名言にこめた信玄の本心武田信玄【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2020年5月20日
戦国武将武田信玄は名言を沢山、口にした。中でも、
「人は城・人は石垣・人は堀」という言葉は今でも広く伝わっている。解釈も大体統一されていて、
・武田信玄は、部下愛に富んだ武将だった
・そこで、部下をそれぞれ城の構成部分に見立て、石垣や堀に当てはめた。つまり、「信玄は、それほど部下に対する愛情が深く、信頼心も強かった。この言葉によって、部下も奮起した」と言われている。が、果たしてそうだろうか。
というのは、今の山梨県の古名である〝甲斐国〟は、〝山峡〟山合いの意味から来ていると言われている。つまり、山が多く農耕地の少ない土地だと言う意味だ。米が主税で、国の財政運営の根幹になっていた時に、米の作れる土地が狭く、山や谷ばかり多いという土地柄は、米だけで考えればやはり貧しい国だったと言わざるを得ない。信玄は、そういう甲斐国を管理しながら、国内に生ずる他の資源(鉱物や米以外の農作物)の開発振興に力を入れたが、必ずしもそれだけで十分豊かな運営ができたわけではない。だからかれの運営方針は、
「国内を固めるために、外に打って出る」として、はっきり言えば他国の富を国内に入れる合戦をしばしば行っている。そういう状況に置かれたトップに、果たして、部下愛ばかりで軍団の運営ができるだろうか。私はこの言葉には、深い意味が込められていると思っている。
土地の農民の直接支配
それは、一言でいえば、
「農民の直接支配」だ。たとえば、信玄の部下で幹部を〝武田二十四将〟といった。二十四人の優れた武将が、信玄を支えていたという意味だ。しかし、クールに考えると、この二十四将はそれぞれ国内の「小領主」だ。小領主というのは、与えられた土地と、そこを耕す農民の、さらに合戦の時に武器を持つ兵士などは、すべて二十四将の管理下にあって、信玄が直接支配している訳ではない。信玄に属する直臣はわずかな数だ。だから何か事が起こると、特に小領主に不利な状況が生ずると、かれらは独立する。そして持っている財力(土地・農民)を前面に出して抵抗する。信玄の父信虎は、これを改革しようとして、それまで石和にあった拠点を、甲府に変更した。この時信虎は、
・この際、二十四将も甲府の城下町に住まわせる
・そして武田家の当主が直接支配するようにする
・同時に、二十四将が所有している土地と農民も、武田家が直接支配するように仕向ける
という考えを持った。が、失敗した。信虎が信玄に追放された事件には、裏にこの事情があったのではなかろうか。信玄は、父を追放したものの、信虎が持った、
「甲斐国内の土地の農民の直接支配」には、大いに関心を持った。信玄も、何かというと独立性を強め、大将の意思に従わない土地持ちの幹部たちには手を焼いていたのである。だからこの点については、
「父は決して間違っていない。俺もそれを願う」と思っていた。だから信玄が「人は城」の名言を口にしたのは、部下愛が多少あったかも知れないが、本心は、
「二十四将も、俺の直接の管理下に入る気持ちを持って、土地や農民を俺の直接支配に任せてほしい」という意味なのだ。つまり「人は城」の意味は、
・二十四将も、俺の分身になれ
・俺の意思通りに動く、人間の体と同じ気持ちを持て
・そして、いま支配している土地や農民を手放せ
・そうすれば、甲斐国の結束力はさらにつよくなる
という意味だ。
信玄は、機会ある度にこの考えを小出しに実行した。しかし、敏感な幹部はそれを見抜く。
「信玄公は、俺たちから土地と農民を取り上げる気だ」と悟る。そうなると、信玄に警戒心を持ち、二十四将もそれぞれ集まっては、
「信玄公の今度のご指示には、こういう意図がある。その手には乗らない」と合意し結束する。この合意と結束がまた固く強い。
信玄は外征で名を挙げた武将だが、頭の一角には常にこの問題が巣食っていた。信玄にすれば、
「天下人への道を進むにしても、この問題が解決できなければ武田軍団は一つにならない」と思っている。この問題を鮮やかに成功させたのが、織田信長だ。信長は、家臣団を全て城下町に住まわせ、その生活を保障した。
そして、国内の統治管理はすべて信長が一手に掌握した。そうしなければ、信長もまた天下への道を歩くことが出来なかったからである。信玄も同じ気持ちだった。外征が多かったのは、内部より外部に目をむけさせて、心を一つにするという目的があった。信玄も父信虎の、
「幹部は全て大将の住む城下町で生活する。そして、土地と農民の管理支配は大将(信玄)に任せる」
という路線を狙っていた。決して部下愛に満ちた信頼の言葉だけではない。むしろ、信玄の政治目的を芬々(ふんぷん)と匂わせる言葉なのである。
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