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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第93回 「お菰」とホームレス(2)2020年3月26日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

 第二次大戦後、空襲で廃墟と化した大都市部に家と仕事を失った人が大量につくりだされた。まさに乞食並みになったのである。

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 しかし、ものもらいをしようにも、その数はきわめて多く、しかも当時の食糧難、生活難でものを恵んであげられる人などいないのでできなかった、つまり乞食にすらなれなかった。
 菰もなかった。戦災を受けた大都市の中にはもちろんあるわけはなく、菰を生産する村々は遠く、だから「お菰」にもなれなかった。
 それで上野の地下道などで寝泊まりして雨露をしのぎ、寒さや雪を避けるより他なかった。しかしそこは公共物なので官憲に追い払われる。放浪して歩くしかない。かくして彼らは「浮浪者」と呼ばれた。
 家どころか親も失った子どもたち、いわゆる戦災孤児も放浪するしかなく、彼らは「浮浪児」と呼ばれた。

 戦後の復興と民主化のなかでこうした問題は徐々に解決され、乞食・お菰とか浮浪者とかいう言葉はあまり聞かれなくなってきた。
 もう古い話になったが、松本清張の小説に『砂の器』という名作がある。これが1974年に野村芳太郎監督の手で映画化された。小説を映画化すると多くはつまらなくなるのだが、これは違った。小説とはまた違った感動を与えてくれた。とくに父と子の愛情、二人で放浪して歩くシーン、その背景に流れる音楽には涙を流した。
 そのときにしばらくぶりで前回述べたあの母子の乞食のことを思い出した。そしてもうあのような乞食はほとんど見られなくなった、いい世の中になったものだと思ったものだった。

 高度成長末期ころからではなかったろうか、「ホームレス」という言葉が聞かれるようになった。「住居も職もない人」のことをいうのだという。それなら、乞食・お菰、浮浪者と同じ、それをなぜ英語で言うのか。と思ったら、どうもお菰とは違うようである。
 ホームレスはまず物乞いをしない。しなくとも食っていけるからだ。廃棄される弁当やおかずなどを拾って食べることができるのである。料理する鍋や食器なども使い捨ての時代だから簡単に手に入れられ、燃料は新聞紙から何からいくらでもある。古い衣服は容易に拾えるし、古い段ボールやビニール等を拾ってきてねぐらをつくれる。菰などもちろん必要ない(そもそも菰をはじめわら工品は見られなくなっていたのだが)。使い捨て時代、飽食の時代であり、物乞いをしてもらい歩かなくともよくなっているのである。ここにかつての乞食・お菰と今のホームレスとの決定的な違いがある(と思うのだが、どうだろうか)。
 かくして「職も住居も持たず公園・路上を生活の場とし、廃棄物を利用して暮らしている人」、まさに高度成長の落とし子といえるいわゆるホームレスが成立する、こういえるのではなかろうか。

 そういうと、家がなくてネットカフェなどに寝泊まりしている人、車上生活者など最近話題となっている人たちはホームレスと言わないのかと反論されるかもしれない。たしかに彼らも家がないという意味ではホームレスではある。しかし最底辺の仕事ではあれ働いている。またまともな寝床ではないが風雨や寒さ暑さに耐えられる場所で寝泊まりしている。そうなるとかつてのお菰・乞食やホームレスとはかなり違う新型ホームレスといえる。
 こうした高度成長期末に形成された原型ホームレスの上に新型ホームレスが21世紀に生成拡大し、貧富の格差が極度にしかも世界的にひろがりつつある、こういうことになっているのではなかろうか。

 かつての乞食と違って物乞いのような人間としての誇りを捨てさせる行為をしなくともすむホームレス、これはお菰・乞食時代からすると「進歩」だ、などと言っているわけにはいかない。人間としての尊厳は傷つけられ、健康で文化的な生活をいとなむ権利が侵害されていることには変わりないからだ。21世紀に入って、非正規労働者の増加の中でさらにこの問題が深刻化してきている。

 ところが政府はこれまでまともな対策をとろうとはしなかった。資本に対する自由放任主義、国家による経済活動への干渉・介入を排除して資本が自由に利潤追求ができるようにするといういわゆる新自由主義なる思想と政策がアメリカから直輸入され、政財界はそれにまともに従い、マスコミは「勝ち組・負け組」などと言って、ホームレスなど貧困問題は自己責任だ、国際競争のもとではやむを得ないなどと言う思想を世の中に喧伝し、問題の解決を実質的に放置してきた。

 お菰・乞食などいない社会、失業者のいない社会、貧富の格差のない社会を目指して私たち国民は戦後努力してきたはずなのだが、またもとに戻りつつある。いやさらに格差は広がりつつある。何という世の中になってしまったのだろうか。

 お菰、もう死語になってしまった。ホームレス、いつ死語になるだろうか、まあ私の生きているうちは無理だろうが。
 お菰は死語になっていいが、「菰」は死語になってもらいたくない。わらの文化は残したいし、リサイクル社会で活用したいものだ。これも無理だろうが。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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