山間高冷地における麦・豆作の絶滅【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第148回2021年5月20日
前回述べた「貧乏人は麦を食え」、1950年、池田蔵相(のちの首相)の言ったこの言葉、ここに出てくる麦は麦飯・うどん・すいとんとなる日本産の麦だった。そして麦の増産にも力を入れた。また、満州からの大豆輸入ができなくなったので大豆の増産も奨励した。
一方、農家は生活必需品として、また販売用として麦豆を生産してきた。とくに、山間高冷地、寒冷地、水不足地域など土地条件、気象条件からして稲作の困難な地域では、畑作を中心とした農業をいとなむしかなかったからである。
夏期にヤマセ(偏東風)に襲われる北上山地を例にしていえば、当時の技術水準では米はつくれず、ヒエ、ムギ、アワ、キビ、ソバ、大豆等の畑作物(いわゆる雑穀作)の生産を中心に山野草を利用した牛馬産、薪炭等の林産物生産でその生計を営んできた(注)。畑作の場合問題となるのは連作障害だが、それはヒエ―麦―大豆あるいはヒエ―麦―ソバ等の二年三作体系をとって解決してきた。
しかし、こうしたものを生産して販売しても米を買えるほどの収入にはならなかった、ヒエを中心に雑穀を主食とするほかなかった。大豆は主食にはならないが、麦とともに現金収入にもなる貴重な作物だった。
ところが、その大豆が、また麦が売れなくなってきた。1954年から政府が推奨したのは「日本人はアメリカ産の麦・豆を食え」だった。つまり日本で麦豆を生産するのはやめろということだった。そして農家はやめさるを得なくなった。つくっても引き合わなくなってきたからである。
北上山地の北端で太平洋岸に面した岩手県野田村の調査に行ったとき、ある農家の方が1960年ころを振り返ってこんなことを言っていた。
「昔からやっていたように販売用・自給用として大豆を50アールつくっていたが、まったく売れない。何とか売っても全部で6万円の収入にしかならず、ただみたいなもの、自給用の味噌・豆腐にするために大豆をつくっているようなものだった。それで大豆などやめて出稼ぎに行った方がいいということになった、みんなそうだった」
もちろん麦も政府はその価格を上げない。インフレが続いているにもかかわらずである。やっていけない、やめるしかない。
こうして畑から最大の現金収入源の大豆が、そして麦が消えていった。輪作体系は崩壊せざるを得なくなつた。
東北の都市近郊農家だった私の生家でもまず麦が姿を消した。自家用としてつくっていた畑作大豆、畔豆もなくなった(枝豆の生産は増えたが)。
ついでにいえば菜種もなくなった。青森県の太平洋岸に一面広がっていた見事な菜の花畑、これも消えてしまった。同じく低価格での輸入のせいだった。
ところで、日本の小麦を安楽死・壊滅させたアメリカ産の小麦、この小麦の品種の親は日本で開発した農林10号だったとのことである。
もう一つ、日本の大豆を安楽死・壊滅させたアメリカ産の大豆、この大豆は「黒船」で日本に来たペリーが日本からアメリカに持ち帰ったことから始まったとのことである。
このように、アメリカの麦と豆いずれも日本との関わりで発展したもの、日本に恩義のあるもの、ところがそのアメリカが日本の麦と豆を壊滅状態にし、さらには1978~79年の食糧危機のときには日本に禁輸措置をとって日本人を苦しめる、まさに恩を仇で返す、これが「国際化」というものだったのである。
米麦二毛作が消える、山間部から麦作がなくなる、日本の麦作は消失してしまった。これを人々は麦の「安楽死」と呼んだ。大豆作もなくなった(注)。これには名前もつかなかった。たしかに両方ともに静かに死んでいった。それは声の上げ方を知らなかったからだった。それを組織化すべき農協もいまだ建設途上、まだまだ弱かった。
麦作、大豆作がなくなる、つまり農家の仕事は少なくなる、それに加えて山間部の場合はやがて薪炭の生産がなくなる(これについては次回以降述べてみたい)、食っていけなくなる。
残るは米だ、この増産に力を入れよう、同時に農外で稼いでこよう、かくして米+兼業で何とか生きていいくより他なくなる。若者は安定した職をもとめて村から大都市に出ていくことになる。
それに拍車をかけたのが、エネルギー革命の名のもとに60年代に本格的に始まった石油の輸入、その結果としての石油依存社会の到来、薪炭生産の解体だった。
(注)北海道の麦・豆、香川県の麦については後で別途取り上げることにしたいのでここでは省略させていただく。
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