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責任の所在がはっきりしない日本人【坂本進一郎・ムラの角から】第34回2020年5月14日

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【坂本進一郎】

◆曖昧を助長する天皇制

私は5歳の時満州から母子3人で引き揚げてきた。引き揚げてきたのはいいが、生活は極貧の中にあった。母は若いころ洋裁店に勤めていたので,今度はその洋裁店の下請けで細々と生活をしのいだ。父はシベリアに抑留されており、帰国したのは1949(昭和24)年10月なのでいい就職先は残っていない。極貧生活は私が大学卒業するまで続いた。

私はなぜこんなに苦しめられるのか、朧げに疑問を感じ始めた。極貧生活に追いやったのは今次戦争だということはわかる。それなら今次大戦と日本人の無責任体制はどう結びつくのか。一つは天皇制の問題であり、二つ目は日本人のメンタリテーの問題である。もともと天皇は「権力」と「権威」の両方を有していた。ところが摂関政治の藤原道長の時代、権力を道長が保持し、権威を天皇が保持するという政治の2頭立て体制になった。敗戦1年後の1946年になると戦争犯罪の責任論が盛り上がってきた。東大総長南原繁は道義的観点から天皇は退位すべきだとした。東久邇稔彦首相は敗戦2ヶ月後、甥の天皇にあい退位を勧めたが拒否された。惜しいことに天皇はこの問題にかかわりあうことを避けたのである。おそらく敗戦翌年の2月までに退位あるいは謝罪をしていれば,中国・朝鮮との関係ももっといいものになっていただろう。

ハーバート・ビックスの『昭和天皇』を読んでいて意外だったのは、「御前会議は前日決まる案件に天皇は自分の考えを忍ばせていた。從って御前会議は『天皇の意思』を『国家の意思』に変換させる装置だった」という。司馬遼太郎は「フイクションの天皇制のほうがわかりやすい」と言っているようだが、「人にして神」というのは複雑な感じを与え、ブラックボックスにはまり込んだような気にさせる。

「御前会議の審議に参加した者は皆、唯一の権威である、天皇のもとに行動してきたと主張することができた。一方、天皇は国務大臣の助言に従って行動したと主張しえた」

ハーバート・ビックスは『昭和天皇』で、「このような御前会議は責任体系を拡散させた」(上巻・284頁)と言っている。

 
◆陸の三バカ

牟田口廉也は盧溝橋事件の時独断で戦線拡大の旗振りをしたが、これがこの後中国方面の戦線拡大となるきっかけを作っていくのである。これだけでなく、牟田口はインパール作戦のように無謀かつ強引な戦争を展開し自軍の兵士3万人を殺している。道なき道を力尽きた死体が累々、白骨化街道になるほどであった。なぜ無謀な戦争を仕掛けたのか。かつての直属の上司である東条英機が総理就任後敗色濃厚になってきたのを見て、ここで一挙に挽回してやれという忖度(そんたく)の気持ちを起こしたからである。

牟田口だけでもすごいと思っていたところ、まだ上がいた。寺内寿一に富永恭二である。寺内はフイリピン決戦前にサイゴンに司令部を置きここに赤坂の芸者を本土から軍用機で連れてきて軍属に配置した。寺内の子分が牟田口であった。無謀なインパール作戦も一つ階級上の寺内によって黙認されたのである。このころマレーの虎の威名を馳せた、山下奉文大将は東条英機に激戦地フイリッピンに飛ばされ戦死している。冨永は東条の徹底した腰巾着でそれで出世したといわれている。台湾への敵前逃亡は有名である。

結局この3人は軍法会議にかけられるでもなく、結果的に無罪放免となり、陸軍の規律はどうなっているかといいたくなる。そう思うのは父のことがあるからだ。父は1945(昭和20)年5月入営し、8月日本敗戦と同時にシベリア抑留となったので、3ヶ月入営で4年も抑留とはと死ぬまで理不尽を嘆いた。しかも父の場合右眼がそこひに侵され右目が見えないので鉄砲を撃っても当たらない。父は「俺みたいな人間を徴兵するようになったら日本も終わりだな」と口走ったものの片目しか見えない人を戦場に送るのは始めから戰爭に不向きで、これで本気で戦争は行えるのか一考の余地があるのではないか。それとも主権は君主のみであり一般国民は消耗品扱いだったのだろうか。

 
◆みんなで一緒-赤信号もみんなで渡れば怖くない

ムラに住んでいるとみんなで一緒の現象に遭遇することがある。前見て、横見て、後ろ見て、どこに意見が落ち着くか口は閉じ、じっと耳を澄ましてムラの成り行きを見守る。青刈り事件も、闇米事件もこうして起きた。今、ムラの様子を表現するのにぴったりの短文が見つかった.それを記してみよう。

「丸山は、1945年以前の日本における権力の多元性と無責任性を初めて明るみに出した。日本の指導者たちは目をつぶって突き進んだのである」。

「彼らは戦争を欲したかといえば然りであり、彼らは戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる」(「後衛の位置から」所収ロナルド・ドーア著「丸山と日本の思想」)。

ドーアは「なんとなく戦争がはじまり、なんとなく戦争が終わった」と揶揄しているのである。今次大戦にしても、原発問題にしてもどこかで形式的に謝罪したのかもしれないが、道義を感じて謝ったのを聞いたことがない。今、自給率向上がにわかに浮上してきたが、今まで自給率を無計画的に下げてきた。政府は道義的責任を感じるべきであろう。


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坂本進一郎【ムラの角から】

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