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【坂本進一郎・ムラの角から】第29回 江渡狄嶺(えどてきれい)と田中正造と ――生活良心を聖書の中に見るーー2020年1月30日

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【坂本進一郎】

 狄嶺の「只管百姓」(しかんひゃくしょう)と田中正造の「辛酸亦入佳境」は、「無」の境地において同じことを言っていないか。狄嶺の言葉で言えば無宗教の宗教。ただどうも狄嶺の場合、やたらと言葉がハンランしすぎる。田中正造の方がよっぽど無の境地を悟ったのでないか。いずれにしても「只管百姓」も「辛酸亦入佳境」も荻嶺の言う「ホント―の人」なり至ったと解せないか。

 狄嶺の生きる人生の限定は「良心―労働―愛」。それは未来の理想、アナーキズムの自覚の生活だ。一方、正造は「現実」を生きた。
 そのようにして、両者とも無の境地に至ったのでないか。

 しかし、そこで「理想」に生きた狄嶺と「現実」に生きた正造とでは、「聖書」の読み方が違っていたのではないか。共に「良心」の書としては読んだが、狄嶺にあっては、イエスがもっとも私に親しきことは(江渡狄嶺研究第23号)、
1、 彼が第一に宗教家でなかったたこと
2、 我らと同じ貧しい半農半工の働くものの一人であったこと
3、 そして、最も自然に親しんだこと
4、 村落の生活の本質を、その神の国の福音の中に生かした人であったこと
と言っている。狄嶺はイエスを「自然に親しみ、貧しく働き、隣人を愛し、愛される」文脈の中でとらえたようである。

 一方、正造もその「自伝」を「予は、下野の百姓なり」という言葉で始めている。ここはイエスも狄嶺も正造も百姓であり、大工であると言って、大多数者の立場に立っている。大多数者というのは、「普遍的生活感情を汲む」という意味において意義がある。毛沢東の社会主義が「下放」運動までしたのは、「自覚」によって社会主義を内実あらしめようとしたのだと解される。だが、いかんせん「自覚」というのは、権力を超えるところに立たねばならないのに、それを権力によったため初めから崩壊を予想せしめ、限界があった。あるいは、広大な中国によって、三国志の世界を作り出して終わったのかも知れない。脇道にそれた。

 正造は谷中村での闘いを、『聖書の実行のみ』と書き、「キリスト教が田中正造を惹きつけたのは戦う宗教だったから」とも言われる。「理想」と「現実」。この生き方の相違が聖書の読み方を違ったものにしなかったか。しかし、ただ共通することは、人間が人間らしく生きるということは何かという問いを発し、生活良心を聖書の中に見て、深く深く「神」の中に入っていったことだろう。人間らしく生きるとは、資本の論理に対抗していくことでもある。

 田中正造ほどには知られていないと思うので、江渡狄嶺の略歴を記しておく。
 明治13年(1880)青森県5戸村で出生。
 明治16年(1883)関村ミキ、秋田県鹿角郡鹿角町に生まれる。ミキはのちに狄嶺と学生結婚する。また農業に転じた後、狄嶺、ミキ、小平英男(後述)の3人の共同経営なので三蔦苑と称した。
 明治25年(1892)会津の遺臣倉澤平治右衛門の塾で四書五経の素読を受ける。倉澤からは人格の大いなる薫陶を受けた。
 明治31年(1898)9月、第二高等学校大学予科第一部に入学。
 明治34年(1901)7月、第二高等学校卒業。
 明治34年(1901)9月、東京帝国大学法科大学政治学科入学。
 明治35年(1902)このころ三宅雪嶺の『日本人』に盛んに投稿する。雅号の嶺は雪嶺からとった。
 明治38年(1905)小平英雄の兄が弟の英雄を五戸町から呼び英語学校に入学させる。
 明治38年このころ学費払えず中途退学か。
 明治41年(1908)ミキ,小平英雄,狄嶺の3人で吉田清太郎牧師から洗礼を受ける。
 明治42年(1908)徳富蘆花の世話で千葉船橋に住宅と畑を借りる。
 明治44年(1911)同じ船橋に移住。3人で百姓をはじめ、三蔦苑のほかにこの農場に「百姓愛道場」と命名した。
 大正2年(1913)現在の高井戸に移住。
 大正12年(1923)このころ、物理学と数学から暗示した「場」という考えが電光石火のごとくひらめく。
 昭和3年(1928)「行」と「場」の思想体系の骨組みである「農乗曼荼羅」を完成させる。
《この年譜は和田耕作「江渡狄嶺年譜」に依拠した。和田さんには感謝する》


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坂本進一郎【ムラの角から】

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