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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第94回 優れものの「俵」2020年4月2日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

昔の農村今の世の中サムネイル・本文

 正月元旦、大きな袋を背負って俵の上に座った大黒様と、釣り竿と大きな鯛を持った恵比寿様を書いた真新しい絵を、茶の間か床の間のその年の歳神様の方角の欄間に貼り付け、戸主が柏手を打って拝む。豊作と大漁を祈願するのである。一年間貼った後、毎年正月、その絵は新しい絵と取り替えられ、貼り付ける方角が変わる。これが私の生まれ育った地域の風習だった。海のない地域でも大漁を願う、田んぼのない家でも豊作を祈る、食べ物の大事さをみんな考えていたのだろう、誰も何の違和感も持たなかった。だからみんな毎日絵の「俵」を見ていた。現物の俵を積んだ荷車や牛馬車が道路を通るのも見ていた。農家非農家を問わず、みんな俵を知っていた。俵は大事な米の容れ物であり、主食の米の計量の単位でもあり、常識として知らないでいるわけにはいかなかったのである。

 しかし今は知らなくともすむようになった。俵は紙袋に代わり、計量の単位でもなくなったからである。そしてほとんど見られなくなった。見たことのない子どもたちもいる。稲作農家の子どもでさえである。
 そうした人たちに「俵」とは何か説明せよと言われたら非常に困る。けっこう難しいものである。それでも辞書等も参考にしながら次のように定義してみた。
 「俵とは、米の出荷・保管・運搬のための容れものとして稲わらを円柱形に編んで作られた容量四斗(≒18㍑×4≒15㎏×4)の袋でである」

 さて、この俵づくり、これも農家の重要な仕事だったが、この説明もきわめて難しい。でもどこまでできるか書いてみたい。ネットに映像がいくつか出ているのでできればそれと対照していただきたい(もしかすると私の説明と一致しないところもあるかもしれないが、雰囲気はわかってもらえると思う)。

(準備段階)
(1)俵編み機(前に述べた「菰編み機」)で稲わらを編み、「菰」を作る。この菰は俵の胴体となる。
(2)もう一方で、俵の両端にあてる(=俵の底とふたにする)わらで編んだ円いふた=「桟(さん)俵(だわら)」を作る。わら束の真ん中を縛り、踏みつけて円盤状に広げ、その円の端を縄を綯うようにぐるりと編みこんで(いうまでもなく2個)作る。
(形状作成段階)
(3)「菰」((1)でつくられた)を円柱状に丸め、その両端を編み合わせて筒のようにする。
(4)筒の端を内側に織り込んで、「桟俵」((2)でつくった)の一つを上から縄で縫いこみ、俵の底の部分をつくる(俵らしい形にする)。
(俵詰め段階)
(5)俵らしい形になったその円筒の中に、上の開いた口から4斗≒60㌔の米を詰める。
(6)詰め終わったら、その開いた口の上にもう一つの「桟俵」を載せてふたをし、(4)と同じように上から縄で縫い込む。
(仕上げ段階)
(7)俵の底と蓋を、網状に編み上げた縄で外れないよう押さえる。
(8)俵の胴体を4ヶ所、藁縄できつく巻いて縛り上げる。

 これで米俵が完成するのだが、菰作りは母、桟俵づくりは父と祖父、俵詰めと仕上げは父の仕事(かなりの力仕事であり、熟練も必要、失敗などしたら大変)で、子どものころの私は俵に詰める米を運ぶ手伝いくらいしかできなかった。したがって、この俵造り・俵詰めの過程は何度か手伝ったのだが、結局はまともに自分ですることなく、手に覚えさせることもなく、終わってしまった。農家の息子としてはまさに落第生、したがって申し訳ないが、作成の過程もうまく説明できていないかもしれない。

 こうやってつくられた米俵、これはまさに優れものだった。副産物たる稲わらの特性、つまり柔らかくて弾力性がある、加工しやすい、軽い、濡れにくい、簡単に切れない等々の特性、これを利用して主産物である米の容器=俵をつくる、そして主食である米の保管、運搬を容易にする。まさにこれはすばらしい知恵といえるのではなかろうか。さらに俵は米ばかりでなく麦や雑穀の容れ物にもなった。
 よくよく見るとこの工夫をこらした精巧さ、芸術品ともいえる美しさ、目をみはるばかりである。環境を汚す心配もない。
 しかもこの「俵」は世界で日本だけにしかないとのことである。俵は、われわれの先祖が日本人が作り出した独特の優れもの、日本の農耕文化を代表する一つなのである。だからこそ、俵は「ひょう」とも読まれて米の計量の単位として使われてきたのだろう。
 もっと俵に誇りをもっていいのではなかろうか。そして残していくべきではないだろうか。
 もちろん、前にも述べたように、俵には重くて持ち上げにくいとか、つくるのにかなり手間がかかるとか、いろいろ難点もある。だからもう一度俵を単位として米を流通させろなどというつもりはもちろんない。でも、何らかの形で俵を残していくことが考えられないだろうか。といっても、私に特別な知恵がない。

 もう俵を編める人も少なくなっている。まずは早急に全国各地で俵作りの技能を伝承する運動を起こす必要があると思うのだが......。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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