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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第66回 驚くべき日本の「百姓」の能力2019年8月29日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

 十数年前、私が東北大を定年になって東京農大オホーツクキャンパスに赴任した最初の年のことである。研究室の3年生の研修で網走周辺の畑作農家におじゃました。そのときある学生が農家にこう質問をした。農家が今生産しているジャガイモ、ムギ、ビートの三作のうちもっとも収益性の高いのはどれかと。そうしたらビートという答えが返ってきた。学生はさらに質問を続けた。それならなぜビートだけ栽培しないのか、収益性の低いイモやムギをなぜ生産するのか、経営者としておかしいのではないかと。

20190530 昔の農村今の世の中 図1

 農家の方は親切に説明してくれた。ビートばかりでないのだが、作物を毎年同じ畑に栽培していると収量が落ちてくる、これを連作障害というが、それを避けるためにイモ―ムギ―ビートというように毎年違った作物を植えているのだと。

 ちょっとショックだった。顔から火が出る思いをした。農大の学生が、しかも3年生にもなったものがこんな質問をするとは、連作障害も知らないとはと、農家の方に恥ずかしかったからである。
 後で学生に聞いてみた、1~2年の講義で連作障害のことを習わなかったのかと。すると、経営系の学生のカリキュラムには自然科学系の講義がきわめて少なく、関心はあるのだが聞けない、だから知らないことが多いのだという。驚いた。それでその後のカリキュラム改訂のさいには自然科学の講義がもっと聴けるようにし、また農業技術に関する最低限の知識が得られる講義を新たに設けることにしたのだが、農業に関心をもって入学してきた学生ですら連作障害を知らないのだから、都会の消費者のほとんどはこういうことを知らないのではないだろうか。
 商工業だったらもうかるものだけ対象にすればいいかもしれないが、農業はそういうわけにはいかないのである。それ以外にも農業独特のさまざまな特殊性がある。しかしそうし農業の特殊性をほとんど知らない政財界人、マスコミ関係者、消費者が増えてきた。そして商工業の経営でやっていることがそのまま農業に通用するものと考え、農業の生産性が低く、所得が低いのはアメリカ農業のように規模拡大しないからだ、早急に規模拡大せよとか、農家には商工業のような利益を追求する「企業」的精神がないから農業が発展しないのだ、企業を農業に参入させろなどというものすらいる。こうした農業技術に対する無理解が、農業の常識に対する無知が日本の農業をだめにさせているのではなかろうか。

 それはそれとして、またさきほどの連作障害の話に戻るが、そうなのである、米以外の作物の多くは連作ができないのである(米は特別な作物なのである)。そうなると一作物だけでなくいろなろ作物を組み合わせて栽培しなければならなくなる。
 また、日本の土地条件、気象条件はきわめて複雑、同じ地域でも多種多様、それに対応した作物を選択して生産しなければならない。
 さらに消費者の需要も考えて作物を選択しなければならないし、自分の家で必要とする作物で自分の家で生産した方がいいものもある(交通条件等々からしてものの流通が不便なその昔などはなおのことそうだった)。
 そうなると米ばかりでなく多くの作目を生産しなければならなくなる。

 私の生家を例にとれば、都市近郊で米・野菜中心であるという特殊性はあるが、私の幼い頃(戦前)は、多少を問わず数えれば麦・大小豆・果菜・葉菜等々65種類の作物、3種類の家畜を育てていた。「百姓」という言葉は「百の作物を育てている人」からきているという説もあるようだが、私の生家は百に及ばなかったよう(わら工品や堆厩肥、刈り取った野草・雑草でつくった飼料、漬け物等々の生産物まで入れれば百品目以上になるかもしれないが)、それにしてもよくつくっていたものである(もちろん周辺の農家もほぼ同じだった)。

 そうなると、どの作物がどういう土地を好むのか、いつどれだけの深さで耕し、どれくらいの畝をたて、いつ何粒くらい種をまき、水や肥料はいつごろどれくらいやり、中耕除草はいつごろやればいいのか、収穫はいつごろどのようにすればいいのか、収穫物をどう調整・加工し、保存・販売すればいいのか等々、作物によりすべて異なるので、それをすべて覚えておかなければならない。
 同時に、どこの田畑はどのような性質をもち、そこにどのような順序でいつごろどういう作物を植えてきたかも覚えていなければならない。田畑の性質もすべて異なり、また連作障害の問題もあるのでそれに応じて植える作物、時期を考えなければならないからである。
 当然のことながらどういう気象のときにどの作物にどのような対処をすればいいのかも知っておかなければならない。
 家畜もその種類によって季節によって餌を始めとする飼育の仕方はすべて異なるが、それも知っていなければならない。農産加工もさまざまあるが、そのすべてを覚えておかなければならない。

 こうしたすべてのことを「百」品目にわたって覚え、それをもとにして農作業の計画を立てるわけだが、よくもまあこれだけのことを知り、また実践してきたものだと驚くばかりである。そしてそれが日本人の食を、暮らしを支えてきた。養蚕などはその輸出で日本の工業発展の基礎をつくってきた。これも誇るべきことだ。

 でも、おかげさまで年中忙しかった。ましてや手労働中心の時代、前に述べたように労働は厳しかった。にもかかわらず暮らしは貧しかった。
 しかし、喜びもあった。豊かな自然に囲まれて作物や家畜を育てる喜び、収穫の喜びがあった。

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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