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渋沢いよいよ〈青天を衝く〉始動――近代日本と大転換期と経済の〈徳〉【記者 透視眼】2021年5月10日

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9日放映のNHK大河「青天を衝け」は主人公・渋沢栄一がいよいよ幕末動乱の京都へ。そして本領発揮の近代日本づくりへ動き出す。番組は今に生きる我々にも参考になる。特に大転換期、人生100年、経済の〈徳〉の三つだ。

最後の幕臣であり最初の近代人

渋沢の人生はまるでジェットコースターのようだ。上がったと思えば急降下、しかしその反動でまた浮上する。貫いた信念は〈あきらめない〉〈生き続ける〉の二つ。

番組でもテロリストとして、上州・高崎城乗っ取りの後に横浜での外国人居住区焼き討ちする計画を断念した後、妻に「俺はどんなにみっともなくても生きる」と決意を語る。列強が次々と押し寄せる大転換機の日本の中で、自分のできることは何か。それが見つかるまでは死なない、死ねない。こんな大志を抱いた渋沢のような多くの若者が、中国のような植民地にならず近代日本を築いていく。

豪農出身の渋沢はテロリストから徳川・一橋家の幕臣、幕府滅亡の時はフランスにいた。維新後は財務官僚、そして役人を辞し経営者として近代日本の建築者、最後は慈善事業の社会インフラづくり。最後の幕臣と同時に日本で最初の近代人の代表だった。

途中で断髪したのは渋沢と土方歳三

番組では、京都で渋沢は殺気をはらむ剣士・新選組副長の土方歳三に出くわす。幕末動乱の歴史上の人物で、突然手のひらを返したように武士の象徴であるまげを断髪し、洋装に切り替え、その後も活躍したのは渋沢と土方歳三の二人くらいだろう。しかも当時の写真も残るからリアルに再現できる。

土方は鳥羽伏見の戦いで、官軍の近代兵器の威力を悟り、新選組が得意とした剣術での制圧は時代遅れと知る。近藤勇局長亡き後は、断髪と洋装で榎本武揚らと蝦夷地・箱館(当時)の西洋式城塞・五稜郭にこもり新政府軍と最後の決戦に臨み、散った。

一方で渋沢は、27歳の時に幕府側の随行員としてパリ万博に行き都庁で断髪、シルクハットに背広の人となる。これはスタイルだけではない。貪欲に西欧の近代文明を吸収しようとの決意でもある。幼い頃からの藍を起点とした循環経済を体得していた渋沢にとって、当時のフランスの社会全体の循環を重んじるサン・シモン主義は理解しやすかったに違いない。

フランスはナポレオン3世統治下の第2帝政期で、英国に追いつこうと近代国家の礎を築こうとした時期に当たる。銀行による民間の力を通じた社会建設を学ぶ。〈バンク〉の訳である〈銀行〉を日本に定着させたのは渋沢だ。さっそく明治6年には日本初の銀行・第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立する。

人生100年時代を実践

渋沢は1840年に生まれ1931年に逝く。享年91。昨年は生誕180年、今年は没後90年の区切り。昭和初期の90歳超えは、今で言えば110歳程度に相当する。〈人生100年時代〉をまさに100年前に実践していた。

現役時代に500もの企業創設に関わり、しかも先のみずほ銀や帝国ホテルなど今も活躍する長寿の大企業が数多い。人生100年時代を実践した渋沢は、69歳の時に要職を退き第二の人生を慈善事業、社会福祉、民間外交を通じた国際平和活動にかける。

財界人、政治家それぞれ引き際が大切だが、渋沢はそれをわきまえていた。禅語の〈即今、当処、自己〉を説く。今、ここ、自分の意で、逆のいつか、どこかで、誰かがでは話は前に進まない。「逆境のほとんどは〈自分の作り出したもの〉」とも述べた。だからこそ、逆境は自分を見つめ直せば乗り越えられると。

官の三菱・岩崎と民の渋沢

よく比較されるのが同時代の企業人・三菱グループ創始者の岩崎弥太郎だ。個人的には利の岩崎、理の渋沢と思っていたが、そう単純ではないらしい。明治の経済偉人を扱った歴史作家・加来耕三の近著『危機突破力』に学んだ。

日本を代表する経済界の巨人が決別に至る知られた史実は、岩崎が隅田川に浮かぶ屋形船に誘い「二人で実業界を牛耳ろう」と提案したのに対し、渋沢が憤慨し席を立ったという話だ。社会全体の経済発展が第一の渋沢が、自己の利益ばかりを目指す岩崎に立腹した。ただ、この件だけを持って二人の優劣を論じるのは性急すぎる。現に今の日本経済に三菱はなくてはならない。渋沢の創業した数百社の企業群も共に存在感を示す。

二人の企業は共に歴史の荒波を乗り越えた。要は考え方と手法が違うのだ。

先の加来の著書では渋沢〈胆力〉に対し、岩崎〈先見力〉と見る。創業から昨年150年を迎えた三菱。あのスリーダイヤ・菱形紋様は、岩崎家の紋と出身の土佐藩主・山内家の三葉柏を組み合わせたものだ。〈官〉に寄り添う弥太郎の考え方を暗示する。時の権力に近づき権勢を増す三菱と、民の力と道徳を重んじた渋沢の違いも浮き彫りにする。

記者の〈透視眼〉でのぞけば、先の見えないコロナ禍、やはり渋沢の〈胆力〉こそが今の暗闇を照らす一灯と映る。(K)

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