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私の知るそばの食べ方【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第111回2020年8月13日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

ようやく仙台も暑くなってきた。今こうやって机に座っていても汗がにじんでくる。今日の昼はさきほど生協ストアで買ってきた「ざるそば」のはずだ、そこで今回はそばの食べ方について語ってみよう。

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といっても私はそばについてそれほど詳しくはない。私の生家ではソバを栽培していなかったからである。だからソバの実も茎葉も知らないで育った。それでもたまにだがそばを食べた。祖母がどこからかもらったのか買ったのかしたそば粉をこね、正月の餅をのしたり切ったりするときに使う大きな広い板の上でそれをすりこぎのようなもので平らにのし、大きな菜っ切り包丁で細く切り、いわゆる「そば切り」にしてたまに昼飯などに出して食べさせてくれたからである。

しかしこの灰色のそばがうまいと思った記憶がない。それよりは黄色い麺の「しなそば」の方がおいしかった。なにしろ脂肪分に餓えていた子どものころ、麺より何よりあのスープがおいしかったからだった。

その話を学生時代に群馬の農家出身の同級生にしたら「そばがき」はうまかったぞという。と言われても食べたことがない。あるときごちそうになったら。何とその昔祖母のつくってくれた「かいもち」ではないか。私はうまいとは思わなかった(後でそば好きになってからはうまいと思うようになったが。)

最初にそばとはうまいものだと思ったのは山形の庄内の料理屋でごちそうになった「むきそば」を食べたときだった。殻をむいてゆでて薄皮をとったそばの実に、冷たいつゆをかけて食べるというものだが、これは絶品だった。それから突然そばが好きになった。そして昼の弁当を持参しない猛暑の期間(冷房などない時代の話である)は大学の近くのそば屋に研究室のメンバーと毎日そば食べに通ったものだった。

「そば」というと、われわれはざるそばだとかかけそばだとかをまず思い浮かべる。このような「そば切り」にして食べるのが今は普通だが、かつては「かっけ」、「はっと」にして食べるのが多かったようである。これの方が簡単だからであろう。

まず「そばかっけ」だが、そば粉に水を加えて良く練り、薄く延ばした生地を三角形に切ってゆがき、にんにく味噌や醤油などをつけて食べるというものである。

次に、今述べたような薄く延ばした生地を1~1.5センチの幅に切って麺状にし、それを野菜などを入れた味噌・醤油汁に入れて煮て食べるのが「そばはっと」である。なお、その麺の長さが10~15センチと短いものは「だんぎりはっと」もしくは「さいばんはっと」と呼んだという。

また、「そばもち」がある。そば粉を練って、厚さ1センチ、直径10センチくらいの円盤状にして、中にみそを入れて囲炉裏で焼いて食べた。

これは岩手の北上山地・葛巻町(かつての山間畑作地帯)出身の農経研究者中村勝則君(秋田県立大准教授、前に本稿に登場してもらった)に聞いたのだが、他の地域でもそうだったのかはわからない。なお、彼の実家で「そばかっけ」をごちそうになったが、けっこううまかった。

大阪に行ったとき、そばを食べたくなってそば屋に入ろうとした。そしたらそば好きの先輩研究者が「関西でそばなど食べるものではないよ」と笑う。そういえばそうだった。関西は二毛作・麦作地帯、だからうどんが主体だった。あらためてソバは冷涼地帯の作物なのだと思ったものだった。

そば屋さんは全国各地にある。そして日本人はその昔以上にそばを食べている。つまりソバの需要はある。したがって、ソバの栽培は減らないはずである。ところが1960年代から激減した。中国やアメリカからの輸入が激増したからである。それでも国産のソバ粉に対する需要は根強く、徐々に栽培面積が復活している。また、地域で栽培したソバを地域で食べてもらおうという努力も続けられている。それでもまだまだ自給率は低い。国産国消の運動をもっと展開し、ソバの自給率を高め、地域農業の活性化をさらに進めていきたいものだ。

ところで、今から半世紀も前になるが、私の生家で母が家の前の畑にほんのわずかソバを植えた(母の実家ではその昔ソバを栽培していたらしい)。ただし実を採るためではなかった。茎葉が20センチくらいに伸びたころに採って、お浸しにして食べるのである。赤い茎がきれいで、特別な癖もなく、さっぱりしておいしかった。残念ながらこのソバの茎葉はどこでも売っていない。山形内陸の「そば街道」にあるそば屋さんなどではあるいはそのお浸しをおつまみに出しているかもしれないが、どうなのだろうか。

ソバの大産地北海道では食べたことがない。間引きした苗を商品化すること、あるいはお浸し用として栽培することも考えていいのではなかろうか。

北海道で思い出したが、十勝平野士幌町で農業をいとなんでいる農大のときのゼミ卒業生がときどき自家産のそば粉を送ってくれる。家内がそれを打ってごちそうになっているが、やはり国産そして手打ちのそばはおいしい。本当にそばの味がする。各家庭でも国産そば粉で手打ちをして食べてもらいたいものだ。

なお、ここで「ソバ」と「そば」の二つの言葉を使ったが、植物名として書く場合には片仮名で書くことになっているのでソバとし、食べ物等それ以外に用いる場合には平仮名のそばとしている。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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