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〈農本主義〉復古と可能性――医・食・心・政・技の統合説く【記者 透視眼】2021年7月10日

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農学の閉塞感を破る著書である。46歳の京大・藤原辰史准教授は新視点で数々の刺激的な本を著わしてきた。「農本主義」の深淵を探る最新著『農の原理の史的研究』(創元社)は、長く農の世界を観察してきた記者の〈透視眼〉から見ても異彩を放つ。

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同床異夢の〈農は国の基〉

〈農は国の基〉である農本主義ほど〈同床異夢〉の四字を想起させる言葉はない。異常協定TPPの反対運動の先頭に立った萬歳章全中会会長(当時)が繰り返した。一方で、「自由化断行政権」で、TPP交渉をはじめ前例のない市場開放を強行した安倍晋三前首相も、所信表明で何度か同じ〈農は国の基〉の言葉を発している。だが中身は全く違う。

同じようなことは〈食料安全保障〉でもある。食料安保で現在の全中会長・中家徹はさらに具体的に「国消国産」と、あくまで国民が消費するものは国産で供給すると明確に位置づけた。だが、食料安保は農業自由化論者にとっても〈常套句〉なのを忘れてはならない。それは、適切な輸入と国内生産、備蓄を組み合わせて成り立つ論理だ。

農学栄えて農業亡ぶ

日本の農学の祖で、農本主義を唱えた横井時敬が言ったとされる「農学栄えて農業亡ぶ」。農学が観念論に傾き、現実と遊離することへの戒めの言葉として流布する。

核心を突いているが、昨今は官邸農政による農協改革や生乳制度改革、いや〈改悪〉の強硬突破で、「農政栄えて農協・農業亡ぶ」状況があったことと二重写しになってしまう。

一方で人文科学の視点から食農思想史をひもとく藤原は先の『農の原理』の中で、「農学とはそれ自体、農業発展するほどに農業滅却させていく逆説的な宿命を帯びている、と素直に読むべきではないか」と説く。農学の発展は、食の工学化という性格も免れなかった。目からウロコの指摘である。だから、あえて副題は〈「農学栄えて農業亡ぶ」再考〉と打ったのだ。

根源に『合理的農業の原理』を著した農学の祖・ドイツのテーアの思想を引く。むろん、農学は農業発展の学との反論は当然あるだろう。だが、例えば今のフードテックの行き着く先は、遺伝子組み換えの有機農業振興や畜産なき培養肉などを思えば、そもそも食と農の存在そのものが居場所さえなくなりかねない。藤原も「昨今の食と農のテクノロジーの進歩は、まさに食と農の廃棄であり、プロセスの省略であった」と読み解く。

全体主義とも表裏一体

政治学の泰斗・丸山真男の「農本主義は日本ファシズムの特徴の一つ」の指摘は、今なお避けて通れない史実だ。戦前は農業振興へ植民地拡大とも結び付いた。

藤原はJA全中発行の「月刊JA」2018年2月号「私のオピニオン」で食と農の現状に警鐘を鳴らすと共に、農本主義の歴史分析の重要性も説いた。ナチス・ドイツが「食料自給率100%」などを訴え政権を得たことも指摘する。食と農は「国を支配する道具」にも転じる。

「月刊JA」のインタビューで藤原はJAの役割を「新自由主義と対峙し、地域で真剣に
農業と向き合う生産者を助けること」としたうえで、農家がディグニティ(尊厳)を持って生きていけるようにすべきと強調している。さらに新自由主義の改革との妥協は一見、安全のように見えて、「悪魔に右腕を差し出せば次は左腕を求められ、最後は全身を喰い尽くされる」と危険性を訴えた。農協改革を踏まえても、的を射た指摘だ。

新たな胎動にも注目

こんな中で藤原が注目する1人に、新農本主義を唱える在野の農学者で〈田んぼの生き物〉を通して農業の経済的価値をデータで示し、エコロジカルな視点で食と農の在り方を説く宇根豊がいる。

宇根の考えは『農本主義のすすめ』(ちくま新書)が分かりやすい。〈農は天地に浮かぶ大きな舟〉〈農本主義とは「農」を、農業ではなく、農と見る見方を取り戻すこと〉。

一度、福岡の宇根を訪ね、写真を撮ろうと出来秋の田んぼに入ってもらったら、宇根の周りを赤とんぼがたくさん飛来し驚いた。宇根は自然と共生する農を目指しているのだ。宇根は橘孝三郎、権藤成卿など地域の運動家を論じつつ、愛国主義に拠らないエコロジカルな思想として、旧時代的な農本主義からの脱皮を図った。ただ「戦争や植民地支配との関係の議論が不十分で歴史的背景の考察がかなり捨象されている」と藤原は指摘する。歴史を踏まえた新農本主義への過程は始まったばかりだ。

立花隆の橘孝三郎

先の宇根の著書にも登場する農本主義者・橘孝三郎。血盟団などを育んだ茨城出身で旧制水戸中学(現県立水戸一高)から第一高等学校に進んだ秀才だ。大杉栄のアナーキズムに感化された後、地元に帰り愛郷塾を主宰しファシズムへと変貌した。

先日亡くなった調査報道の立花隆と血縁関係にあることは知らなかった。そう言えば、立花隆の本名は橘孝志。なぜ〈橘〉の名字を伏せたのか。右翼の孝三郎の存在を消したかったのかもしれない。立花は中学、高校を茨城で過ごし、茨城大学付属中学から水戸一高に進学。途中から都立上野高校に転校し、東大に入学した。孝三郎と重なるところがある。

ルポライター立花は農協、農業問題も1980年前後に精力的に取材したが、決して農本主義の思想面に触れることはなかった。

総合知としての新農学

そこで藤原は孤高の農学からの離陸を試みる。「農の原理」を医・食・心・政・技の五つの側面でのアプローチ、いわば多面体的な総合知としての新たな「農の原理」を模索する。これらとの交流を深めて栄え、ただ専門化するだけの官許の農学は静かに亡び、分解され、「まだ見ぬ総合的な学問の肥やしになっていく」と見る。

例えば農福連携の広がりは、先の医・食・心などの融合の一つかもしれない。記者の〈透視眼〉で見れば、新たな「農の原理」探しの旅は20世紀の知の巨人、P・Fドラッカーの言った〈既に起こった未来〉の端緒はある。

(K)

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