幻と消えた雪国の水田二毛作【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第105回2020年7月2日
誘蛾灯の導入で田んぼの夏の夜景が変わったという話を前回したが、東北などの雪国では春の景色も変わりつつあった。雪解け後から田植えまでの期間、いつもは何もない白茶けた土色の殺風景の田んぼになるのに、赤・綠・黄の三つの色をした田んぼがぽつりぽつりと見られるようになってきたのである。
稲の後作としてレンゲ、麦、菜種が、つまり水田二毛作が導入されるようになったのだが、こんなことは戦前の東北では考えられないことだった。そもそも寒冷地での二毛作は難しいものだったからである。暑い期間の短い地域で二毛作をすれば収穫や植付けの時期が競合し、水稲・裏作物ともに収量が落ちて虻蜂取らずになる危険性があったのである。とくに主作物の米に悪影響を与える恐れがあったので、小作料を米で取る地主は二毛作にいい顔はせず、なかなか許可しなかった。
しかし戦後の農地改革で土地は自分のものになった。何でも自由につくれるようになった。そこで自分の土地から米だけでなく他の作物もつくって所得をあげようと取り組んだのである。
試験研究機関はこうした意欲に応えるべく、そして当時の緊急課題であった食糧増産を図るべく、寒冷地における二毛作技術の確立に取り組んだ。二毛作の導入を可能にするための晩植用の稲の品種と肥培管理技術の開発、裏作物の品種や増収技術の開発、表・裏作物が競合しないような技術の確立等に取り組んだ。後にうまい米で有名になるササニシキなどはその過程で生まれたものだった。そもそもは麦の裏作ができるように晩植用を目標に宮城県農試古川分場で育種されたものだったのである。
一方、行政・普及は春の田んぼを麦の緑、ナタネの黄色、レンゲの赤の三色で埋めようと「三色運動」を展開した。
こうしたなかで、かつては六月頃まで荒涼としていた田んぼに緑、黄色、赤の三色の縞模様が見られるようになったのである。
私の故郷のある日本海側でとくに普及したのが飼料作物兼緑肥作物としてのレンゲだった。雪の多い地域では麦などの実取り作物を裏作するのは当時の技術水準では難しかったからである。なお、このレンゲの種は関東以南の地域から購入した。野生のレンゲが東北で見られないことからわかるように、寒冷地ではレンゲは結実しないからである。
私の生家でも種を買ってレンゲを植えた。土地条件と労働力の関係、危険分散などからすべての水田ではなかったが。
レンゲは緑肥作物として位置づけられると同時に、家畜の飼料としても重視された。
ちょうど当時は、毛糸の原料としての羊や飲用乳自給のための山羊の飼育、豚や鶏の増頭羽、乳牛の導入等々、用畜(肉、卵、乳、毛、皮など、人間に有用な資材を生産させるための家畜)の導入による「有畜経営」化がさけばれていたからである。その後、耕耘機導入(このことについてはまた後で述べたい)により不要となりつつあった役牛馬に替わるものとして乳牛導入が推奨されるようにもなった。
このなかでとくに注目されたのが水田酪農だった。レンゲなどの裏作物や河川敷・畦畔等の草、稲ワラ等の副産物を飼料とし、糞尿は良質堆肥として水田に投入するという水田と用畜の結合は、穀作と畜産の並進、水田の高度利用という新たな段階の農業発展を展望するものであった。
そこに襲来したのが、前回も述べた1954(昭29)年の冷害だった。これは保温折衷苗代の普及の契機となったのだが、同時にそれは水田二毛作の停滞の契機ともなった。当時の技術水準では二毛作による冷害時の米の減収は抑えられず、それを避けるために二毛作を導入しないあるいはやめるようになってきたのである。
それに拍車をかけたのがアメリカからのMSA小麦の輸入だった。この頃から米と麦の価格の差が大きく開くようになり、麦はつくっても引き合わなくなってきた。また脱脂粉乳の輸入も本格化し、学校給食も市乳もそれを用いるので乳価は低迷、少頭数飼育の水田酪農はやめざるを得なくなった。
かくして農家は米の増収にのみ向かわざるを得なくなり、水田での麦作や飼料作は壊滅へと向かうことになった。
こうしたなかで、稲麦二毛作用=晩植用として育成されたササニシキはその本来の目的だった裏作用として用いられることはまったくなくなり、単なる多収品種として普及し、さらには「うまい米」として一世を風靡し、東北をササ一辺倒にさせ、さらには米一辺倒にさせて米の過剰問題を引き起こす一因ともなり、さらにその後の機械化の進展とあいまって出稼ぎ・兼業。若者の流出を加速化させることになるのである。
最近ときどき考える、「もしもあのとき」、水田二毛作・水田酪農が東北や北陸などで定着していたら、輸入によって関東以西の地域の二毛作が壊滅するようなことがなかったら、1970年代の米過剰問題はあれほど深刻化することがなく、単純休耕なども少なく、農村からの労働力流出も若干ではあっても抑えられ、ここまで農村の疲弊が進むことはなかったのではないかと。
歴史学では「もしも」は御法度とされている、にもかかわらずついついそんなことを考えてしまう、そして幻と消えた雪国の水田二毛作をなつかしく思い出す、これも年をとったせいなのだろうか。
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