【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第64回 評価すべき農家の「段取り」能力2019年8月8日
前に紹介した『米節』の唄うように米作りは「八十八度の手がかかる」。これまで述べてきたのは、そのうちの体力を激しく使う作業いわゆる重労働の必要とされる作業とそれに関連する作業について述べたものであり、こうした力仕事以外にもさまざまな必要不可欠な作業がある。たとえば田植えの前には品種の選定、選種・催芽、播種、苗代管理の作業があり、田植え後には水管理、防除等の作業がある。稲刈り後には棒掛けした稲の乾燥促進のための掛け替えの仕事もある。さらに不可欠の関連作業として牛馬の飼養、堆肥作り、わら仕事等々がある。
このうちの水管理についていえば、いうまでもなく水稲にとって潅水、湛水、排水の作業は不可欠であり、それも今のように灌排水施設のととのっていない時代はましてやだった。毎日田んぼを見回り、それぞれの田んぼの微妙に異なる土質や水深、水温、稲の生育状況、用水路の水量や天候を見て、田んぼの水口を開け、あるいは閉めるのである。これをさぼったり、まちがったりしたら大変、身体は楽だが、まさに神経を使う作業だった。
また稲作をはじめとする作物の生産さらに生活に必要不可欠だった縄、俵、筵、菰、草履、草鞋などをつくるわら仕事があった。これは冬の室内での軽労働だが、それなりの器用さと熟練が必要であり、それで子どものころから覚えさせられ、手伝わされたものだった。
私の場合かなり難しかった桟俵(米俵の両端にあてる円いふた)と草鞋以外、すべてやらされたが、ほとんど忘れてしまい、今でもまともにできるのは縄ない程度である。しかし、その縄のない方を言葉で説明できない。でも、わらさえ与えられればひとりでに両手の指と手のひらが動くはずである。座ってやる仕事だし、力はそれほどいらないので楽だが、指がかじかむような寒い冬の日につかつかする稲わらを何時間も指と手のひらをこする、そうでなくてさえ荒れている手指はさらに荒れたものだった。
この冬のように、またお盆の時期のように相対的に暇な時期はあっても、作業はほぼ一年中あった。そしてその作業は多種多様だった。しかもそうした質の異なる多種多様の作業は連続している。さらに季節の変化と生育過程に対応して時間的に並んでいる。それらの作業をまちがいなく、順序よく、時期を逃さず、適期のうちにこなしていかなければならない。そうしなければ収穫皆無になってしまう恐れもある。
さらに季節や気象は年により変動するし、土地条件もすべて同質ではなく、稲の生育状況は年により土地により異なるので、それに対応して臨機応変に作業を遂行しなければならない。
また、必要な生産資材を必要とする時期に準備し、生産物を適期に販売することも必要となる。
こうやって考えて見ると、稲作をやるということは大変なこと、肉体と頭脳双方の能力を持たなければならないし、相当の経験と熟練の蓄積が必要とされることになる。
実際に、農家の家族員は親など年長者から教わり、近隣の人から学んでそれらの能力を獲得し、家族間の協業分業体制を組んで、さらには近隣や親戚との相互協力体制を組んで、段取りよく各種作業をこなし、経営と生活を維持してきた。
90年代前後だったと思う、「最近農家の出稼ぎ、日稼ぎが減って土建業者が困っている」という話を聞いたことがある。農家の方は段取りがうまいので、仕事が非常にはかどるのだが、こうした農家の土建業従事が90年代に入って減ってきた、それで仕事のはかどりが落ち、業者が困っているというのである。
これを聞いたときになるほどと思った。農家は限られた適期に多種多様の農作業をこなしていかなければならず、そうなると段取りが非常に重要である、それを親や近隣の人などから教わりながら訓練を積んできた。それで段取りのうまさが農家の方の肌身に染みついている。
そうなのである、まさに出稼ぎ農家の段取り能力=事がうまく運ぶように前もって手順を考え、準備をととのえる知力や判断力、これがその肉体労働能力とともに、日本の稲作をはじめとする農業を支え、食をはじめとする生活必需品を生産して国民の生活を支えると同時に、わが国のかつての高度経済成長を支えたのである。それを忘れてはならないだろう。
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