【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】名君と名器―徳川頼宜―2019年6月16日
◆家康直伝の名器を割る
徳川頼宜(とくがわ・よりのぶ)は、家康の十男だ。成人して、紀伊(和歌山県)城主を命ぜられた。四国地方の大名の抑えとして、家康は自分の息子を置いたのだ。尾張に九男の義直、水戸に十一男の頼房を置いたのも同じ措置だった。中でも頼宜は、非常に勇武に富んでいたので、家康は自分が隠居所にしていた駿府(静岡市)城の城主を命じていた。それが急に紀伊に赴任されたので、頼宜は多少不満だった。それを見抜いた家康は、
「おまえを紀伊に赴かせるのは四国を睨んでもらいたいからだ。しっかり頼む」と励まし、「これをやる」といって、大事にしていた茶器を与えた。茶器は天下に三つしかない大変な名器である。頼宜は感動し、勇んで紀伊に赴いた。安藤彦四郎という家臣がいた。武勇に富んで、合戦の時はいつも一番槍を務めた。頼宜は、父の教えがあったので安藤に、
「おまえは戦場では勇ましいが、多少乱暴な所がある。茶道でも学んで、心の修行をせよ」と命じた。以後安藤は茶道に励んだ。ある時、係が頼宜の所持する宝物を虫干しにした。安藤は係の者に、
「殿が一番大事にしている宝物の茶器はどれだ?」と訊いた。安藤は酒好きだ。始終酔っぱらっている。係の武士はハラハラしながら、
「これでございます」と、頼宜が家康から貰った茶器を指差した。安藤はそれを手に取った。係は真っ青になった。
「安藤様、どうか手に取らずにご覧ください」と言ったが、安藤はナニと目を剥き、しきりに茶器を撫でた。ところが、この時も酒を飲んでいたので、思わずよろめきひっくり返った。その拍子に持っていた茶器が割れてしまった。係の者は真っ青になった。悲鳴に近い叫び声をあげたが、もうどうにもならない。やむを得ず、家老に報告した。
◆家は家臣を宝とする
家老は、
「安藤の奴め、また酔っぱらってしくじったな」と大弱りした。しかし黙っているわけにはいかない。このことを頼宜に報告した。頼宜は渋い顔になった。しかし、
「割れてしまったものは仕方がない。漆を塗って繋いでおけ」
と告げた。家老は、
「安藤の処分は如何いたしましょうか」と訊いた。頼宜は渋い顔のままこう言った。
「そのままでよい」
「なぜでございますか?」家老は当然重い処分が下されると思っていたので、そう訊いた。頼宜はこう言った。
「茶器と安藤では比べ物にならぬ。茶器が合戦に出陣して、おれは天下の名器だなどと叫んだところで、敵は何とも感じない。しかし安藤が、戦場に出て頼宜の家臣安藤だと名乗れば、敵は安藤の名を知っているから怯む。わしにとって、茶器よりも安藤の方が大事だ。そのままにしておけ」
と言った。家老からこのことを告げられた安藤は感動した。思わず嗚咽した。そして、
「御家老、有難うございます。今日から酒はぷっつりやめます」
「そこまでの必要はなかろう。ほどほどに飲めば酒は百薬の長だという。少し慎めばよい。やめるのはせよ」
と慰めた。しかし安藤は、家老の慰めにもかかわらずぷっつり酒を断った。そして、日々、
(頼宜公のためなら、おれはいつでも命を捨てる)
というめ決意を固くした。大坂の陣の時も、一番槍として活躍し、大いに紀伊徳川軍の名を高めた。
安藤の失敗で茶器が割れた後、頼宜は父の家康にこのことを話した。家康は、
「それは残念なことをしたなあ。しかし頼宜よ」
「はい」
「おまえはお前の才覚で、わしが与えた天下の名器は傷を負った。しかし、代わりに安藤という男のおまえへの忠誠心が、より強くなった。さすがわしの子だ。茶器は代りがあるが、安藤の様な男は代りがなかろう。気にせずともよい」
と言った。そして、
「武勇で名を挙げているおまえが、そういう和らかい心を持つことができたのは、やはり茶道を学んだが故だ。茶の道も、決して無駄ではない。そう思わぬか?」
「おっしゃる通りでございます。父上のお教えを守り、今後も文武両道に励みます」
紀州藩主として、頼宜は゛名君゛の名が高い。それも、
「家臣に対する愛情が深い」
ということで名を挙げていた。家康も常々、
「わしの財産は何よりも忠義を尽くしてくれる家臣たちだ」
と言っていたから、頼宜にもその言葉が身に沁みていたから、こういう措置を執ったのである。頼宜自身、自分が口にした、
「茶器が合戦場で、わしが天下の名器だと言っても、敵は少しも驚かない」
と言ったのは、自分でも名言だという気がして、頼宜は一人になるとひっそりと笑った。
本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。
重要な記事
最新の記事
-
シンとんぼ(123) -改正食料・農業・農村基本法(9)-2024年12月21日
-
みどり戦略対策に向けたIPM防除の実践 (40) 【防除学習帖】第279回2024年12月21日
-
農薬の正しい使い方(13)【今さら聞けない営農情報】第279回2024年12月21日
-
【2024年を振り返る】揺れた国の基 食と農を憂う(2)あってはならぬ 米騒動 JA松本ハイランド組合長 田中均氏2024年12月20日
-
【2025年本紙新年号】石破総理インタビュー 元日に掲載 「どうする? この国の進路」2024年12月20日
-
24年産米 11月相対取引価格 60kg2万3961円 前年同月比+57%2024年12月20日
-
鳥インフルエンザ 鹿児島県で今シーズン国内15例目2024年12月20日
-
【浜矩子が斬る! 日本経済】「稼ぐ力」の本当の意味 「もうける」は後の方2024年12月20日
-
(415)年齢差の認識【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2024年12月20日
-
11月の消費者物価指数 生鮮食品の高騰続く2024年12月20日
-
鳥インフル 英サフォーク州からの生きた家きん、家きん肉等 輸入を一時停止 農水省2024年12月20日
-
カレーパン販売個数でギネス世界記録に挑戦 協同組合ネット北海道2024年12月20日
-
【農協時論】農協の責務―組合員の声拾う事業運営をぜひ 元JA富里市常務理事 仲野隆三氏2024年12月20日
-
農林中金がバローホールディングスとポジティブ・インパクト・ファイナンスの契約締結2024年12月20日
-
「全農みんなの子ども料理教室」目黒区で開催 JA全農2024年12月20日
-
国際協同組合年目前 生協コラボInstagramキャンペーン開始 パルシステム神奈川2024年12月20日
-
「防災・災害に関する全国都道府県別意識調査2024」こくみん共済 coop〈全労済〉2024年12月20日
-
もったいないから生まれた「本鶏だし」発売から7か月で販売数2万8000パック突破 エスビー食品2024年12月20日
-
800m離れた場所の温度がわかる 中継機能搭載「ワイヤレス温度計」発売 シンワ測定2024年12月20日
-
「キユーピーパスタソース総選挙」1位は「あえるパスタソース たらこ」2024年12月20日