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路上の牛馬糞(2)【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第121回2020年10月22日

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道路に牛馬糞が落ちている、誰も何とも思わず、みんな無関心だった。落ちているのが日常だったからである。といっても、間違って糞を踏んづけてしまったりしたら大変、だから糞を見つけたら踏まないように注意して避けて通ったものだった。しかしたまたま見逃してしまい、間違って踏んだりすることがある。それは本人の不注意、あきらめるより他ない。履物の底にくっついた糞を電信柱や木の幹にあるいは道路の土や道端の草むらにこすって落としたり、川に行って流したり、ともかく大変である。子どものころなどなかなかとれなくて泣きたくなったものだった。

こうして糞は車や人に踏まれたり、乾燥して土と同化してしまったり、風で飛ばされたり、雨に流されたりしてやがてどこにいったかわからなくなってしまう。かつては舗装道路などほとんどなかったから、それが普通だった。

雪国の冬の路上の糞、これはまたちょっと違う。
いうまでもなく冬垂れ流された牛馬糞は路上の真っ白な雪の上に落ちる。最初は湯気をたてているが、やがて冷え、その上に雪が積もると見えなくなる。そしてその雪の中でガチガチに凍る。さらにその上に雪が積もり、やがてまったく見えなくなる。その上を人が通り、そりや車が通る。糞は雪の中で潰されるが、上に雪があるのでその下の糞は見えず、誰も気が付かない。こうして糞は飛ばされも流されもせず、また片付けられもせず、雪の中に埋もれる。路上はまさに銀世界、その下に糞があるなどとは誰も思わない、

2月の末から3月、表面の白い雪が解けてくる。すると黄色い雪がのぞきはじめる。その下には固く凍った糞があるのだが、さらに気温が上がってくるとそれが雪の中から一斉に表面に顔を出し、はっきりその姿を見せるようになる。ぺっちゃんこに潰れた形でだが。当然のことながら簡単に乾かない。取り除くのも難しい。下の方が凍っているからだ。だから、さらに暖かくなって雪解け水に溶け出し、いっしょに下水路などに流れ出るのを待つより他ない。それでも一部は道路に残る。やがてそれが乾いてくる。そこに春先の強風が来るとどこかに吹き飛ばしてくれる。その途中われわれの口と鼻にその一部が土ぼこりといっしょに入ってくる可能性があるのだが、見えないのでとくに気にもならない。
こんなこともかつての雪国の町や村の春先の暮らしの一部だった。

この糞尿公害、排気ガス公害とくらべてどう評価したらいいのかなどというつもりはない。その質がまるっきり違う。また量も違う。いうまでもないが、牛馬はいつも糞尿を路上で垂れ流しているわけではない。そもそも牛馬車は今の車のようにひっきりなしに走っていたわけではなく、本当にたまに歩いているだけ、だから道路が今述べたようにいつも汚いわけではない。ちょっと過剰に表現しただけである。
また農村部ではどこの家でも家畜を飼っていたので糞尿問題はお互いさまである。町場の人もそれが普通、この家畜のおかげで農作物が食べられるのだ、少々の臭いや騒音は我慢するのが当たり前だと思っていた。
だから誰も迷惑だなどと考えず、ましてや公害だなどと認識していなかった。家畜は役畜・用畜・糞畜として人間が生きていく上で不可欠のものとしてかつてはみんな認識していた。そして都市農村問わず家畜と接していた。だから家畜の糞尿は厄介者どころか厩肥として貴重であると認識されていた。しかも少頭数飼育である。だから家畜糞尿それ自体、それに付随する悪臭・害虫発生等々は迷惑だとは思いつつも「公害」とは認識されなかった。

1960年代になると、路上での牛馬の糞尿問題は消滅した。自動車の普及が進み、農業の機械化が進んだために役畜としての馬は姿を消し、牛は役畜としてではなく肉や乳など食用を主目的としてつまり用畜として飼育されるようになったために、道路を歩く牛馬の姿は見られなくなり、それとともに糞尿が路上に落ちてるなどということがなくなったからである。

ところで、この牛馬の路上糞尿は法律で禁止されているのか、それも減った一因になっているのかと畜産研究者の元同僚に会ったときに聞いたら、道路交通法では牛馬車や牛馬そりは軽車両で、糞尿を垂れ流しても道交法違反にならない(犬ぞりも軽車両なのだが、犬の糞の垂れ流しはだめらしい)、ただし条例によって禁止または規制されているところがあるとのことである。とするとやはり役畜としての牛馬がいなくなったことが原因となって路上糞尿という公害がまったくなくなったということができよう。
しかし、かわりに自動車の排気ガスが撒き散らかされるという深刻な公害問題が起き、さらにこれまで考えもしなかつた新たな畜産公害が大きな問題として登場するようになった。

今は路上牛馬糞は見られなくなり、またそれをかつて見てきた方々もかなりの年齢、もう誰も語らないし、書かないだろう、そう思ったものだから、ついつい書いてしまったのだが、役にも立たない話、何かのおりの話のタネになるかもしれない、そんなことでもう少し糞尿問題を語らせていただきたい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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