【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第57回 きびしかった除草労働2019年6月20日
日本の農家は草との闘いに明け暮れたと言ってもいいほどだった。ちょっとでも放置しておくと畑などは一面雑草に覆われるからである。田んぼも畑ほどではないがやはり水田に適した雑草が生えてくる。そのために収量が落ちたり作業しにくくなったりする。それどころか翌年などは田畑として使えなくなってしまう。そうならないようにするために、春から夏にかけては、今日はこっちの畑、明日はあっちの田んぼと草取りをしなければならなかった。
水田の場合は三回にわたる除草がなされた。
最初の除草(一番目の除草=一番草)は田植えして稲の苗も落ち着いた2~3週間後から始まった。三本の鉄の歯のついた鴈爪(がんづめ)で稲の株と株の間の泥土をひっくり返し、かき混ぜて草の発生を抑えるのである。子どもの頃の私は一度だけ、1~2時間しただけだが、田植えより辛かった。
二番草は一番草がすべての田んぼで終ったらすぐ、人力の中耕除草機でなされた。この除草機は何かで見たことがあるだろうから説明を省略するが、明治になって開発されたもの、腰を曲げなくともよく、しかも仕事が早いので便利だった。でも、ぬかるんだ田んぼを何百回となく往復する労働はきつかった。私はこれも一度したきり、当時の除草機は重くて子どもには難しかったからだろう。
なお、戦後しばらくしてからは一番草も中耕除草機でなされるようになった。また、母も中耕除草機を使うようになった。なぜだったのか、軽量化・小型化されるなど性能がよくなったからだったのか、聞かないでしまった。
三番草、これは辛いものだった。田んぼを這いずりまわりながら両手で泥をかき回しながら草を取り、土の中に押し込むのだが、夏の暑い日差しは容赦なく背中に照りつけ、目の中に汗が流れ込み、伸びた稲の葉先が目をつつき、目はウサギのように赤くなった。まさに苦役的ともいえる作業だった。
なお、この三番草、稲の背がかなり高くなっているので、幼い子どもには難しかった。だから、高学年になってからの手伝いだった。これは田植え並みに大変だったが、私は一度だけ、1~2時間やっただけだった。その時期は野菜畑の仕事が本格化してくるので、子どもは相対的に軽労働の畑のさまざまな管理作業にまわされたからなのだろう。
かつて私の勤めていた研究室で技官をしていた宮城県北出身のTKさんがこんな話をしてくれたことがあった。
「子どもの頃、三番草を手伝わされた。じりじりと照りつける太陽で背中をあぶられながらの、田んぼの水に反射する太陽の光を顔に受けながらの草取りで、もう倒れそうになった。その時親父が背の高くなったヨモギの茎葉を何本かとってきて私の腰にさしてくれて背中にかかるようにしてくれた。直射日光を受ける背中が日陰になるようにしてくれたのである。何て親はありがたいんだろうと涙が出るほどうれしかった。それで一所懸命働いた。夕方へとへとになって家に帰りかけたときふと考えた。親父は本当に自分の身体のことを考えてヨモギをさしてくれたんだろうか。仕事が一(ひと)はかでも二(ふた)はかでも(注)進むように、自分をこき使うためにやっただけではなかったのか。そう考えてしまったものだった」
親の愛情も疑いたくなるほどの厳しい労働だったのである。
こうした除草にも負けない雑草があつた。ノビエ(私の生家の地域では「ヘェ」と呼んでいた)である。小さいころは稲の姿ときわめて似ているので、稲株の中に入ったりすると見落としてしまうのである。この生育力旺盛なノビエが稲のための養分を吸ってしまうので米の収量が落ちてしまう。さらにノビエの実が脱穀した籾の中に入ったりすると品質も落ちて価格は下がるし、種籾の中に入ったりすると翌年繁殖してしまう。そこで、田んぼの中を歩きながら、ノビエを見つけ(大きくなると稲との違いもはっきりしてくるのでわかりやすい)、抜いて歩き、田んぼの外に捨てる。これも大変だが、腰を曲げっ放しにしないですむだけ楽である。この作業は稲刈り前まで続く。
田んぼの畦畔の除草もあった。これは田んぼに草のタネが落ちたりしないように、歩くのに邪魔にならないようにするためだが、草刈り鎌で刈り取り、その草を大きな「はけご」(わらで編んだ背負いかご)に詰めて家に持ち帰り、山羊やウサギの餌にした。これは祖父の朝仕事だったが、高学年になると子どもも脚を刈ったりしないような刈り方、さらに砥石での鎌の研ぎ方を教わり、切れなくなると小川で研ぎながら、草刈りをしたものだつた。
畑の除草は田んぼと違って泥のなかに入らないですむのは楽だったが、田んぼ以上に草取りが必要だった。このことについてはまた後で述べることにしたい。
(注)その昔はよく使われた言葉だが、今はあまり使われておらず、もしかして若い方のなかにわからない方もおられるかと心配なので、若干説明させていただく。ここでいう「はか」は「計」もしくは「量」とも書き、仕事の量を示す。「はか」には仕事量としての「田畑の区画」という意味もあるので、ここでの「一はかでも二はかでも」は『一区画でも二区画でも』、さらには「少しでも」、「ちょっとでも」という意味となる。
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