化"が精密農業の技術として発展してきた。さらに、近年の通信ネットワークの発達や農業ロボットを利用すると、大規模データ処理を対象にした「スマート農業」技術へと続く。しかし、技術あるいはテクノロジーは経営改善の道具に活用してこそ意味がある。さもなければ新技術は単なる「おもちゃ(Toys)」であると、人々に嘲笑されるのは欧米だけではあるまい。
さて、「農場経営の目的は、収益向上のみである」と回答する学者やコンサルタントは、昨今どこにもいないだろう。環境負荷の軽減や地域コミュニティの持続、人権の尊重や食品安全などの複数のリスク要因がいずれもが経営破綻のアキレス腱になっているからである。
経営改善とはこのようなリスク回避やリスク軽減を意味しており、精密農業ないしはスマート農業の中心課題になっている。
「精密農業はテクノロジーではない、マネジメントである」と国際会議のたびに警告していたのが英国の農業ロボット研究者サイモン・ブラックモア。「テクノロジーは豊富だが、応用が貧困だ」と警告したのは、米国の土壌学者で精密農業の発案者、ピエール・ロバート(故人)だ。2人とは会うたびに、どうしたら農家を研究パートナーにできるのか相談したものである。
◆農作業の再発見をめざしたファイトテクノロジー研究構想
英国のサイモン・ブラックモアやベルギーのジョセ・デ・マエデマーカー(元欧州農業工学会長、元グローバルギャップ技術委員)あるいは米国のピエール・ロバートらが注目したのは、1980年代に日本の若手研究者が取り組んだ「ファイトテクノロジー(植物生産工学)」だった。
「植物との対話(Speaking Plant Approach)」と「篤農技術を科学する(Excellent-farmers' approach)」をスローガンに、植物の個体成長に着目した研究を農家と一緒に進めたところ、欧米の精密農業が「フィールドスケール」(ほ場全体を視野)であるのに対して日本の精密農業の源流は「プラントスケール」(作物個体を凝視)であると理解された。
ファイトテクノロジーの研究では、「植物との対話」に代表される、生きている植物個体を理解すること、環境保全と生産性を同時に追求すること、ほ場で展開する技術の体系として農法を理解することが話題になった。 これらをとらえて植物に関わる生産の技術学、すなわち「ファイトテクノロジー」という。世界の研究系譜から精密農業の源流の一つとも評されている。
1994年発刊の「ファイトテクノロジー」と2006年発刊の「精密農業」。いずれも1刷りは絶版
【略歴】
澁澤栄(しぶさわ・さかえ)
東京農工大学特任教授、日本学術会議会員。1953年生。1979年京都大学農学修士、1984年農学博士。北海道大学農学部助手、島根大学農学部助教授、東京農工大学農学部助教授などを経て、2001年同学部教授、2004年の組織替えにより農学研究院教授、2019年3月退職。4月より東京農工大学卓越リーダ養成機構特任教授、現在に至る。
ICTを活用したコミュニティベース精密農業の社会展開を進めている。リアルタイム土壌センサの開発、循環型農業の社会実験、学習する知的農業者集団の支援を進める。内閣官房政府IT総合戦略新戦略推進専門委員、グローバルギャップ国別技術委員会議長など。
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