不屈の農業改革者 大蔵永常【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年3月20日
地域差別を生む中華思想
蛮社(ばんしゃ)というのは中華思想が生んだ蔑称だ。中華思想というのは、
「この世(世界)で最も文化にすぐれた文明国」の自覚を持ち、勢い周囲の国を劣る国として、その国の民族をバカにする考えだ。東西南北の民族を〝エビス〟と呼ぶ。
東のエビスを東夷(とうい)・西のエビスを西戎(せいじゅう)・南のエビスを南蛮(なんばん)・北のエビスを北狄(ほくてき)と呼んだ。
儒教が国教的定着をした後の日本にも、この思想が浸み渡り、中央の優位さを"上"とし、地方の劣位を″下"とした。都(京都)へ行くことを〝上がる(のぼる)〟といい、地方へ行くことを〝下る〟という。この呼称は今も残っている。(交通機関の東京行きは上り、地方行きを下りというのはその例)。
だからその集まりに参加する人々が、自分から〝蛮社〟と呼ぶわけがない。権力が名づけた、現代でいう〝パワハラ〟だ。徳川幕府の役人は、渡辺崋山・高野長英・小関三英らの集まりを蛮社と呼んだ。蔑称の〝南蛮〟からきている。オランダを始めとする西洋文明の研究に熱心だったからだ。
しかし渡辺崋山の目的は、最初は、
「小藩における生産向上」が目的で、自分の属する田原藩(愛知県・1万2000石)を含む、日本の小藩が、いかにすれば富めるかを探求する研究グループだった。
だからグループは結社の名を「尚歯会(しょうしかい。老人・経験者の集まりの意味)」と称していた。研究対象を小笠原諸島にまで広げ、「開拓の実験地」として、空想を交えた生産論議を行った。これがチクられ、
「蛮社の連中は小笠原諸島を外国に売り渡し、ここを拠点とする日本侵略の手助けをしようとしている」
と、妄想的な誇大結社に仕立てあげられてしまった。世にいう〝蛮社の獄〟はこうして起こる。意図的なデッチあげだ。中華かぶれした江戸町奉行鳥居甲斐守燿蔵(これをモジって妖怪とあだ名された)が起こし、西洋かぶれとみた渡辺たちを罰した。三人とも死ぬ。
農業改良者大蔵永常を招く
小藩を富ます方法」という、最初の目的を論議しているころ、渡辺は当初の農政研究の大家である大蔵永常を招いた。尚歯会で話を聞いただけでなく、田原で実際に、
「藩富のための農業改革」
を実践してもらった。大蔵は豊後国(大分県)日田の農家の生まれで、若い時から、
「農家が富めばこの国(藩)も富む」と主張していた。「農家益」や農具便利論」など、実際に即した本も出版していた。米以外の農作物の栽培指導も行った。
後継者の渡辺崋山は一万二千石の小藩の家老だ。が、学者・絵画家として名を高めている。永常は快諾した。
「名を日田喜太夫としましょう」
と、生地にちなんだ別名を告げた。この改革に相当入れ込んでいた。既に六十七歳の高齢だったが体調もよく元気一杯だった。
「まずイネの改良から始めましょう」
と言って年貢の増額を計った。このことは同時に農家の収入増をもたらす。しかし永常は、
「農家に現金収入をもたらす生産物の栽培」
を積極的にすすめた。「門田之栄」というテキストを書いて農家に配った。
「貨幣経済に対応しなければいけない」
と農家の体質の近代化をはかったのだ。
ハゼ(ローソクの原料)・コウゾ(和紙の原料)・イ(畳の原料)・サトウキビの栽培を指導した。また、
「農家が楽しみながら実利を得られる物」
として、土焼人形をつくることをすすめた。かれは若い時、筑前(福岡県)黒田家に仕えたので、博多人形にヒントを得ていたのだ。この人形と和紙は、明治になって身分を失った武士の内職に活用されたという。
改革の頓挫
永常が特に力を入れたのが砂糖の生産だった。利益が大きかったからだ。しかし当時、砂糖の生産は薩摩藩が独占していて、その製法も企業秘密だった。それを永常は手をつくして手に入れ、田原の農民たちに惜しげもなく伝えた。この成功率はかなり高かったという。
しかし永常のこれらの努力も頓挫せざるを得なくなった。〝蛮社の獄〟が起こったためだ。デマにもとづく風評を、鳥居町奉行が事実と認定し、尚歯会メンバーを弾圧した。
渡辺崋山は良心的な人物だった。
「日田先生、折角当藩のためにご努力いただきましたが、私の不徳のために申し訳ないことが起こりました」
と、正直に事の次第を告げた。そして改革の中止、永常の早期退去を促した。「先生は田原藩のためだけでなく、日本全国の藩の財産になる存在ですから」
と、永常の価値を語った。永常おかなり諸国を歩いたから、政治権力の魔物的恐ろしさはよく知っている。
「よく分かりました。渡辺先生もお大事に」
と、崋山の自重を促し、田原から去った。直後、崋山は自決した。禍(わざわい)を自身だけにとどめようとしたのである。
永常の努力は田原近郊の浜松藩主水野忠邦が注目していた。かれは老中首座(総理)になった。そこでまず自藩、そして日本全藩の藩富を策して、その希望を永常に伝えた。永常は承諾した。しかし水野は展開した〝天保〟の改革のきびしさで世論に叩かれ、失脚してしまった。永常は「いろいろあらーな」と苦笑した。不屈のかれはその後も農業改革に励み、九十歳をこえてもなお続けていた。没年不詳と云われる。
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