【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第82回 『平成万葉集』に詠まれていた農2020年1月9日
昨年の暮れのある日、茶の間で3時のお茶を家内と飲んでいたときのことである。何となしにテレビをつけたらNHKが『平成万葉集』(注)という番組を放映していた。しばらくぶりで聞く五七五七七の響き、日本語とはいいものだ、現代の人々も若人を含めて本当にいい歌をつくるものだと感心しながら聞いていたら、青森県の津軽平野にある旧車力村(現・つがる市)の秋の田んぼの風景が出てきた。さらにそれを背景にして次のような歌の字幕が浮かびあがってきた。
田づくりも
今宵かぎりと焼く藁(わら)の
赤き火見つむ妻と並びて
車力村は、70年代前半に農漁民こぞって車力ミサイル基地反対闘争を展開したところであり、農村調査でおじゃまさせてもらったところでもあることから私の記憶に深く残っているところなのだが、この歌をつくられた中村雅之さんという90歳になる方が続けてこんな話をされた。
先祖代々引き継いできた田んぼを長いことつくってつくってきたが、その田んぼを高齢化とともに少しずつ手放し、とうとうすべてなくなってしまった、この歌はその最後のときの田んぼでつくったものだと。
そして苦しそうに語る、もう家を継ぐものもいない、やがてはこの家もなくなるのだと。
その中村さんのつくったもう一つの歌が紹介された。
農も家も
まもれず老いてけふ庭に
九条まもれの看板立つる
その看板を見ながら中村さんはこうつぶやく、「農も家も守れなかった自分が『九条まもれ』と言ったって、どれだけ力になれるか、どこまで守れるのか」と。
胸が苦しくなった。涙がでてきた。私も、農も家もまもれずに、ここまで生きてきてしまったからだ。憲法九条も危うくなっている。そんな状況にさせてしまった自分を含む私たち世代、忸怩たる思いで、そのまま番組を見続けた。
その後もいろいろないい歌が紹介されたが、滋賀県の今村佳子さんのつくった歌、これがまた私の胸にひびいた。
父母祖母に
近づきたくてあいたくて
同じ畑で夏の汗かく
働きながら育ててくれた祖母そして両親、どんな気持ちで働いていたのか、何も考えなかった自分が口惜しい、三人が手を触れ、足を踏み入れた畑に自分も手を触れ、足を踏み入れ、汗を流すことで、いっしょに働いているような気持ちになりたい、これまた胸が苦しくなった。
私も父母に祖父母に近づきたい、会いたい、そのために今村さんと同じように、同じ田畑でまたあの頃のような夏の汗を流したい、涙といっしょになるだろうけれども。
苦役的過重労働、絶望的貧困に悩みながらも私を産み、育くんでくれた農をいとなむ家々を、田畑を、そして村々をまもり、さらに豊かにしていきたくて、私は学びの道に入った。
それから60有余年、私の生家の田畑は都市化の波に呑みこまれてすべて固いコンクリートやアスファルトに覆われ、あの豊かな柔らかな土は、緑波打っていた田畑はなくなってしまった。父母や祖父母に近づきたくとも、会いたくとも、同じ田畑で夏の汗をかくことができなくなってしまった。
それどころではない、わが国の村々に人々はいなくなり、家々は村々は消え去り、田畑は荒廃の一途をたどって荒々しい草木に覆われ、鳥獣の領土となりつつある。先祖と同じ田畑で夏の汗をかくことなどできなくなっている。
一体私は、生まれてからこれまでの80余年の間、何をしてきたのだろうか。忸怩たる思いである。
そんなことを考えながら『平成万葉集』を見ていたら、最後のところでまた中村さんの歌がでてきた。
やがて来る世にもかがやけ
九十歳(きゆうじゆう)のわれの立てたる
九条の看板
そうである、もう年寄りだからと言ってあきらめてはならない、せめていいものはいい、悪いものは悪いとこれからも主張していこう、中村さんのように心の内外に看板を立てていこう。そして私たち世代から始まった戦後民主主義、基本的人権・国民主権・平和主義を子々孫々まで残し、同時に食料主権を確立して農林地の荒廃を食い止め、農林業の担い手の確保をはかり、村々を再生させていこう。
とは言っても、私のやれることなどはもうない。でも、せっかくこのコラムJAcomに書く機会を与えていただいている、ここで私たち世代の生きた激動の時代の体験や考えなどを語らせてもらって何かの役に立てていただければ、ということで今年も書き続けさせていただきたい。といっても、否応なしに進む心身の劣化、その許す限りでということになろうが。
(注)NHKBSプレミアム ・19年12月2日放送「平成万葉集-プロローグ-」
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