食料安全保障などに対する国民の支払意思額は10兆円規模の可能性【鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側】2021年8月6日
日本農業が過保護であるという批判は間違いであることは何度も指摘してきた。そして、今回、国民の農業・農村を守るために自らが支払ってもよいと考えている金額が10兆円規模に上る可能性が示唆される調査結果が出された。これを基に、財務省によりガチガチに枠をはめられ、毎年わずかしか農水予算を変更できない日本の予算システムの欠陥を抜本的に改め、食料を含めた大枠の安全保障予算を再編し、防衛予算から農業予算へのシフトを含めて、食料安全保障確立予算を大胆に確保すべきではなかろうか。いざというときに食料がなくなってオスプレイをかじることはできない。
防衛予算から食料安全保障への思い切った予算再編の根拠に
調査の概要
2020年、長野県JA中央会は、長野県農業・農村の有する多面的機能に対する評価額を推定したいと考え、筆者の研究室(主たる担当は修士課程の岸本華果さん)に調査が要請された。その調査結果が2021年7月7日に公表された。今回の調査は、2001年に公表された日本学術会議による農業のもつ多面的機能に対する評価額(全国)の推定からすでに20年が経過していることから、それに代わる最新の評価額を長野県について推定したいとの意図で行われた。
手法は、日本学術会議のように、水田の代わりにダムをつくったらいくらかかるか、という金額を水田のもつ洪水防止機能の評価額とする、という技術的手法でなく、住民に、水田の洪水防止機能を維持するために、あなたは世帯として年間いくら支出してもよいか、という支払意思額(WTP)を問うアンケート調査を用いた。
かつ、長野県民だけでなく、長野県農業・農村の存在を評価している可能性がある、近隣の都市住民として、東京都民の評価も聞いた。具体的な調査対象は表1のとおりで、長野県を都市部と農村部に分け、東京を23区内とそれ以外に分け、実際の人口比とほぼ同じになるようにして、長野県民と東京都民517人ずつにアンケートを実施した。
アンケート調査に用いた多面的機能の項目
下記の各多面的機能を維持するために世帯としての年間支払意思額(WTP)を聞いた。
1. 食料安全保障を確保する機能(未来に対する持続的な食料供給の信頼性を国民に与える働き)
2. 水循環を制御して地域社会に貢献する機能(洪水を防ぐ、土砂崩れや流出を防ぐ、川の流れを安定させる、地下水となるなど)
3. 環境に対する負荷を除去・緩和する機能(水をきれいにする、有機物を分解する、暑さを和らげて大気をきれいにする、窒素やリンなどの物質資源が過剰に集まることを防ぐなど)
4. 生物多様性を保全する機能(植物遺伝資源を保全し将来にわたり食料を作る働きを保持する、生き物を育てるなど)
5. 土地空間を保全する機能(優良農地や日本的原風景をまもる、みどりの空間を提供する、防災・避難空間を活用するなど)
6. 社会を振興する機能(農道や用・排水施設など社会資本を蓄積し、地域社会全体の維持・発展に貢献する)
7. 伝統文化を保全する機能(農業で培われた技術や知恵、地域の行事や食文化などを保存・伝承する)
8. 人間性を回復する機能(リハビリテーションや福祉、癒しや安らぎの場を提供する)
9. 人間を教育する機能(自然体験学習など、自然環境への理解を深める場を提供する)
アンケート調査の具体的方法
まずはじめに調査者が事前に用意した数種類の金額から、任意の一つを回答者に提示し、それに対して支払うか否かを「はい/いいえ」で尋ねる。次に、1番目の金額(initial)に対して「はい」と回答した場合にはさらに高い金額(2nd up)を提示し、「いいえ」と回答した場合にはさらに低い金額(2nd down)を提示する。これにより、回答者のWTPの存在範囲を特定する。具体的な聞き方は、次の囲みのような形である。
調査結果と含意
長野県農業の有する多面的機能を維持するための1世帯あたりの年間支払意思額(WTP)は長野県で約18万円(平均値)、東京都区部で約23万円(平均値)と推定された(表2)。これは、上記の9項目、簡易な表現で言い換えると、(1)食料安全保障の確保(2)地下水を蓄え水害防止(3)水や大気の浄化(4)生物多様性の保全(5)農地・景観保全(6)社会の振興(7)伝統文化の保全(8)人間性の回復(9)自然体験の教育力、の評価額を合計したものである。
県民、都民とも(1)食料安全保障の確保が1位で、これに県民では(5)農地・景観保全(2)水害防止が、都民では(3)水や大気の浄化(9)自然の教育力が続いた。
長野県民・東京都民ともに、自分に直接的な関係があるかどうかに関わらず、地域や国全体のために長野県農業の有する多面的機能を相当程度評価していることが明らかになった(表2)うえ、東京23区民のほうが総支払意思額が高いことがわかった。近隣の県外の都市的地域の評価を試み、それが県民の評価よりもむしろ大きいことを明らかにしたのは今回得られた初めての成果である。
総世帯数をかけることによって、長野県農業の有する多面的機能を維持するための長野県民全体の年間支払意思額(TWTP)を求めると1573億円と推定された(表3)。一方、日本学術会議(2001)の手法を援用して、最近年における長野県の多面的機能評価額を推定してみると1627億円となり、両者は非常に近い値である。
水田の代わりにダムをつくったらいくらかかるか、といった技術的計算額と同等の額が、長野県民から、長野県農業を支えるために支払ってもよいと考えている意思額としても得られた意義は大きい。つまり、端的に言えば、洪水防止のために代わりにダムをつくる費用などと同等の額を水田の維持などのために自身が負担としてもよいと「直感的に」判断しているということである。
仮に長野県の1世帯あたりWTPが全国民の全国の農業に対する評価と同じと仮定して、長野県の1世帯あたりWTPに全国の世帯数を乗じて試算すると、10.6兆円となる。この結果は、もっと大胆に、「国家安全保障確立助成金」といったような形で、狭い農水予算の枠を超えて、防衛費も加味して、国家予算配分を大幅に見直し、大規模な直接支払いを行うことの妥当性の根拠を提示したと考えられる。
「農業・農村はすでに税制で優遇されている」(長野県)、「所得に応じて負担の金額を決めるべき」(長野県)、「見返りがないから」(東京都)、「税金がきちんと使われているかが見えないから」(東京都)といった費用負担に拒否回答をした人々の見解(表5)にも十分に耳を傾け、今回、得られた評価額と意見に基づいて、県民・国民の理解醸成を進め、厳しさを増している農村現場を県民・国民全体でどう支えるかという議論の広がりと必要な政策の策定・実行につなげる具体的動きを早急につくっていくことが喫緊の課題である。そのための一つの貴重な資料がこの調査で提供できたと考える。長野県での今回の試みは長野県のみならず、全国への発信として極めて有益と思われる。
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